国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
羽衣天女〈本多錦吉郎筆 明治二十三年/油絵 麻布〉
ふりがな
:
はごろもてんにょ〈ほんだきんきちろうひつ めいじにじゅうさんねん/あぶらえ まふ〉
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員数
:
1面
種別
:
絵画
国
:
時代
:
明治時代
年代
:
明治二十三年
西暦
:
1890
作者
:
本多錦吉郎
寸法・重量
:
縦127.2センチ 横89.8センチ
品質・形状
:
油絵 麻布 額装
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
(款記・印章)明治廿三念三月
伝来・その他参考となるべき事項
:
(伝来)個人ー伊藤文化財団(平成11年購入)ー兵庫県立近代美術館(平成12年寄贈)
指定番号(登録番号)
:
2136
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2024.08.27(令和6.08.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
兵庫県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
兵庫県
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
本多錦吉郎は嘉永3年12月(1851年1月)に生まれた早期の洋画家で、明治初の渡欧画家である国沢新九郎に学び、画塾彰技堂を継承した。技法書の翻訳に努めるなど、大正10年(1921)に没するまで油画の発展に尽力し尊敬を集めた功労者である。本作は羽衣伝説を題材に、富士山を背に昇天する天女を描くもので、第3回内国勧業博覧会に出品され褒状を受けた。「世人が油絵を談ずるや先以て本多氏の羽衣天女を語る」(『洋画先覚本多錦吉郎』)と評されるなど、明治時代の油絵を代表するものとして知られた。
本多の訳書は、中村不折が「本多先生の訳書に拠る外はなかつた」(『日本美術界』2-3)、三宅克己が「私共美術学生の虎の巻とも云ふ可き貴重なものであつた」、「暗誦できる程読み耽つた」(『洋画先覚本多錦吉郎』)などと評するように、油画の普及に果たした役割の大きさが伝えられる。本作はその技法を知るうえで貴重であるばかりでなく、西洋絵画を日本の題材に翻案した趣意の作として話題となり、画題論争に至ったことでも知られる。時代を代表する絵画として学術的に重視されてきた本多の代表作である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
本多錦吉郎は嘉永3年12月(1851年1月)に生まれた早期の洋画家で、明治初の渡欧画家である国沢新九郎に学び、画塾彰技堂を継承した。技法書の翻訳に努めるなど、大正10年(1921)に没するまで油画の発展に尽力し尊敬を集めた功労者である。本作は羽衣伝説を題材に、富士山を背に昇天する天女を描くもので、第3回内国勧業博覧会に出品され褒状を受けた。「世人が油絵を談ずるや先以て本多氏の羽衣天女を語る」(『洋画先覚本多錦吉郎』)と評されるなど、明治時代の油絵を代表するものとして知られた。 本多の訳書は、中村不折が「本多先生の訳書に拠る外はなかつた」(『日本美術界』2-3)、三宅克己が「私共美術学生の虎の巻とも云ふ可き貴重なものであつた」、「暗誦できる程読み耽つた」(『洋画先覚本多錦吉郎』)などと評するように、油画の普及に果たした役割の大きさが伝えられる。本作はその技法を知るうえで貴重であるばかりでなく、西洋絵画を日本の題材に翻案した趣意の作として話題となり、画題論争に至ったことでも知られる。時代を代表する絵画として学術的に重視されてきた本多の代表作である。
詳細解説▶
詳細解説
本多錦吉郎は嘉永3年12月(1851年1月)に生まれた早期の洋画家である。明治初の渡欧画家である国沢新九郎に学び、その塾である彰技堂を継承した。技法書の翻訳をはじめ、油画を学ぼうとする者が西洋の知識を習得できる環境を整備した先駆者であり、大正10年(1921)に没するまで洋画の普及と発展に尽力して尊敬を集めた功労者である。 本作は明治23年(1890)の第3回内国勧業博覧会に出品され褒状を受けた本多の代表作である。羽衣伝説を題材に、富士山と駿河湾を背に昇天する天女を描く。明治末頃にはアメリカに渡り、シカゴ領事館を飾ったとも伝える(『洋画先覚本多錦吉郎』)。本多の力作としてばかりでなく、「世人が油絵を談ずるや先以て本多氏の羽衣天女を語る」(同書)などと評されるように、明治時代の油絵を代表するものとして知られた。 画面の各所にみられる技法は、本多が翻訳、紹介した油画技法書と対応することが指摘される。中村不折が「西洋の画論を知らんとするには何れも本多先生の訳書に拠る外はなかった」(『日本美術界』2-3)、三宅克己が「画学類纂は私共美術学生の虎の巻とも云ふ可き貴重なものであった。礼氏絵事弁。油絵山水訣など云ふ記事は、私共暗誦できる程読み耽つた」(『洋画先覚本多錦吉郎』)などと評するように、本多は当時の油画理解の結節点に位置しており、本多は社会的にも注目された稀少な現存作例として、その技法、ひいては日本油画の技法の展開を理解する上での学術的価値が甚だ高い。 また、本作は明治半ばにおける西洋美術受容の様相をよく示す作例とされ、特に最初期に属する歴史・神話主題の絵画として学術的に重視されてきた。発表時から西洋絵画を日本の題材に翻案した作として話題となり、歴史・神話主題の絵画の流行として注目され、画題論争に至ったことでも知られる。第3回内国勧業博覧会は、開催前から西洋の模倣を避けるべきとする方針が示されており、本作はこれを踏まえ、日本を代表する景勝地である富士山麓を舞台とし、能や歌舞伎で親しまれた羽衣伝説に取材したものと理解される。洋風絵画の排斥を経験し、油画の地位確立を目指す中、日本の油画として提示され関心を集めた代表的な作例としても価値が高い。 以上のように本作は、油画の展開に大きな役割を果たした本多錦吉郎の代表作であるとともに、本多自身が枢要な紹介者であった西洋絵画の受容の様相を考える上で不可欠な位置を占める。明治時代絵画史において、西洋絵画に学びつつ日本絵画としての油絵の在り方を模索した博覧会出品作として、また社会的な論争を惹起した作として学術的に重視されてきたものであり、時代を代表する絵画として貴重である。