国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
三藐院記
附 関白宣下
ふりがな
:
さんみゃくいんき
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員数
:
7巻、18冊、6通
種別
:
古文書
国
:
日本
時代
:
安土桃山~江戸時代
年代
:
16~17世紀
西暦
:
作者
:
近衛信尹
寸法・重量
:
法量等省略
品質・形状
:
紙本墨書
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
741
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2023.06.27(令和5.06.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
京都府京都市右京区宇多野上ノ谷町1-2
保管施設の名称
:
公益財団法人陽明文庫
所有者名
:
公益財団法人陽明文庫
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
『三藐院記』は、三藐院関白とも呼ばれた近衛信尹(一五六五~一六一四)の自筆による記録である。
同記録は、日次記である本記と、件別に記録された別記からなるが、別記の方が詳細で、量も本記にまさっている。信尹は、宿願であった自身の関白任官に関する記録「関白宣下記」等を作成している。「関白宣下記」は、信尹に対する関白宣下に際して、朝廷より下された一連の文書(附指定「関白宣下」)を似寄りの料紙をあつらえて筆写したものである。このように別記は、信尹が関心を寄せる内容ごとにまとめた記録であり、信尹の関心の所在を明らかにしうる記録でもある。
『三藐院記』は、安土桃山時代から江戸時代初期に至る政治史、文化史のみならず、配流中の薩摩での記事等九州地域史の動向をも伺い知ることができる史料であり、たいへん価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
『三藐院記』は、三藐院関白とも呼ばれた近衛信尹(一五六五~一六一四)の自筆による記録である。 同記録は、日次記である本記と、件別に記録された別記からなるが、別記の方が詳細で、量も本記にまさっている。信尹は、宿願であった自身の関白任官に関する記録「関白宣下記」等を作成している。「関白宣下記」は、信尹に対する関白宣下に際して、朝廷より下された一連の文書(附指定「関白宣下」)を似寄りの料紙をあつらえて筆写したものである。このように別記は、信尹が関心を寄せる内容ごとにまとめた記録であり、信尹の関心の所在を明らかにしうる記録でもある。 『三藐院記』は、安土桃山時代から江戸時代初期に至る政治史、文化史のみならず、配流中の薩摩での記事等九州地域史の動向をも伺い知ることができる史料であり、たいへん価値が高い。
詳細解説▶
詳細解説
『三藐院記』は、近衛家一七代当主近衛信尹(一五六五~一六一四)の自筆による記録である。三藐院とは信尹の諡号である。信尹は近衛前久の第二子として生まれた。天正十年の本能寺の変において、明智方に加担したと疑われた前久は落飾し、信尹は一八歳で家督を継ぐこととなった。 天正十三年五月十日、信尹は左大臣に任じられ、早くもその一〇日後には、関白職を奏請した。しかし、二月に関白に任じられた二条昭実が関白職を辞さなかったため、相論に至った。このとき信尹が関白職への昇任を急いだ背景に豊臣秀吉の動向があった。当時、秀吉は関白職を得るべく、隠居した前久の猶子となって信尹の義兄弟となること、信尹にいずれは関白職を譲ること等を提示してきた。近衛家はこの条件を受け入れ、秀吉は近衛家の猶子となり、関白職に就任した。しかし、天正十九年、関白職は豊臣秀次へ移譲が行われ、豊臣家の関白世襲を明確にした。 信尹は秀次の関白就任の翌年、天正二十年一月二十八日に左大臣を辞した。その後、文禄三年(一五九四)、勅勘を蒙り、薩摩へ配流されることとなったが、慶長元年(一五九六)には勅勘が解かれた。七月に帰洛の途に就くまで薩摩で過ごしたが、その間、信尹は学問や文芸などを通じて、島津氏と交流を重ねた。 慶長二年京都に戻り、同六年左大臣に還任した。同十年七月二十三日に関白・内覧・氏長者・随身・牛車の宣旨を蒙り、その翌日に左大臣を辞した。二条昭実との関白相論から二〇年目の事である。そして、慶長十九年十一月二十五日に五〇年の生涯を閉じた。 『三藐院記』は、日次記である本記と、件別に記録された別記からなるが、別記の方が詳細で、量も本記にまさっている。信尹の宿願であった関白任官に関しては、自身の関白任官に関する記録「関白宣下記」等を作成している。「関白宣下記」は、信尹に対する関白宣下に際して、朝廷より下された一連の文書(附指定「関白宣下」)を似寄りの料紙をあつらえて筆写したものである。別記は信尹が関心を寄せる内容ごとにまとめた記録であり、信尹の関心の所在を明らかにしうる記録である。 『三藐院記』は、安土桃山時代から江戸時代初期に至る政治史、文化史のみならず、配流中の薩摩での記事等九州地域史の動向をも伺い知ることができる史料であり、たいへん価値が高い。