国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
宋版唐人絶句
ふりがな
:
そうはんとうじんぜっく
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員数
:
21冊
種別
:
書跡・典籍
国
:
中国
時代
:
南宋時代
年代
:
西暦
:
作者
:
洪邁
寸法・重量
:
各 縦28.2 横19.4
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
2608
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2023.06.27(令和5.06.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
福岡県
所在地
:
福岡県太宰府市石坂4-7-2
保管施設の名称
:
九州国立博物館
所有者名
:
国(文化庁)
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
『唐人絶句』は、淳煕七年(一一八〇)に南宋時代の政治家、儒学者である洪邁(一一二三~一二〇二)が五八歳にして編纂を始めたものである。洪邁は任地であった浙江の地で致仕後にこれを上梓したが、事半ばにして鄱陽に帰った。その内容は、絶句に限られてはいるが、唐詩の大規模な集成が行われた最古の本である。
本書の跋文によると、虫害にあった前半の板木に補刻が加えられ、新たに版刻された後半とともに再印された南宋版本であることがわかる。
相国寺住持も務めた惟高妙安(一四八〇~一五七六)の印が各冊に捺されていることから、おそくとも室町時代には我が国に伝来していたことがわかる。
本書は他には伝本の認められない孤本であり、摺り、保存状態ともによく、文化史上、極めて貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
『唐人絶句』は、淳煕七年(一一八〇)に南宋時代の政治家、儒学者である洪邁(一一二三~一二〇二)が五八歳にして編纂を始めたものである。洪邁は任地であった浙江の地で致仕後にこれを上梓したが、事半ばにして鄱陽に帰った。その内容は、絶句に限られてはいるが、唐詩の大規模な集成が行われた最古の本である。 本書の跋文によると、虫害にあった前半の板木に補刻が加えられ、新たに版刻された後半とともに再印された南宋版本であることがわかる。 相国寺住持も務めた惟高妙安(一四八〇~一五七六)の印が各冊に捺されていることから、おそくとも室町時代には我が国に伝来していたことがわかる。 本書は他には伝本の認められない孤本であり、摺り、保存状態ともによく、文化史上、極めて貴重である。
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詳細解説
『唐人絶句』は、第一冊の紹熙二年(一一九一)「唐人絶句詩序」によると、淳煕七年(一一八〇)に洪邁(一一二三~一二〇二)が五八歳にして編纂を始めたものである。洪邁は江西省鄱陽の人で、『容斎随筆』、『夷堅志』の著者としても知られている南宋時代の政治家、儒学者である。洪邁は任地であった浙江の地で致仕後にこれを上梓したが、事半ばにして鄱陽に帰った。その内容は、絶句に限られてはいるが、唐詩の大規模な集成が行われた最古の本である。 本書は、第二十二冊の嘉定十四年(一二二一)の呉格と同十六年の汪綱の跋文によると、虫害にあった前半の板木に補刻が加えられ、新たに版刻された後半とともに再印された南宋版本であることがわかる。 『唐人絶句』は全一〇一巻からなり、その内訳は七言七五巻、五言二五巻、六言一巻である。本書は第十八冊にあたる「五言」巻第一から五の一冊を欠いており二一冊であるが、現存する二一冊には落丁等はなく完存している。 各冊巻末の左下隅には相国寺住持も務めた惟高妙安(一四八〇~一五七六)の印「妙/安」が捺されていることから、彼の手沢本であったと推定され、おそくとも室町時代には我が国に伝来していたことがわかる。 また、『唐人絶句』は明代には趙宦光等が整理増補して四〇巻とされ、同書は文政六年(一八二三)和刻本官版の底本ともなった。このように、後世にも編纂、出版が繰り返された。 本書は他には伝本の認められない孤本であり、摺り、保存状態ともによく、文化史上、極めて貴重である。