国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
銘苅家文書(四通)
ふりがな
:
めかるけもんじょ(よんつう)
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員数
:
1幅、2面、1鋪
種別
:
古文書
国
:
日本
時代
:
第二尚氏時代
年代
:
16~19世紀
西暦
:
1587~1870年
作者
:
寸法・重量
:
法量等省略
品質・形状
:
紙本墨書
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
743
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2023.06.27(令和5.06.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
沖縄県
所在地
:
沖縄県那覇市おもろまち3-1-1
保管施設の名称
:
沖縄県立博物館・美術館
所有者名
:
沖縄県
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
銘苅家は、伊是名島出身の第二尚氏の祖尚円(一四一五~一四七六)の叔父の子孫であり、歴代が銘苅大屋子を務め、王家に関する儀礼を司祭した。
銘苅家文書は、「御朱印」「御印判」と呼ばれた琉球国王発給の朱印状三通を中心とする。この琉球国王朱印状は研究史上、「辞令書」とも呼ばれてきた文書である。本文書の内訳は、「伊平屋仲田の首里大屋子への辞令書」として知られる数少ない古琉球の朱印状一通と、「伊平屋嶋銘苅大屋子」に任じた近世琉球の朱印状二通、国家的聖地とされた尚円生誕地とその周辺を描いた絵図一通である。
本文書は、第二尚氏の王統に連なる銘苅家に伝来したものであり、銘苅家の琉球王国における格別の由緒や地位を示すものである。とりわけ古琉球の朱印状は、戦災により数多くの史料が失われた沖縄において、古琉球の貴重な文字資料として古文書学および琉球史研究上においてたいへん重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
銘苅家は、伊是名島出身の第二尚氏の祖尚円(一四一五~一四七六)の叔父の子孫であり、歴代が銘苅大屋子を務め、王家に関する儀礼を司祭した。 銘苅家文書は、「御朱印」「御印判」と呼ばれた琉球国王発給の朱印状三通を中心とする。この琉球国王朱印状は研究史上、「辞令書」とも呼ばれてきた文書である。本文書の内訳は、「伊平屋仲田の首里大屋子への辞令書」として知られる数少ない古琉球の朱印状一通と、「伊平屋嶋銘苅大屋子」に任じた近世琉球の朱印状二通、国家的聖地とされた尚円生誕地とその周辺を描いた絵図一通である。 本文書は、第二尚氏の王統に連なる銘苅家に伝来したものであり、銘苅家の琉球王国における格別の由緒や地位を示すものである。とりわけ古琉球の朱印状は、戦災により数多くの史料が失われた沖縄において、古琉球の貴重な文字資料として古文書学および琉球史研究上においてたいへん重要である。
詳細解説▶
詳細解説
銘苅家文書は、伊是名島の銘苅家に伝来した後、沖縄県所有となった文書四通である。銘苅家は伊是名島出身の第二尚氏の祖尚円(一四一五~一四七六)の叔父の子孫であり、歴代が伊平屋島(前近代の伊是名・伊平屋両島の行政区画名)の銘苅大屋子(銘苅親雲上)を務め、王家に関する儀礼を司祭した。 琉球国王が官人や神女を任用する際や、知行地等を給与する際に発給した公的な文書は、国王の朱方印(「首里之印」)が捺されることから、「御朱印」「御印判」と呼ばれていた。この国王が発給した「琉球国王朱印状」(以下、「朱印状」と称する)は琉球史研究上における重要史料であり、研究上で「辞令書」とも呼ばれてきた。現存する朱印状は百十余通しかなく、尚円の子尚真(王位一四七七~一五二六)代における嘉靖二年(一五二三)の渡唐船タカラ丸官舎職叙任に関するもの(「田名家文書」(昭和四十八年重文指定))が最古であり、王国末期の同治十三年(一八七四)までのものが残る。朱印状はその様式と発給時期により「古琉球」「過渡期」「近世琉球」の三タイプに区分される。このうち古琉球の朱印状は、沖縄県内では一五通が知られるのみである。 銘苅家文書は、古琉球の朱印状一通、近世琉球の朱印状二通、絵図一通からなる。古琉球の朱印状は、万暦十五年(一五八七)の中国年号を有する「伊平屋仲田の首里大屋子への辞令書」として知られる。本文は流麗な平仮名主体で書かれ、首尾と紙継目の上部に朱方印「首里/之印」三顆を捺す。内容は、伊平屋の首里大屋子に対して同島の仲田にある里主所(知行地)に田地を給すること、この田地に係る「ミかない」(王府への貢租)の上納を命じるものである。近世琉球の朱印状の二通は、乾隆元年(一七三六)と同六年(一七四一)の中国年号を有し、それぞれ銘苅家八世朝典と同九世朝義を「伊平屋嶋銘苅大屋子」に任じたものである。絵図は、同治九年(一八七〇)に描かれたもので、国家的聖地とされた尚円誕生の地と伝えられる「みほそ所」等が描かれている。 本文書は、第二尚氏の王統に連なる銘苅家に伝来したものであり、首里大屋子や銘苅大屋子を務めた銘苅家の格別の由緒や地位を示すものである。とりわけ古琉球の朱印状は、戦災により数多くの史料が失われた沖縄において、古琉球の貴重な文字資料として歴史的価値が高く、古文書学および琉球史研究上においてたいへん重要である。