国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
多賀城関連遺跡群出漆紙文書
ふりがな
:
たがじょうかんれんいせきぐんしゅつどうるしがみもんじょ
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員数
:
29点
種別
:
古文書
国
:
日本
時代
:
奈良~平安時代
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
法量等省略
品質・形状
:
紙本墨書
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
746
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2024.08.27(令和6.08.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
宮城県
所在地
:
宮城県多賀城市中央2-27-1
保管施設の名称
:
多賀城市埋蔵文化財調査センター
所有者名
:
多賀城市
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
多賀城南方の城外地域に広がる国府域には、奈良時代に集落が、奈良時代末から平安時代にかけて、方格に区画された町並みがつくられた。多賀城関連遺跡群とは、この城外地域の山王遺跡と市川橋遺跡を指す。一般に漆紙文書とは、漆液が乾かないよう漆容器の蓋紙として再利用された古文書に漆が染みこみ、地中で腐らずに残ったものである。肉眼で視認できない場合でも、赤外線撮影等により文字の解読が可能となる場合が多い。
今回の漆紙文書の内容については、籍帳類、帳簿、暦、厩舎修理報告にかかる国司解案や国内でのやり取りに用いられた文書などがある。特に籍帳類のなかには、駅家経営の人員確保に関わるものなど、古代の籍帳制度や交通制度研究においても重要な史料がある。
本漆紙文書は、陸奥の国務に関わる貴重な史料を提供するとともに、多賀城城外の集落や町並みの造営年代を明らかにしており、東北古代史研究のみならず、古代の籍帳制度や交通制度および都市の研究においても、たいへん貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
多賀城南方の城外地域に広がる国府域には、奈良時代に集落が、奈良時代末から平安時代にかけて、方格に区画された町並みがつくられた。多賀城関連遺跡群とは、この城外地域の山王遺跡と市川橋遺跡を指す。一般に漆紙文書とは、漆液が乾かないよう漆容器の蓋紙として再利用された古文書に漆が染みこみ、地中で腐らずに残ったものである。肉眼で視認できない場合でも、赤外線撮影等により文字の解読が可能となる場合が多い。 今回の漆紙文書の内容については、籍帳類、帳簿、暦、厩舎修理報告にかかる国司解案や国内でのやり取りに用いられた文書などがある。特に籍帳類のなかには、駅家経営の人員確保に関わるものなど、古代の籍帳制度や交通制度研究においても重要な史料がある。 本漆紙文書は、陸奥の国務に関わる貴重な史料を提供するとともに、多賀城城外の集落や町並みの造営年代を明らかにしており、東北古代史研究のみならず、古代の籍帳制度や交通制度および都市の研究においても、たいへん貴重である。
詳細解説▶
詳細解説
陸奥国府・鎮守府であった多賀城には、城外地域としてその南方にも国府域が広がっている。ここには、まず奈良時代に多賀城の南西部に、区画溝と材木塀で囲まれた集落が形成される。その後、奈良時代の終わりから平安時代にかけて、政庁中軸線上の南北大路と多賀城外郭南辺に平行する東西大路を基準として、小路により方格に区画された町並みが形成され、そこには国守館が存在した。また延暦九年(七九〇)を上限として、旧河川を改修した運河が整備されていた。方格地割の広さは東西約一五〇〇メートル、南北約九〇〇メートルに及び、南側を区切る区画溝が発見されている。多賀城関連遺跡群とは、この城外地域に広がる山王遺跡と市川橋遺跡を指す。なお令和四年重文指定の「多賀城跡出土漆紙文書」(宮城県所有)のうち、多賀城南方の国府域から出土した漆紙文書は、発掘地区を宮城県と多賀城市で分けたうちの宮城県分である。 漆紙文書は、漆液が乾かないよう漆容器の蓋紙として再利用された古文書に漆が染みこみ、地中で腐らずに残ったものである。肉眼で視認できない場合でも、赤外線撮影等により文字の解読が可能となる場合が多い。 漆紙文書二九点の内訳は、山王遺跡が一二点、市川橋遺跡が一七点である。出土した漆紙文書について、多賀城跡では八世紀末から九世紀初頭までと九世紀中葉が多いようだが、城外の遺跡では時代の偏差は顕著でなく、多くは八世紀中葉から九世紀後半にかけてのもの出土している。細かく見ると、明確に八世紀代に位置付けられる漆紙文書は、多賀城跡南西部の奈良時代集落付近に集中する傾向がある。九世紀以降のものは南北大路付近から多く出土している。 漆紙文書の内容については、籍帳類、帳簿、暦、厩舎修理報告にかかる国司解案や国内でのやり取りに用いられた文書などがある。特に籍帳類の中には、養老五年(七二一)以前の様式を持つ計帳様文書や、駅家経営の人員確保に関わるものなど、古代の籍帳制度や交通制度研究においても重要な史料がある。上申文書である解の案文については、実際に陸奥国司によって作成・自署されたものとして注目される。暦は、月の大小や干支・暦注の組み合わせなどから、天平宝字七年(七六三)二月から三月の具注暦とされた。 漆紙文書の数量は城内に比べて城外はやや少ない。ただ、文書の種別としては多賀城跡と概ね共通している。これは公文書として国府や鎮守府で使用されたのちに、工房へ払下げられ、漆容器の蓋紙として転用されたものであるという、史料として同一の性格を有することに起因するものと考えられ、令和四年重文指定の「多賀城跡出土漆紙文書」(宮城県所有)との一体性が高い。 このように多賀城関連遺跡群出土漆紙文書は、陸奥の国務に関わる貴重な史料を提供するとともに、多賀城城外の集落や町並みの造営年代を明らかにしており、東北古代史研究のみならず、古代の籍帳制度や交通制度および都市の研究においても、たいへん貴重である。