国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
大毘盧遮那成仏経疏
ふりがな
:
だいびるしゃなじょうぶつきょうそ
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員数
:
20帖
種別
:
書跡・典籍
国
:
日本
時代
:
平安時代
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
各 縦23.6 横14.8程度
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
2610
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2023.06.27(令和5.06.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
京都市右京区御室大内33
保管施設の名称
:
仁和寺
所有者名
:
宗教法人仁和寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
『大毘盧遮那成仏経疏』(以下、『大日経疏』という)は、唐の善無畏(六三七~七三五)の講説を一行(六八三~七二七)が記したもので、開元十三年(七二五)に成立した。密教における最重要の経典として重んじられてきた善無畏と一行の共訳に係る『大日経』の釈義を述べており二〇巻から成る。
本経疏は、巻第一から巻第二十までの全巻が完存しており、すべて平安時代院政期の同時期に書写された僚巻である。
朱点は全巻にあり、仮名とヲコト点(円堂点)がある。朱点と墨点の一部は、観音院大僧都寛意(一〇五四~一一〇一)が伝授したという朱書の伝受奥書にある寛治七年(一〇九三)から嘉保二年(一〇九五)にかけての加点であると考えられる。
本経疏は、『大日経疏』の完本として最古の遺例であり、平安時代院政期の加点年代が分かる多くの古訓点(こくんてん)を有していることから、我が国の仏教史、および国語学研究史上、極めて貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
『大毘盧遮那成仏経疏』(以下、『大日経疏』という)は、唐の善無畏(六三七~七三五)の講説を一行(六八三~七二七)が記したもので、開元十三年(七二五)に成立した。密教における最重要の経典として重んじられてきた善無畏と一行の共訳に係る『大日経』の釈義を述べており二〇巻から成る。 本経疏は、巻第一から巻第二十までの全巻が完存しており、すべて平安時代院政期の同時期に書写された僚巻である。 朱点は全巻にあり、仮名とヲコト点(円堂点)がある。朱点と墨点の一部は、観音院大僧都寛意(一〇五四~一一〇一)が伝授したという朱書の伝受奥書にある寛治七年(一〇九三)から嘉保二年(一〇九五)にかけての加点であると考えられる。 本経疏は、『大日経疏』の完本として最古の遺例であり、平安時代院政期の加点年代が分かる多くの古訓点(こくんてん)を有していることから、我が国の仏教史、および国語学研究史上、極めて貴重である。
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詳細解説
『大毘盧遮那成仏経疏』(以下、『大日経疏』という)は、唐の善無畏(六三七~七三五)の講説を一行(六八三~七二七)が記したもので、開元十三年(七二五)に成立した。密教における最重要の経典として重んじられてきた善無畏と一行との共訳に係る『大毘盧遮那成仏神変加持経』、すなわち『大日経』の釈義を述べており二〇巻から成る。平安時代には『大日経疏』が真言系、天台系の両派で用いられていた。本経疏は、巻第一から巻第二十までの全巻が完存しており、すべて平安時代院政期の同時期に書写された僚巻である。 本経疏全二〇巻のうち一八巻には、金剛峯寺奥院東菴室において観音院大僧都寛意(一〇五四~一一〇一)が伝授したという朱書の伝受奥書がある。最も早い日付は、巻第一の寛治七年(一〇九三)十月二十三日であり、以後、奥書の日付から巻数順に日をおって伝受されたことが知られ、巻第二十にある嘉保二年(一〇九五)二月二十日の奥書が最も新しい。朱点は全巻にあり、仮名とヲコト点(円堂点)がある。朱点と墨点の一部は、伝受奥書にある寛治七年から嘉保二年にかけての加点で、寛意から伝授されたものと考えられる。 なお、各巻末には、江戸時代初期に仁和寺復興に尽くした顕證(一五九七~一六七八)が全部二〇冊を摂州常楽寺において感得した旨の奥書があり、顕證の加点と考えられる墨点もある。 本経疏は、『大日経疏』の完本として最古の遺例であり、平安時代院政期の加点年代が分かる多くの古訓点を有していることから、我が国の仏教史、および国語学研究史上、極めて貴重である。