国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
西福寺文書
ふりがな
:
さいふくじもんじょ
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員数
:
556通(26巻、163冊、1帖、32幅、59通、1綴、7枚)
種別
:
古文書
国
:
日本
時代
:
鎌倉~明治時代
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
法量等省略
品質・形状
:
紙本墨書
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
748
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2024.08.27(令和6.08.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
福井県
所在地
:
福井県敦賀市相生町7-8
保管施設の名称
:
敦賀市立博物館
所有者名
:
宗教法人 西福寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
大原山西福寺は、福井県敦賀市の浄土宗寺院である。応安元年(一三六八)に良如が開創し、江戸時代末には、末寺は越前を中心に五三箇寺を数えた。
この文書は鎌倉時代後期から明治時代までの文書を含む。明徳元年(一三九〇)に後円融上皇、足利義持・義教等の祈願所となった際の院宣、御判御教書や、山内氏等の地元領主からの寄進状、斯波氏、朝倉氏、織豊政権からの禁制や安堵状、同寺所蔵『一切経勧進経』(いずれも大正三年重文指定)に関するものなど、その内容は豊富である。江戸時代に入ってからも藩から諸役を免除されてきたが、文化年間に負担を命ぜられた。しかし、これらの古文書によって先例を示し、免除の維持に成功した。
中世の浄土宗寺院文書がまとまって伝来する事例は少なく、西福寺文書は多くの研究に用いられてきた。我が国の政治史、経済史、文化史等の研究上、価値が高い文書群である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
大原山西福寺は、福井県敦賀市の浄土宗寺院である。応安元年(一三六八)に良如が開創し、江戸時代末には、末寺は越前を中心に五三箇寺を数えた。 この文書は鎌倉時代後期から明治時代までの文書を含む。明徳元年(一三九〇)に後円融上皇、足利義持・義教等の祈願所となった際の院宣、御判御教書や、山内氏等の地元領主からの寄進状、斯波氏、朝倉氏、織豊政権からの禁制や安堵状、同寺所蔵『一切経勧進経』(いずれも大正三年重文指定)に関するものなど、その内容は豊富である。江戸時代に入ってからも藩から諸役を免除されてきたが、文化年間に負担を命ぜられた。しかし、これらの古文書によって先例を示し、免除の維持に成功した。 中世の浄土宗寺院文書がまとまって伝来する事例は少なく、西福寺文書は多くの研究に用いられてきた。我が国の政治史、経済史、文化史等の研究上、価値が高い文書群である。
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詳細解説
大原山西福寺は、敦賀市原にある浄土宗寺院である。同文書によれば、応安元年(一三六八)に良如(一三四四~一四一二)が開創した。明徳元年(一三九〇)に後円融上皇の勅願所となり、その後、後花園天皇の勅願所、足利義持・義教の祈願所となるなど、朝廷、幕府等の信仰を集め、江戸時代には、末寺は越前を中心に、若狭、近江に五三箇寺を数えた。 同文書は鎌倉時代後期から明治時代までの文書を含む。開創翌年の応安二年の「山内重経寄進状」以来、同寺が所在する櫛川郷の地頭山内氏による寺領に関する文書が多数含まれる。これらからは、山内氏の寄進は、寺による売得を伴う売寄進が少なからず行われたことがわかる。 応永二十年(一四一三)以降は山内氏の安堵状に越前守護斯波氏や敦賀郡代の安堵状が添えられるようになり、山内氏の支配力が相対的に低下する一方で、西福寺が着実に中央との関係を深化させていることが知られる。 文安二年(一四四五)の「後花園天皇綸旨」等によって、西福寺がこの頃に一切経勧進を行っていることが知られ、同寺所蔵の嘉吉三年(一四四三)の書写奥書をもつ重要文化財『紙本墨書般若心経〈二条持基筆〉』、『一切経勧進経』はこの時寄進された。ここからも中央との強い関わりが知られる。 朝倉氏による越前支配においては、西福寺領の安堵や敦賀郡支配について、朝倉氏も郡代を通じた支配を継承したことがわかる文書が数多く含まれ、その支配を物語っている。 織田信長は朝倉氏を滅ぼした後、家臣を通して西福寺への禁制発給や寺領安堵を行った。法華宗と浄土宗僧侶のいわゆる安土宗論に関しては、浄土宗側である西光寺の貞安から、宗論に関する書状に添えて、負けた法華宗僧侶の法衣の裂が送られ、文書と共に伝えられて貴重な記録となっている。豊臣政権下では大谷吉継が敦賀郡を支配し、西福寺に同様の庇護を与えた。 江戸時代においては、結城秀康、松平忠直、小浜藩酒井氏、支藩の敦賀藩の庇護を受けた。文化年間には免除されてきた諸役の負担を言い渡されるものの、中世以来の諸役免除についての所蔵文書を元にその撤回を勝ち取った。 中世の浄土宗寺院文書がまとまって伝来する事例は少なく、西福寺文書は多くの研究に用いられてきた。我が国の政治史、経済史、文化史等の研究上、価値が高い文書群である。