国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
紙本金地著色日吉山王・祇園祭礼図〈土佐光茂筆/六曲屛風〉
ふりがな
:
しほんきんじちゃくしょくひえさんのう・ぎおんさいれいず〈とさみつもちひつ/ろっきょくびょうぶ〉
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員数
:
一双
種別
:
絵画
国
:
時代
:
室町時代
年代
:
西暦
:
作者
:
土佐光茂
寸法・重量
:
各 縦122.4センチ 横297.0センチ
品質・形状
:
紙本金地著色 屛風装
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
(伝来)『某子爵家中鉢苔石氏所蔵品入札目録』(昭和3年12月17日入札、東京美術俱楽部)収録‐サントリー文化芸術財団(昭和40年購入)
指定番号(登録番号)
:
2131
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2024.08.27(令和6.08.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
公益財団法人サントリー芸術財団
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
琵琶湖畔で繰り広げられる山王祭と、京都の街中における祇園会とを組み合わせて一双とする中屏風で、明快な色彩と細緻な描写に特徴がある優品である。現存する祭礼図屏風としては最古例で、慶長期ごろの作と考えられる「日吉山王祭礼図」(重文、檀王法林寺蔵)や「祇園祭礼図」(重文、出光美術館蔵)をさかのぼる様式を示す。
描かれる人物は祭礼における人々の熱気と喧騒を表情豊かに伝えている。人物を描く線は軽快で、祭礼を見物する庶民の男性たちは、頬骨が高く、口髭や顎髭を蓄えた姿で描かれる。このような人物表現は土佐光茂(生没年不詳)の様式を示すが、細部を観察すると複数の手が確認できることから、光茂が主宰した工房で制作されたと判断される。
左隻では、祇園会の前祭と後祭の山鉾計22基と、後祭で三条通を東進する3基の神輿還幸を同一画面内に描いている。また右隻では、期間の長い山王祭のなかで最初の神事である神輿あげを行う牛尾社・三宮社を画面右上に描き込んでおり、船渡御だけに絵師の関心があるわけではないことがうかがわれる。左右隻ともに祭礼の一場面を切り取るのではないところにも本作の特徴が指摘できる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
琵琶湖畔で繰り広げられる山王祭と、京都の街中における祇園会とを組み合わせて一双とする中屏風で、明快な色彩と細緻な描写に特徴がある優品である。現存する祭礼図屏風としては最古例で、慶長期ごろの作と考えられる「日吉山王祭礼図」(重文、檀王法林寺蔵)や「祇園祭礼図」(重文、出光美術館蔵)をさかのぼる様式を示す。 描かれる人物は祭礼における人々の熱気と喧騒を表情豊かに伝えている。人物を描く線は軽快で、祭礼を見物する庶民の男性たちは、頬骨が高く、口髭や顎髭を蓄えた姿で描かれる。このような人物表現は土佐光茂(生没年不詳)の様式を示すが、細部を観察すると複数の手が確認できることから、光茂が主宰した工房で制作されたと判断される。 左隻では、祇園会の前祭と後祭の山鉾計22基と、後祭で三条通を東進する3基の神輿還幸を同一画面内に描いている。また右隻では、期間の長い山王祭のなかで最初の神事である神輿あげを行う牛尾社・三宮社を画面右上に描き込んでおり、船渡御だけに絵師の関心があるわけではないことがうかがわれる。左右隻ともに祭礼の一場面を切り取るのではないところにも本作の特徴が指摘できる。
詳細解説▶
詳細解説
短辺約33センチメートルの紙を4段に継いだ中屏風で、右隻には琵琶湖沿いで繰り広げられる山王祭を、左隻には京都の街中での祇園会を豊麗な彩色で精緻に描写する。祭礼を主題とする祭礼図屏風としては現存最古例である。日吉山王祭と祇園会を組み合わせる類例は近世初期を含めてほとんどないが、日吉社と祇園社は本末関係にあり、山王祭と祇園会も不可分な関係であったため、この二つの祭礼の組み合わせに違和感はない。 人物を描く線は軽快で、祭礼を見物する庶民の男性たちは、頬骨が高く、口髭や顎髭を蓄えた姿で描かれている。横顔の場合は後頭部が扁平で、耳は髪を描き残して形を作る。このような人物表現は、土佐光茂(生没年不詳)の個人様式を示している。また、斜めに俯瞰して描かれる水田は、光茂筆「桑実寺縁起」(天文元年(1532)、重要文化財、桑實寺蔵)との類似が指摘される。さらに整った形態の金雲は長々とたなびき、ほとんど金地と化すことはない。同様の金雲は光茂筆「車争図」(永禄3年(1560)、仁和寺蔵)にも見られる。このように本作には、天文~永禄年間に絵所預であり幕府関係の画事もなした土佐家の棟梁・光茂の特質がよくあらわされている。一方、複数の手が確認できることから、光茂が主宰し、複数の絵師が参加した工房で制作されたと判断される。 本作は、祭礼における人々の熱気と喧騒を表情豊かに伝える。風俗描写も豊かで、本作は狩野永徳筆「洛中洛外図」(国宝、米沢市上杉博物館蔵)をはじめとする初期洛中洛外図と並んで、近世初期に盛行する風俗画の先駆的な作例としても高く評価することができる。 また本作は、左右隻ともに祭礼の一場面を切り取るのではないところにも特徴がある。まず左隻では、祇園会の前祭と後祭の山鉾22基と、後祭で三条通を東進する3基の神輿還幸を同一画面内に描く。また、右隻では、期間の長い山王祭のなかで最初の神事である神輿あげを行う牛尾社・三宮社を画面右上に描き込んでおり、船渡御だけに絵師の関心があるわけではないことがうかがわれる。それだけ情報量が多く、細緻な描写が具体性に富むため、本作は中世の山王祭と祇園会、服飾等について研究する上でも注目されている。 以上のように本作は、土佐光茂が主宰する工房による優品として、風俗画の展開を考える上で欠かせない重要作例として、周辺分野でも注目される祭礼図屏風の古例として高く評価される。