国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
福岡県英彦山経塚出土品
ふりがな
:
ふくおかけんひこさんきょうづかしゅつどひん
解説表示▶
員数
:
一括
種別
:
考古資料
国
:
日本
時代
:
平安
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00443
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1988.06.06(昭和63.06.06)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
福岡県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
英彦山神宮
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
英彦山は、出羽三山、大峯山と共に修験道の聖地として知られ、その信仰の歴史は十世紀以前にまで遡る。
本遺品の一括は、南岳出土の銅経筒六口分と、北岳出土の銅経筒二口、金銅如来立像一躯で構成される。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
添付ファイル
なし
解説文
英彦山は、出羽三山、大峯山と共に修験道の聖地として知られ、その信仰の歴史は十世紀以前にまで遡る。 本遺品の一括は、南岳出土の銅経筒六口分と、北岳出土の銅経筒二口、金銅如来立像一躯で構成される。
詳細解説▶
詳細解説
英彦山は、出羽三山、大峯山と共に修験道の聖地として知られ、その信仰の歴史は十世紀以前にまで遡る。英彦山の中心となる神域は、建保元年(一二一三)の『彦山流記【ひこさんるき】』に、その範囲が記されており、南岳を最高峰とする中岳、北岳の三峰に三所権現が垂迹し、如意宝珠を埋めたという記事から、ここに信仰の中心が求められる。本遺品は、この三峰山頂の学術調査(昭和五十七~五十九年)出土品及び、それ以前の出土品を含めたものである。 本遺品の一括は、南岳出土の銅経筒六口分と、北岳出土の銅経筒二口、金銅如来立像【こんどうによらいりゆうぞう】一躯で構成される。この中で、南岳出土の銅経筒には、永久元年(一一一三)刻銘の一口を含み、「彦御山…」で始まるその銘文は、『中右記』寛治八年(一〇九四)条に次ぐ、英彦山についての古い記録となっている。また、銘文中の「勧進僧厳与」の名は、福岡県観音寺境内出土経筒にも見られ、このことは筑前地方に多く発見される積上式経筒【つみあげしききようづつ】が、本遺品中にも三ないし四口含まれていることと合わせて、英彦山が筑前と親縁な関係にあったことを示唆している。 また北岳出土の銅如来立像(銅筒蓋共)は、銅筒の銘文によると、法躰嶽【ほつたいだけ】(北岳)から銅筒と共に発見され、通蔵坊に滞在中の僧慶俊が、永正十三年(一五一六)、同所に再理納したものであることがわかる。像は髪部高く珠状の螺髪【らほつ】で額が広く面長、衲衣【のうえ】は通肩、右手与願【よがん】、左手施無畏【せむい】印を結ぶ、新羅仏【しらぎぶつ】の優作で、別鋳の八角台座と蓮弁上に立つ。 本遺品の一括は、九州の山岳信仰にかかる経塚出土遺物として、求菩堤山【くぼてさん】、四王寺【しおうじ】、武蔵寺【むぞうじ】などと並び、代表的なものであり、経塚研究上その学術的価値には高いものがある。
関連情報
一つ書
一、銅経筒
一、銅経筒〈残欠共/〉
一、銅経筒
一、銅如来立像(銅筒蓋共)
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、銅経筒
一つ書員数
:
一口
ト書
:
永久元年十一月廿七日勧進僧厳与の刻銘がある/(南岳出土)
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、銅経筒〈残欠共/〉
一つ書員数
:
五口分
ト書
:
(南岳出土)
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、銅経筒
一つ書員数
:
二口
ト書
:
(北岳出土)
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、銅如来立像(銅筒蓋共)
一つ書員数
:
一躯
ト書
:
銅筒蓋に永正十三年の後刻銘がある/(北岳出土)