国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
波切村〈小野竹喬筆/絹本著色 四曲屏風〉
ふりがな
:
なきりむら〈おのちっきょうひつ/けんぽんちゃくしょく よんきょくびょうぶ〉
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員数
:
1双
種別
:
絵画
国
:
時代
:
大正時代
年代
:
大正七年
西暦
:
1918
作者
:
小野竹喬
寸法・重量
:
(各)縦167.7センチ 横368.5センチ
品質・形状
:
各 絹本著色 屛風装
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
(款記・印章)各 竹喬「魚乙居主」(朱文方印)
伝来・その他参考となるべき事項
:
(伝来)飯田弟一ー同氏遺族ー笠岡市立竹喬美術館(平成21年寄贈)
指定番号(登録番号)
:
2137
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2024.08.27(令和6.08.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
岡山県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
笠岡市
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
小野竹喬(1889~1979)は近代を代表する日本画家で、風景画で名高い。本作は三重県の波切村(現志摩市)を描いたもので、大正7年、竹喬ら5名の画家が結成した国画創作協会の第1回展で発表された大作である。油絵を思わせる濃彩で描かれた緊密な構図の大画面は「急先鋒として新風景画創設に努めた一人」(鈴木氏享「郷土風景を掲載せる理由」『関西新美術』2-1・2)などと評された竹喬の模索の集大成で、竹喬は発表にあたり「色彩が見える以上、色を塗らない訳には行かぬ。そこで自然と洋画に似たやうなものになる」(「波切村」『美術画報』42-2)と説き、自ら「年一年と材料の苦が減じて、自分の自信を以て画くことが出来るやうになつた」(同)、「日本画でも自然を突きつめて行く事の出来る自信を得た」(『読売新聞』11月3日朝刊)と語る自信作であった。大正時代の日本画による風景表現の一典型を形成した竹喬の代表作であるとともに、作風展開の転換点にも位置しており、西洋絵画への接近が広く議論されていた同時期の風景画を代表するものである。
関連情報
(情報の有無)
附指定
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
小野竹喬(1889~1979)は近代を代表する日本画家で、風景画で名高い。本作は三重県の波切村(現志摩市)を描いたもので、大正7年、竹喬ら5名の画家が結成した国画創作協会の第1回展で発表された大作である。油絵を思わせる濃彩で描かれた緊密な構図の大画面は「急先鋒として新風景画創設に努めた一人」(鈴木氏享「郷土風景を掲載せる理由」『関西新美術』2-1・2)などと評された竹喬の模索の集大成で、竹喬は発表にあたり「色彩が見える以上、色を塗らない訳には行かぬ。そこで自然と洋画に似たやうなものになる」(「波切村」『美術画報』42-2)と説き、自ら「年一年と材料の苦が減じて、自分の自信を以て画くことが出来るやうになつた」(同)、「日本画でも自然を突きつめて行く事の出来る自信を得た」(『読売新聞』11月3日朝刊)と語る自信作であった。大正時代の日本画による風景表現の一典型を形成した竹喬の代表作であるとともに、作風展開の転換点にも位置しており、西洋絵画への接近が広く議論されていた同時期の風景画を代表するものである。
詳細解説▶
詳細解説
小野竹喬(1889~1979)は近代を代表する日本画家である。岡山県小田郡笠岡村(現在の笠岡市)に生まれ、京都で竹内栖鳳に師事した。大正7年(1918)には文部省美術展覧会(文展)を離れ、5人の画家で国画創作協会を結成し注目を集めた。生涯にわたり描き続けた風景画は特に高く評価されている。 本作は大正7年、前年の文展での自作の落選が議論を呼び、国画創作協会の結成が関心を集める中で制作され、同会第1回展で発表された意欲作である。大正前期には多くの画家が『白樺』などを介してセザンヌやゴーギャンらに憧憬し、取材旅行を盛んに行ったが、波切村(現三重県志摩市)は画家に好まれた土地の一つであり、竹喬も同地で写生を重ね、本作を構想した。油絵を思わせる濃彩で描かれた緊密な構図の大画面は、当時における竹喬の作風を典型的に示すとともに、西洋絵画への接近が広く議論されていた同時期の日本画の風景画を代表するものである。 大正前期において、多くの日本画家が自然の徹底した観察や自己の内面の表現を重視する立場から、西洋絵画や東洋古画の学習と再解釈を進める中、竹喬は風景表現の模索を主導した。本作はその集大成にあたる。竹喬は本作の発表にあたり「自然を着実に深く突き込んで写して行く」ため、「色彩が見える以上、色を塗らない訳には行かぬ。そこで自然と洋画に似たやうなものになる」(『美術画報』42-2)と説明しており、自ら「年一年と材料の苦が減じて、自分の自信を以て画くことが出来るやうになつた」(同)、「日本画でも自然を突きつめて行く事の出来る自信を得た」(『読売新聞』11月3日朝刊)と語る自信作であった。一方で翌年に「純客観ということは、日本画には不可能のこと」(『制作』臨時号)とするなど、竹喬は次第に方向性を転じており、本作はその作風展開の転換点にも位置している。 以上のように本作は、近代日本画に大きな足跡を残した小野竹喬の代表作であるとともに、その作風展開を考える上で不可欠な位置を占める。明朗で緊迫感のある大画面は多くの画家に影響を与えた竹喬の模索の到達点を示しており、国画創作協会第1回展に出品され注目を集めた記念碑的な作例として、また当時における日本画の風景表現を代表するものとして高く評価されるものである。なお、スケッチと試作が額装されてともに保存されている。竹喬の構想や制作過程を考える上での資料として貴重であり、附として一体的な保護を図る。
関連情報
附指定
画稿
関連情報
附指定
附名称
:
画稿
附員数
:
10面
附ト書
: