国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
近江国比良庄絵図
ふりがな
:
おうみのくにひらしょうえず
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員数
:
1鋪
種別
:
古文書
国
:
日本
時代
:
室町時代
年代
:
16世紀
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
縦80.7 横126.7
品質・形状
:
紙本著色
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
740
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2023.06.27(令和5.06.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
滋賀県
所在地
:
大津市打出浜1-1
保管施設の名称
:
滋賀県立琵琶湖文化館
所有者名
:
北比良財産管理会
管理団体・管理責任者名
:
宗教法人天満神社
解説文:
詳細解説
本絵図は、鎌倉時代後期に作成された絵図を写したものであり、現在の高島市と大津市に所在した比良庄の庄域とその周辺を描いている。
画面の下半分は、琵琶湖側から比良山系の山々を仰ぎ見る形で作図され、底部に湖面を描き、平地部には庄園と河川が描かれる。画面の上半分は、天空から比良山系の西部を見下ろす形で作図され、比良庄、安曇川、比良山系を描くとともに、南部には葛川明王院が描かれる。
比良庄の庄域は墨線で表され、庄園の内部には寺社の堂舎や鳥居、樹木などが詳細に描かれる。また、鎌倉時代後期と南北朝期の裏書が存在し、本絵図が周辺庄園との堺相論に際して作成されたことがわかる。
本絵図に作成年次は記されていないが、裏書にみえる永和の相論以降の作成であり、画風から下限は室町時代後期を下ることはないとみられる。
本絵図は、豊富な注記に加え、裏書により作成された背景も判明するため、中世社会経済史研究上、極めて貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
本絵図は、鎌倉時代後期に作成された絵図を写したものであり、現在の高島市と大津市に所在した比良庄の庄域とその周辺を描いている。 画面の下半分は、琵琶湖側から比良山系の山々を仰ぎ見る形で作図され、底部に湖面を描き、平地部には庄園と河川が描かれる。画面の上半分は、天空から比良山系の西部を見下ろす形で作図され、比良庄、安曇川、比良山系を描くとともに、南部には葛川明王院が描かれる。 比良庄の庄域は墨線で表され、庄園の内部には寺社の堂舎や鳥居、樹木などが詳細に描かれる。また、鎌倉時代後期と南北朝期の裏書が存在し、本絵図が周辺庄園との堺相論に際して作成されたことがわかる。 本絵図に作成年次は記されていないが、裏書にみえる永和の相論以降の作成であり、画風から下限は室町時代後期を下ることはないとみられる。 本絵図は、豊富な注記に加え、裏書により作成された背景も判明するため、中世社会経済史研究上、極めて貴重である。
詳細解説▶
詳細解説
本絵図は、鎌倉時代後期に作成された絵図を写したものであり、現在の高島市と大津市に所在した比良庄の庄域とその周辺を描いている。ほぼ同じ大きさの料紙九枚を貼り継いでいるが、中央下よりの部分は台形状にくり抜かれ別に一枚の紙をあてている。全てを墨で描き、山林には緑青で彩色を施すが、現在では緑青焼けによって変色している部分も多い。画面は西を天として作図され、下半分は琵琶湖側から比良山系の山々を仰ぎ見る形をとる一方で、上半分は天空から比良山系の西側を見下ろす形をとる。 画面の下半分は、底部に湖面を描き、そこに流れ込む河川と平地部の庄園を描く。比良庄には墨線で境界が引かれ庄域は比良山系の西側に及ぶ。小松庄との境界は別紙をあてた部分に引かれ、比良庄の用益に有利なように改竄して描き直したものと考えられている。また、比良庄と小松庄の庄内は寺社などの建物が詳細に描かれている。画面の上半分は、山容と安曇川を描く。山容には多くの注記が存在し、この内、比良庄内にひときわ高く聳える「小馬ヒタイ」は江戸時代の絵図にも登場する山岳であるが、比定地としてはカラ岳や次郎坊山(宮山)など複数の説が存在する。 本絵図には、弘安三年(一二八〇)と永和二年(一三七六)の二つの裏書があるが、いずれも作成時に原図から写されたものと推測される。弘安三年の裏書は、小松庄・音羽庄と比良新庄(比良庄)の境相論について円満院が裁許を下したものである。永和二年の裏書は、比良庄と音羽庄の境相論について、弘安の絵図に任せて延暦寺供僧方と音羽衆が裁許を下したものである。 本絵図に作成年次は記されていないが、裏書にみえる永和の相論以降の作成であり、画風から下限は室町時代後期を下ることはないとみられる。 以上のように、本絵図は、中世の庄園絵図として豊富な情報を持つだけでなく、裏書から作成された背景も判明するため、中世社会経済史研究上、極めて貴重である。