国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
多賀城跡出土木簡
ふりがな
:
たがじょうあとしゅつどもっかん
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員数
:
450点
種別
:
古文書
国
:
日本
時代
:
奈良~平安時代
年代
:
8~10世紀
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
法量等省略
品質・形状
:
木製
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
738
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2023.06.27(令和5.06.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
宮城県
所在地
:
宮城県多賀城市高崎1-22-1
保管施設の名称
:
宮城県多賀城跡調査研究所・東北歴史博物館
所有者名
:
宮城県
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
多賀城は、陸奥国府として、また平安時代初期に胆沢城に移設されるまでは鎮守府としても機能した、古代東北地方における律令国家の政治的・軍事的支配拠点である。神亀元年(七二四)に成立し、その後、四期の変遷をたどる。
文献史料の少ない東北古代史研究にとって、同時代史料である木簡が果たす役割は大きい。出土した八世紀前半から十世紀前半までの木簡は、物資運搬の際の荷札や呪術的な内容のもののほか、鎮守府関係、軍団関係の木簡や大宝二年美濃国戸籍などの記載方法に則った戸籍抜書木簡などがある。
このように本木簡群は、陸奥国府また鎮守府としての多賀城での政務の内容を示すものや、奈良時代・平安時代初頭の蝦夷政策を反映したものなど、多種多様な内容を含み、律令国家による東北経営の実態を知ることができ、たいへん貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
多賀城は、陸奥国府として、また平安時代初期に胆沢城に移設されるまでは鎮守府としても機能した、古代東北地方における律令国家の政治的・軍事的支配拠点である。神亀元年(七二四)に成立し、その後、四期の変遷をたどる。 文献史料の少ない東北古代史研究にとって、同時代史料である木簡が果たす役割は大きい。出土した八世紀前半から十世紀前半までの木簡は、物資運搬の際の荷札や呪術的な内容のもののほか、鎮守府関係、軍団関係の木簡や大宝二年美濃国戸籍などの記載方法に則った戸籍抜書木簡などがある。 このように本木簡群は、陸奥国府また鎮守府としての多賀城での政務の内容を示すものや、奈良時代・平安時代初頭の蝦夷政策を反映したものなど、多種多様な内容を含み、律令国家による東北経営の実態を知ることができ、たいへん貴重である。
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詳細解説
多賀城は、陸奥国府として、また平安時代初期に胆沢城に移設されるまでは鎮守府としても機能した、古代東北地方における律令国家の政治的・軍事的支配拠点である。多賀城碑(平成十年重文指定)によれば、神亀元年(七二四)に成立し、その後、四期の変遷をたどる。 丘陵上に位置する城域は四辺の不整な方形の外郭をもち、最長辺は東辺約一〇五〇メートル、最短辺は西辺約六六〇メートルであり、その中心に政庁を配置する。政庁から南には、外郭南門へと続く政庁南大路が直線的に延びる。また城外南面平地には、政庁中軸線上の南北大路と外郭南辺に平行する東西大路がある。これらを基準として、小路により区画された方格地割遺構が城外に広がり、市川橋遺跡・山王遺跡など国府関連遺跡が発見されている。 多賀城跡の木簡のうち、道路跡の木簡から多賀城創建頃の籍帳制による実務、兵士の管理、征夷と多賀城創建との関連、その年代や物資の搬入管理等が窺われ、城前地区の木簡により鎮守府の実在とその文書を扱った官衙の存在が明らかとなった。外郭線周辺では軍事関係の木簡が目立ち、白河・安積団の木簡では形状・異筆からも多様な情報が得られる。ほかに坂東からの支援や物資の収納を示す荷札、書籍の存在等を示す習書もある。多賀城外からは、荷札や題籤軸、書籍の習書木簡などが出ている。 このように本木簡群は、陸奥国府また鎮守府としての多賀城での政務の内容を示すものや、奈良時代・平安時代初頭の蝦夷政策を反映したものなど、多種多様な内容を含み、律令国家による東北経営の実態を知ることができ、たいへん貴重である。