国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
紙本墨画淡彩披錦斎図
ふりがな
:
しほんぼくがたんさいひきんさいず
解説表示▶
員数
:
1幅
種別
:
絵画
国
:
時代
:
室町時代
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
縦114.6センチ 横27.5センチ
品質・形状
:
紙本墨画淡彩 掛幅装
ト書
:
申年二月宗甫紹鏡の序と西庵中蓮等七僧の賛がある
画賛・奥書・銘文等
:
東埜嵩一「以清」(白文重廓方印)
(賛三)(四行)
「心休」(朱文長方印)
茆宇数椽花満烟、幽人坐読百
家編、不容遊客認香到、紅錦帳
中春靄然、
西枝 祖般「祖般」(朱文方印)
(下段、賛四)(四行)
紅紫夾階斎宇幽、鶯枝蝶
蘂露芬浮、唔咿円美繍屛
底、方外清標瀟洒侯、
赤城 紹鏡「宗甫」(白文方印)
(賛五)(四行)
花囲斎宇擁紅芳、品藻
追攀蘇玉堂、諷誦風和
鶯世界、錦屛繍帳管絃
長、 桐江文悆
(賛六)(三行)
高斎択地謝塵氛、花木春濃錦繍
紋、占得洋州好風景、古来造物助
人文、 武陽興徳「桃花源川」(朱文方印)
(賛七)(四行)
幽築花囲霞彩濃、盈々低
紫映昻紅、陽簷曝錦集芳
宇、絃誦春閑燕子風、
曲江 中諄「中諄」(朱文重廓方印)
伝来・その他参考となるべき事項
:
坂井伯元から道春(林羅山)のもとへ寄せられた本作の賛者について、道春が鎌倉方面に照会をかけた結果を報じる、近藤長兵衛宛の書状2通(1幅1枚)と、賛者についての書付1枚が付属する。
指定番号(登録番号)
:
2130
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2024.08.27(令和6.08.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
公益財団法人根津美術館
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
春霞ただよう桃林に囲まれた一棟の書斎を描く。細やかで繊細な筆致と彩色の響き合う佳品である。円覚寺黄梅院の宗甫紹鏡による申年2月の序によれば、ある人が円覚寺の喝食に贈るべく、夢でみた光景を画師に描かせた一軸を持参して、宗甫に画中の書斎の命名を依頼したもので、宗甫は北宋の文同と蘇軾に言及しつつ披錦斎(錦をひろげたような美しい場所にある書斎)と名付け、あわせて円覚寺の文筆僧たちが詩を詠んだという。絵、序、賛を完備した典型的な書斎図であり、鎌倉の禅僧だけが賛を寄せた詩画軸としては希少な古例である。賛者の顔ぶれから、序が書かれたのは寛正5年(甲申、1464)にあたる可能性が高い。絵は15世紀後半の京都で描かれた諸作例に通じる細緻な筆致をみせ、空間構成法も周文系統の諸作例に通じる。つまり鎌倉で着賛された本作は京都風の強い作で、祥啓が京都から戻るおよそ10年前、享徳の乱さなかの鎌倉の嗜好の一端をうかがわせる点でも重要視される。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
春霞ただよう桃林に囲まれた一棟の書斎を描く。細やかで繊細な筆致と彩色の響き合う佳品である。円覚寺黄梅院の宗甫紹鏡による申年2月の序によれば、ある人が円覚寺の喝食に贈るべく、夢でみた光景を画師に描かせた一軸を持参して、宗甫に画中の書斎の命名を依頼したもので、宗甫は北宋の文同と蘇軾に言及しつつ披錦斎(錦をひろげたような美しい場所にある書斎)と名付け、あわせて円覚寺の文筆僧たちが詩を詠んだという。絵、序、賛を完備した典型的な書斎図であり、鎌倉の禅僧だけが賛を寄せた詩画軸としては希少な古例である。賛者の顔ぶれから、序が書かれたのは寛正5年(甲申、1464)にあたる可能性が高い。絵は15世紀後半の京都で描かれた諸作例に通じる細緻な筆致をみせ、空間構成法も周文系統の諸作例に通じる。つまり鎌倉で着賛された本作は京都風の強い作で、祥啓が京都から戻るおよそ10年前、享徳の乱さなかの鎌倉の嗜好の一端をうかがわせる点でも重要視される。
詳細解説▶
詳細解説
霞ただよう山水景観のなかに、爛漫の花をつけた木々(おそらく桃林)に囲まれる一宇の書斎を描く。細やかで繊細な筆致と彩色の響き合う佳品である。 図上には円覚寺黄梅院の宗甫紹鏡(生没年不詳)による申年2月の序文と、円覚寺123世で報恩寺の西庵中蓮(1465没)、円覚寺99世(か)の以清嵩一(1470没か)、建長寺瑞祥院の舟峰祖般(生没年不詳)、宗甫、宝積寺豹隠庵の文悆(生没年不詳)、円覚寺143世の集翁興徳(1487没)、同寺145世の誠中中諄(1508没)という、鎌倉の禅僧7名による賛がある。最も早くに没した西庵と最年少と目される誠中の賛が相次いで書かれたと仮定すると、序が書かれた申年は寛正5年(甲申、1464)に当たる可能性が高い。 序によれば、ある人が円覚寺の「梁宗」なる喝食に贈るべく、夢でみた景色を「画師」に描かせた一軸を持参して、宗甫に画中の書斎の命名を依頼したもので、宗甫は文同(1018~79)と蘇軾(1035~1101)に言及しつつ「披錦」と名付け、あわせて円覚寺の文筆僧が詩を詠んだという。絵、序、賛を完備した典型的な書斎図であり、鎌倉の禅僧だけが賛を寄せた詩画軸としては希少な古例である。 絵は「蜀山図」(重要文化財、静嘉堂蔵)など、15世紀後半の京都で描かれた諸作例に通じる細緻な描写をみせ、空間構成法も将軍家専属であった周文(生没年不詳)系統の諸作例と原則を共有している。この絵がどこで描かれたのかは不明であるが、本作は、祥啓(生没年不詳)が京都から戻るおよそ10年前、享徳の乱さなかの鎌倉の嗜好の一端をうかがわせる点で重要視される。 このように本作は、典型的な書斎図の佳品として、また遺品の少ない鎌倉の詩画軸の古例として、さらに15世紀半ば過ぎの鎌倉の絵画をめぐる文化的状況を考える上で欠かせない作として、高く評価できるものである。