国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
在山素璿像(明兆筆)
ふりがな
:
ざいざんそせんぞう みょうちょうひつ
解説表示▶
員数
:
1幅
種別
:
絵画
国
:
日本
時代
:
室町時代
年代
:
応永13年
西暦
:
1406
作者
:
明兆
寸法・重量
:
縦114.4センチ 横57.6センチ
品質・形状
:
絹本着色 掛幅装 画絹一副一鋪
ト書
:
応永十三年八月二十四日仲方円伊の賛がある
画賛・奥書・銘文等
:
「明兆」(朱文鼎印)
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
2143
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2025.09.26(令和7.09.26)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
東福寺第49世在山素璿(1384没)の肖像画で、同寺の画僧である明兆 (「みんちょう」とも読む。1352~1431)の基準印を有する絹本の秀作である。在山と親しかった仲方円伊 (1354~1413)が在山23回忌の年にあたる応永13年に賛を書いており、在山の高弟の求めで作られたことがわかる。東福寺伝来で落款と年記のある明兆作は、明兆ひいては日本の南北朝期から室町時代初期にかけての絵画史を考える上での基準作としてそのほとんどが重要文化財に指定されており、本作についてもそれらに加わるべき作として高く評価することができる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
東福寺第49世在山素璿(1384没)の肖像画で、同寺の画僧である明兆 (「みんちょう」とも読む。1352~1431)の基準印を有する絹本の秀作である。在山と親しかった仲方円伊 (1354~1413)が在山23回忌の年にあたる応永13年に賛を書いており、在山の高弟の求めで作られたことがわかる。東福寺伝来で落款と年記のある明兆作は、明兆ひいては日本の南北朝期から室町時代初期にかけての絵画史を考える上での基準作としてそのほとんどが重要文化財に指定されており、本作についてもそれらに加わるべき作として高く評価することができる。
詳細解説▶
詳細解説
在山素璿は南北朝期の聖一派僧で、東福寺第四十九世を嗣席し、法堂再興を呼びかける疏を作るなど、東福寺の伽藍復興に尽力した。至徳元年(一三八四)三月十二日に没し、大同庵(廃絶)が塔所となった。本作はその遺像である。 在山の寿像の現存は確認されていない。本作は遺像とはいえ、繊細な描線と柔らかな彩色による面貌は精彩に富み、像主の風貌をよく伝えるとみなされる。袈裟等の文様表現も精緻で、禅僧の肖像画としても破綻がなく、筆者の優れた技術が示されている。 画隅には「明兆」印が捺される。この鼎印については、従来、本作に捺されることと、住吉広行筆「明兆自画像模本」(天明五年・一七八五、原本は永徳三年・一三八三、東福寺蔵)に同様の印影が写されること、「明兆筆」の款記を伴う「白衣観音図」(重要文化財、天性寺)に同種の印が捺されることは知られていたが、明兆(一三五二~一四三一。「みょうちょう」と読まれた可能性が高いが、現在は一般的に「みんちょう」と読まれている)の基準印としては疑問を残していた。しかし永徳元年(一三八一)六月二十六日付「永明院三塔頭条々新規」(永明院蔵)に花押の代わりとして捺された印影が基準となることが判明したことにより、本作に捺された印が明兆の基準印であると確認されるに至った。衣文線に沿って強めに陰影をつける手法は明兆とその周辺に通底する特徴であり、様式的にも本作は明兆様式の範疇に収まると言うことができる。 像の上方には仲方円伊(一三五四~一四一三)が、応永十三年八月二十四日に賛を寄せている。在山の二十三回忌は同年三月十二日であり、これをひとつの契機として本作が作られた可能性があろう。仲方は大覚派僧で、応永九年に播磨法雲寺に入り、同十四年に山城広覚寺に出世し、最終的には南禅寺住持まで務めた、その当時有数の碩学である。この賛によれば、在山の高弟である信翁元潮(生没年不詳)の求めで作られたことがわかる。現状ではこの賛に印記は確認できないが、数点知られる画賛の筆跡と大きく異なるものではなく、為書の内容もかなり個人的かつ具体的であり、年記を含めて強いて疑うほどの根拠はない。 以上のように本作は明兆による肖像画の佳品であり、応永十三年の年記を有する貴重な作例として、その資料的な価値が高く評価されるものである。