国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
大槻玄沢関係資料
ふりがな
:
おおつきげんたくかんけいしりょう
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員数
:
169点
種別
:
歴史資料
国
:
日本
時代
:
江戸
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00073
枝番
:
0
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1994.06.28(平成6.06.28)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
東京都新宿区西早稲田1-6-1
保管施設の名称
:
早稲田大学
所有者名
:
早稲田大学
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
大槻玄沢は宝暦七年(一七五七)、仙台藩支藩一関藩の藩医大槻玄梁の子として生まれた。名は茂質、字は子煥、号は磐水で、玄沢は通称である。同藩の外科医建部清庵に学んだのち、江戸に出て杉田玄白に蘭学・医学を学び、また前野良沢にも医学、オランダ語を学んだ。長崎に遊学して、本木良永、吉雄耕牛についてオランダ語と医学を修めた後、江戸で仙台本藩の医員に抜擢された。玄沢は自邸にオランダ語・オランダ流医学の学習を主とする日本最初の蘭学塾「芝蘭堂」を開き多数の弟子を育てる一方、多くの著作・翻訳を行った。芝蘭堂からは、稲村三伯(海上随鴎)、宇田川玄随、宇田川玄真、小石元俊、辻蘭堂、橋本宗吉、山村昌永等の優れた門人が輩出し、江戸における蘭学の中心の観を呈した。
主著には、蘭学・オランダ語の入門書『蘭学階梯【らんがくかいてい】』、師杉田玄白が着手していたハイステルの外科書翻訳を玄沢が引き継いだ『瘍医新書【よういしんしよ】』、同じく玄白の命を受けた『解体新書』の改訂版『重訂解体新書【ちようていかいたいしんしよ】』等がある。文化八年(一八一一)には幕府の天文方蛮書和解御用となり、オランダ通詞馬場貞由等とともにショメールの百科辞典の翻訳に従事して、のち『厚生新編』として刊行された。
医学・オランダ語以外でも、仙台領漁民の漂流・外国見聞談を編述した『環海異聞』や、日露関係の歴史に関する『北辺探事』、イギリスの東アジア海域での覇権に注目した『捕影問答』など外国事情に関する著作も多い。文政十年(一八二七)、七十一歳で歿した。
今回指定となった大槻玄沢関係資料は以上の玄沢の経歴、研究著作活動等に関連するものである。
著述稿本類には、『重訂解体新書』とその挿図編下図である『重訂解体新書図編』、玄沢の指導下に稲村三伯が編纂した日蘭辞書『ハルマ和解【わげ】(江戸ハルマ)』、外国事情・歴史・博物的関心に基づく種々の見聞を記録した『〓港漫録【えんこうまんろく】』、煙草に関する考証や民俗、伝来史である『篶録【えんろく】』、門下生長谷川宗僊筆録の『磐水先生随筆』、西川如見編、玄沢附説、山村昌永考訂の『訂正四十二国人物図説』、遣欧使節支倉常長将来品実見の記の『金城秘蘊【きんじようひうん】』などがある。
文書、記録類には、玄沢の履歴記録である『官途要録』、門人名簿である『載書【さいしよ】』、門下生西島正廸編の『磐水先生著述書目』、ロシア等の外国事情に関する記録『北槎集録【ほくさしゆうろく】』、文化元年のロシア船長崎来航に関する記録『ヲロシア船渡来一件』などがある。
書状類には、玄沢宛の諸家の書状を中心とした『流風余韻』、出島商館長ドゥーフの玄沢宛書簡を含む『大槻文庫蘭文書翰集』、玄沢の死を悼む書状を集成した『敬惜帖【けいしやくちよう】』などがある。
考証資料類には、イエズス会宜教師フェルビースト(南懐仁)等撰『西方要紀・外国竹枝詞・安南雑記』、秦檍丸(村上島之允)撰『膃肭臍【おつとせい】図考』、松崎慊堂撰『陸奥国磐水天工橋記』、鬼室集斯の墓碑に関する『近江蒲生郡小野村古碑略考』、サフラン花弁とその考証をした『泊夫濫【サフラン】花弁』などがある。
肖像画類には、玄沢肖像の『磐水府君真影』(小田百谷筆)、『杉田玄白肖像』(石川大浪筆)、『建部清庵肖像』、蘭学者が太陽暦の元旦を祝い蘭学の発展を期した『芝蘭堂新元会図』などがある。
大槻玄沢は、杉田玄白・前野良沢らが先駆けとなった蘭学を開花させ、その統率者となり蘭学の発展に大きな貢献をしたが、これらの資料は玄沢の多方面の活動を示すとともに、わが国の蘭学を含めた学芸史上にきわめて重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
添付ファイル
なし
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解説文
大槻玄沢は宝暦七年(一七五七)、仙台藩支藩一関藩の藩医大槻玄梁の子として生まれた。名は茂質、字は子煥、号は磐水で、玄沢は通称である。同藩の外科医建部清庵に学んだのち、江戸に出て杉田玄白に蘭学・医学を学び、また前野良沢にも医学、オランダ語を学んだ。長崎に遊学して、本木良永、吉雄耕牛についてオランダ語と医学を修めた後、江戸で仙台本藩の医員に抜擢された。玄沢は自邸にオランダ語・オランダ流医学の学習を主とする日本最初の蘭学塾「芝蘭堂」を開き多数の弟子を育てる一方、多くの著作・翻訳を行った。芝蘭堂からは、稲村三伯(海上随鴎)、宇田川玄随、宇田川玄真、小石元俊、辻蘭堂、橋本宗吉、山村昌永等の優れた門人が輩出し、江戸における蘭学の中心の観を呈した。 主著には、蘭学・オランダ語の入門書『蘭学階梯【らんがくかいてい】』、師杉田玄白が着手していたハイステルの外科書翻訳を玄沢が引き継いだ『瘍医新書【よういしんしよ】』、同じく玄白の命を受けた『解体新書』の改訂版『重訂解体新書【ちようていかいたいしんしよ】』等がある。文化八年(一八一一)には幕府の天文方蛮書和解御用となり、オランダ通詞馬場貞由等とともにショメールの百科辞典の翻訳に従事して、のち『厚生新編』として刊行された。 医学・オランダ語以外でも、仙台領漁民の漂流・外国見聞談を編述した『環海異聞』や、日露関係の歴史に関する『北辺探事』、イギリスの東アジア海域での覇権に注目した『捕影問答』など外国事情に関する著作も多い。文政十年(一八二七)、七十一歳で歿した。 今回指定となった大槻玄沢関係資料は以上の玄沢の経歴、研究著作活動等に関連するものである。 著述稿本類には、『重訂解体新書』とその挿図編下図である『重訂解体新書図編』、玄沢の指導下に稲村三伯が編纂した日蘭辞書『ハルマ和解【わげ】(江戸ハルマ)』、外国事情・歴史・博物的関心に基づく種々の見聞を記録した『〓港漫録【えんこうまんろく】』、煙草に関する考証や民俗、伝来史である『篶録【えんろく】』、門下生長谷川宗僊筆録の『磐水先生随筆』、西川如見編、玄沢附説、山村昌永考訂の『訂正四十二国人物図説』、遣欧使節支倉常長将来品実見の記の『金城秘蘊【きんじようひうん】』などがある。 文書、記録類には、玄沢の履歴記録である『官途要録』、門人名簿である『載書【さいしよ】』、門下生西島正廸編の『磐水先生著述書目』、ロシア等の外国事情に関する記録『北槎集録【ほくさしゆうろく】』、文化元年のロシア船長崎来航に関する記録『ヲロシア船渡来一件』などがある。 書状類には、玄沢宛の諸家の書状を中心とした『流風余韻』、出島商館長ドゥーフの玄沢宛書簡を含む『大槻文庫蘭文書翰集』、玄沢の死を悼む書状を集成した『敬惜帖【けいしやくちよう】』などがある。 考証資料類には、イエズス会宜教師フェルビースト(南懐仁)等撰『西方要紀・外国竹枝詞・安南雑記』、秦檍丸(村上島之允)撰『膃肭臍【おつとせい】図考』、松崎慊堂撰『陸奥国磐水天工橋記』、鬼室集斯の墓碑に関する『近江蒲生郡小野村古碑略考』、サフラン花弁とその考証をした『泊夫濫【サフラン】花弁』などがある。 肖像画類には、玄沢肖像の『磐水府君真影』(小田百谷筆)、『杉田玄白肖像』(石川大浪筆)、『建部清庵肖像』、蘭学者が太陽暦の元旦を祝い蘭学の発展を期した『芝蘭堂新元会図』などがある。 大槻玄沢は、杉田玄白・前野良沢らが先駆けとなった蘭学を開花させ、その統率者となり蘭学の発展に大きな貢献をしたが、これらの資料は玄沢の多方面の活動を示すとともに、わが国の蘭学を含めた学芸史上にきわめて重要である。
関連情報
一つ書
一、著述稿本類
一、文書、記録類
一、書状類
一、考証資料類
一、詠草類
一、肖像画類
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、著述稿本類
一つ書員数
:
七十二冊、二幅、二巻、二通、九枚、一点
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、文書、記録類
一つ書員数
:
二十三冊、五帖、二巻
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、書状類
一つ書員数
:
五巻、八通、一枚
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、考証資料類
一つ書員数
:
二十二冊、一巻、一通、二枚、三点
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、詠草類
一つ書員数
:
一冊、二幅
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、肖像画類
一つ書員数
:
五幅
ト書
: