国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
中山法華経寺文書
ふりがな
:
なかやまほけきょうじもんじょ
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員数
:
839通(17巻、106冊、4幅、689通、5鋪、6綴、3枚)
種別
:
古文書
国
:
日本
時代
:
鎌倉~明治時代
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
法量等省略
品質・形状
:
紙本墨書
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
747
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2024.08.27(令和6.08.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
千葉県
所在地
:
千葉県市川市2-10-1
保管施設の名称
:
法華経寺
所有者名
:
宗教法人 法華経寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
中山法華経寺文書は、日蓮の弟子富木常忍(法号日常、一二一六~九九)が開創した中山法華経寺に伝来した古文書である。
中世文書は、歴代の貫首が寺内の規則を記した置文や寺領に対する寄進状、安堵状、朱印状など中山法華経寺の寺院運営や寺領に関わる文書が中心である。この内、置文には聖教の護持が記載される。また、外護者であった千葉氏による所領の寄進状や上位権力が発給した安堵状からは、中山法華経寺の軌跡だけでなく、中世の下総国における武家勢力の展開がうかがわれる。
近世文書は、法要の費用をまとめた帳簿、寺院の来歴や法式をまとめた要録、奥女中の参詣に関する書状など寺院経済、寺院運営、信仰に関わる多様な文書が存在し、中世とは形を変えながらも存続した中山法華経寺の姿を知ることができる。
本文書は、下総国における日蓮宗や武家勢力の伸張を研究するための基礎史料として価値が高く、寺院史や東国武家史などを研究する上で、たいへん重要なものである。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
中山法華経寺文書は、日蓮の弟子富木常忍(法号日常、一二一六~九九)が開創した中山法華経寺に伝来した古文書である。 中世文書は、歴代の貫首が寺内の規則を記した置文や寺領に対する寄進状、安堵状、朱印状など中山法華経寺の寺院運営や寺領に関わる文書が中心である。この内、置文には聖教の護持が記載される。また、外護者であった千葉氏による所領の寄進状や上位権力が発給した安堵状からは、中山法華経寺の軌跡だけでなく、中世の下総国における武家勢力の展開がうかがわれる。 近世文書は、法要の費用をまとめた帳簿、寺院の来歴や法式をまとめた要録、奥女中の参詣に関する書状など寺院経済、寺院運営、信仰に関わる多様な文書が存在し、中世とは形を変えながらも存続した中山法華経寺の姿を知ることができる。 本文書は、下総国における日蓮宗や武家勢力の伸張を研究するための基礎史料として価値が高く、寺院史や東国武家史などを研究する上で、たいへん重要なものである。
詳細解説▶
詳細解説
中山法華経寺は、日蓮の弟子であり有力檀越であった日常(一二一六~九九)が開創した寺院である。日常は、もとは富木常忍という千葉氏の被官であり、出家して自らの館を持仏堂(法華寺)とした。法華寺は、同寺に隣接し、同じく持仏堂として成立した本妙寺とともに一体的な寺院として展開し、室町時代後期には法華経寺として統合され、現在に至っている。 本文書は、中世文書と近世文書からなる。中世文書は、歴代の貫首が寺内の規則を記した置文や寺領に対する寄進状、安堵状、朱印状など中山法華経寺の寺内運営や寺領に関わる文書が中心である。この内、永仁七年(一二九九)の年紀を持つ「日常置文」は、日常が末期に際して作成したものとされ、「聖人御書幷六十巻以下聖教等」を寺中から出すことを禁じ、一門の僧侶や信者たちが互いに協力することを指示する。中山法華経寺には「立正安国論」(昭和二十七年国宝指定)や「日蓮自筆遺文」(昭和四十二年重文指定)など日蓮所縁の聖教や文書が伝来し、置文の内容が厳護されてきたことがわかる。 寺領に関する文書としては、南北朝期に中山法華経寺の外護者であった千葉胤貞による一連の寄進状がある。胤貞は猶子日祐を三代貫主に据えるとともに、自身が地頭職を保有する所領内の田地を法華経寺へ寄進する。寄進された田地は四五町に及び、中山法華経寺の経済基盤が成立する端緒となった。 このようにして成立した中山法華経寺は、室町時代になると千葉氏だけでなく多様な上位権力から寺領の安堵を受けるようになる。安堵の主体は、室町時代中期には鎌倉公方が登場し、室町時代後期になると足利晴氏や北条氏政による安堵もみえるようになる。この内、足利晴氏が発給した天文十四年(一五四五)の安堵状は、法華経寺を「諸法華宗之頂上」の本寺であることを免許し、江戸時代に継続する本山寺院としての性格が示されている。 近世文書は、寺院の経済や運営、信仰に関わる多様な文書が存在する。寺院経済に関する文書としては、廻向の志納料や祠堂金をまとめた帳簿や借用証文がある。寺院運営に関する文書としては、寺内で作成された法式や要録のほか、末寺との間で交わされた免許状や裁許状などの文書が多い。信仰に関する文書としては、大奥からの寄進や奥女中の祈祷や参詣に関する文書が多い。 以上のように、本文書は、中世以来、下総国における日蓮宗の中心寺院であった中山法華経寺の展開を示す文書がまとまって伝来し、日蓮宗や武家勢力の伸張を研究するための基礎史料として学術的価値が高く、我が国の寺院史や東国武家史などを研究する上で、たいへん重要である。