国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
板絵金地著色繋馬図〈狩野山雪筆/〉
ふりがな
:
いたえきんじちゃくしょくつなぎうまず〈かのうさんせつひつ/〉
解説表示▶
員数
:
1面
種別
:
絵画
国
:
時代
:
江戸時代
年代
:
寛永十四年
西暦
:
1637
作者
:
狩野山雪
寸法・重量
:
縦249.0センチ 横355.5センチ
品質・形状
:
板絵金地著色
ト書
:
寛永十四年五月奉納の記がある
画賛・奥書・銘文等
:
(款記・印章)狩野縫殿助「山雪」(描朱文方印)
伝来・その他参考となるべき事項
:
昭和59年(1984)に本堂から宝蔵殿へ移動
指定番号(登録番号)
:
2135
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2024.08.27(令和6.08.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
寛永14年5月の奉納銘がある狩野山雪(1590~1651)による巨大な絵馬で、柱に繋がれながら前脚を勢いよく上げる黒い駿馬を画面いっぱいに描く。本作は、年記のある作例が少ない山雪において、貴重な基準作のひとつである。
金箔地に対象物を濃彩で大きく描く本作は、画面内に収まりきらない大きさの馬の力感を余すところなく表現し得ているが、そのために馬の姿勢や筋肉を不自然に誇張・変形している。たてがみには山雪ならではの細部への執着が、また猿そのものではなく猿の図柄のある胴巻を描くことには山雪の機知をうかがうことができる。
大型絵馬の奉納は、室町時代末期からおこなわれ、桃山時代には扁額形式の豪華なものも
制作されるようになる。本作はその流れを受けたもので、清水寺本堂(国宝、徳川家光寄進、
寛永10年・1633再建)の外陣南側に奉懸され、後に『扁額規範』(合川珉和、北川春成画、速水春暁斎編、文政2年・1819刊)に掲載されるなど、人々の注目を集め続けた大絵馬である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
寛永14年5月の奉納銘がある狩野山雪(1590~1651)による巨大な絵馬で、柱に繋がれながら前脚を勢いよく上げる黒い駿馬を画面いっぱいに描く。本作は、年記のある作例が少ない山雪において、貴重な基準作のひとつである。 金箔地に対象物を濃彩で大きく描く本作は、画面内に収まりきらない大きさの馬の力感を余すところなく表現し得ているが、そのために馬の姿勢や筋肉を不自然に誇張・変形している。たてがみには山雪ならではの細部への執着が、また猿そのものではなく猿の図柄のある胴巻を描くことには山雪の機知をうかがうことができる。 大型絵馬の奉納は、室町時代末期からおこなわれ、桃山時代には扁額形式の豪華なものも 制作されるようになる。本作はその流れを受けたもので、清水寺本堂(国宝、徳川家光寄進、 寛永10年・1633再建)の外陣南側に奉懸され、後に『扁額規範』(合川珉和、北川春成画、速水春暁斎編、文政2年・1819刊)に掲載されるなど、人々の注目を集め続けた大絵馬である。
詳細解説▶
詳細解説
幅32~38センチメートルの板を左右に10枚ならべた巨大な絵馬で、白下地の上に金箔を押し、柱に繋がれながら前脚を勢いよく上げる黒い駿馬を画面いっぱいに描く。画面右上部に「奉懸御寶前」、その下方に「宿坊/圓養院」、綱を挟んで左手に「願主/加藤市左衛門/原仁兵衛/河井甚次郎」、画面左上部に「寛永拾四年(1637)五月吉日」の墨書、画面左下に「狩野縫殿助「山雪」(描朱文方印)」の落款がある。 筆者の狩野山雪(1590~1651)は備前国の生まれ。いわゆる京狩野の祖・狩野山楽(1559~1635)の娘婿で、その後継者となった。「老梅図」(メトロポリタン美術館蔵)や「雪汀水禽図」(重要文化財、個人蔵)などに顕著な、形態の歪曲や細部へのこだわりから来る人工美と学者肌の理知性を兼ね備えた独自の画風で知られる。本作は山楽が没して2年後、すなわち山雪が山楽の跡職を継承して間もない時期に奉納されたもので、それゆえに記念碑的な性格が指摘される大作である。年記のある作例が少ない山雪研究において貴重な基準作の一つである。 金箔地に対象物を濃彩で大きく描く本作は、画面内に収まりきらない大きさの馬の力感を余すところなく表現し得ている。しかしそのために馬の姿勢や筋肉を不自然に誇張・変形している。その画趣は、養父山楽による妙法院の「繋馬図」(慶長19年・1614)の溌剌とした画趣とは一線を画す、山雪固有のものである。たてがみには山雪ならではの細部への執着が、また猿そのものではなく猿の図柄のある胴巻を描くことには山雪の機知をうかがうことができる。このように、山雪の画歴において比較的初期に位置する本作にはあ、山雪絵画の特質がすでにおおむね備わっているということができる。 大型絵馬の奉納はあ、室町時代末期からおこなわれ、桃山時代には扁額形式の豪華なものも制作されるようになる。本作はその流れを受けたもので、清水寺本堂(寛永10年(1633)再建、建造物国宝)の外陣南側に奉懸され、後に『扁額規範』(文政2年・1819刊)に掲載されるなど、人々の注目を集め続けた大絵馬である。 以上のように本作は、山雪の基準作として重要なだけでなく、京都を代表する大絵馬の一つとしても貴重である。