国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
紙本著色天子摂関大臣影
ふりがな
:
しほんちゃくしょくてんしせっかんだいじんえい
解説表示▶
員数
:
4巻
種別
:
絵画
国
:
時代
:
鎌倉・南北朝時代
年代
:
西暦
:
作者
:
藤原為信・豪信
寸法・重量
:
(天子影)縦28.7センチ 長471.2センチ
(摂関影)縦29.1センチ 長758.1センチ
(大臣影)縦29.1センチ 長1503.5センチ
(後光厳天皇影)縦28.7センチ 横46.6センチ
品質・形状
:
各 紙本著色 巻子装
ト書
:
尊円の奥書に藤原為信・豪信筆とある
画賛・奥書・銘文等
:
(第十三紙奥書)
此一巻為信卿筆也
但奥二代豪信法印奉書之
證本也不可出閫者外也
銘行夷卿筆也
奥二代加愚筆(花押)
(第二十一紙奥書)
摂関代々影豪信法印為信卿子
筆也不可出閫外耳
銘可染愚筆也
(花押)
(第三十六紙奥書)
大臣影豪信法印筆也
銘染愚筆了不可出閫外
耳 (花押)
伝来・その他参考となるべき事項
:
(伝来)曼殊院‐皇室(明治11年献上)‐国(宮内庁書陵部保管、昭和5年寄贈)‐国(宮内庁三の丸尚蔵館保管、平成11年移管)‐国(文化庁、皇居三の丸尚蔵館収蔵、令和5年移管)
指定番号(登録番号)
:
2128
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2024.08.27(令和6.08.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
国(文化庁)
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
鳥羽院から後醍醐天皇までの天皇20人の肖像を描いた天子影、同時代の摂政・関白30人を描いた摂関影、大臣80人を描いた大臣影の計3巻と、康安2年(1362)の年記がある後光厳天皇影1巻から構成される。
人物の面貌は、細線を引き重ねて特徴を捉える似絵の技法で描かれ、装束には掘り塗りを基本としたやまと絵の伝統的な描法が用いられる。似絵は、院政期に活躍した藤原隆信にはじまり、その技能は世襲され、南北朝時代の初期まで盛行した。本作の作者と伝わる藤原為信と豪信は隆信の子孫にあたり、人物の面貌はこの画系に代々収集・蓄積された紙形に基づいて描かれたとみられる。
本作は、およそ200年にわたる歴代の天皇と摂関、大臣の肖像を所収し、かつ像主の名前が明らかであるという突出した資料性を有する。特徴を捉えた各人の面貌を現在に伝える資料としてもきわめて貴重で、中世の肖像画およびやまと絵を理解する上で欠かせない作品である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
鳥羽院から後醍醐天皇までの天皇20人の肖像を描いた天子影、同時代の摂政・関白30人を描いた摂関影、大臣80人を描いた大臣影の計3巻と、康安2年(1362)の年記がある後光厳天皇影1巻から構成される。 人物の面貌は、細線を引き重ねて特徴を捉える似絵の技法で描かれ、装束には掘り塗りを基本としたやまと絵の伝統的な描法が用いられる。似絵は、院政期に活躍した藤原隆信にはじまり、その技能は世襲され、南北朝時代の初期まで盛行した。本作の作者と伝わる藤原為信と豪信は隆信の子孫にあたり、人物の面貌はこの画系に代々収集・蓄積された紙形に基づいて描かれたとみられる。 本作は、およそ200年にわたる歴代の天皇と摂関、大臣の肖像を所収し、かつ像主の名前が明らかであるという突出した資料性を有する。特徴を捉えた各人の面貌を現在に伝える資料としてもきわめて貴重で、中世の肖像画およびやまと絵を理解する上で欠かせない作品である。
詳細解説▶
詳細解説
鳥羽天皇から後醍醐天皇までの天皇20人の肖像を描いた天子影、同時代の摂政・関白30人を描いた摂関影、大臣80人を描いた大臣影の計3巻に、康安2年(1362)の年記がある後光厳天皇影1巻(平成20年度の修理で天子影から分離されたもの)を加えた合計4巻で構成される。 人物は、外見的特徴を描き分ける似絵の手法で描かれ、天子影は即位の順、摂関影・大臣影は官職の着任順に配される。天子、摂関、大臣影の各巻末に青蓮院門跡尊円法親王(1298~1356)の花押がある奥書があり、天子影は、鳥羽天皇から後二条天皇までの18像が藤原為信(1248~?)、残る花園天皇、後醍醐天皇の2像は豪信(生没年不詳)の筆という。院号の注記については、為信筆の18像を世尊寺行尹(1286~1350)、豪信筆の2像を奥書の筆者である尊円が記したという。摂関影・大臣影は、絵を豪信、書を尊円とする。 天子影のうち為信筆と伝わる像と豪信筆とされる2像では、装束の描き方や肌の彩色、面貌を表す描線の特徴が異なる。豪信筆とされる2像に見られる短い描線をやや荒っぽく引き重ねる表現は、豪信の確実な遺品で暦応元年(1338)成立の「花園天皇像」(国宝、長福寺蔵)と通じる。こうしたことから、天子影は奥書通り為信と豪信の2者による作とみなすことができる。なお、奥書によれば為信の筆になる後伏見天皇像は、料紙の様子や肌の彩色が豪信筆の2像に近く、後伏見天皇と次代の後二条天皇が描かれた料紙の幅は、同巻の他の料紙の約半分となっている。そのため、現在の後伏見天皇像は、何らかの事情で豪信により描き直されたとする説もある。 摂関影と大臣影は、短い描線を荒く引き重ねて面貌を表し、下書き線に拘泥せず目鼻の描き起こしを行う描法が天子影の花園天皇、後醍醐天皇と共通するため、両巻は奥書通り豪信の筆になるとみてよい。ただし、両巻にも表現の差があり、摂関影では着彩がなされていた裾、平緒、太刀、笏の彩色が大臣影では省かれ、大臣影のなかでも藤原実宗以降は袍の文様も描かれなくなる。また、大臣影の第25紙以降は、料紙の規格や質が変わり、人物の顔に塗られる絵具の様子にも変化が見られることから、段階的に制作された可能性がうかがわれる。 本作は、およそ200年にわたる歴代の天皇と摂関、大臣の肖像を所収し、かつ像主の名前が明らかであるという突出した資料性を有する。特徴を捉えた各人の面貌を現在に伝える資料としても極めて貴重で、中世の肖像画とやまと絵を理解する上で欠かせない作品である。