国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
船大工樗木家関係資料
ふりがな
:
ふなだいくおうてきけかんけいしりょう
上:「関船許之状」下:「安宅型軍船図」
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員数
:
575点
種別
:
歴史資料
国
:
日本
時代
:
江戸
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00077
枝番
:
0
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1995.06.15(平成7.06.15)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
鹿児島県
所在地
:
薩摩川内市川内歴史資料館 鹿児島県薩摩川内市中郷2-2-6
保管施設の名称
:
薩摩川内市川内歴史資料館
所有者名
:
薩摩川内市
管理団体・管理責任者名
:
上:「関船許之状」下:「安宅型軍船図」
解説文:
鹿児島県川内市久見崎にはかつて薩摩藩直轄軍港があり、樗木家はその船大工を勤めた家である。本資料は江戸時代中期に惣船大工役を勤めた樗木七郎右衛門に関係する資料を中心とした文書記録類・差図・道具等からなり、明暦三年(一六五七)から享和二年(一八〇二)までの一四五年間にわたる。七郎右衛門のものを主体として、嫡子辰十郎のもの等を含むが、七郎右衛門に関する資料の上限は明和四年(一七六七)で、それ以前の相当数は師の長崎家の資料である。明和二年七月に長崎金兵衛が樗木七郎右衛門に惣船大工役を譲った際、長崎家伝来の差図や建造記録などの一切を授けたものであろう。
文書記録類は許状(伝授書)・木割書(秘伝書)・寸法書・建造記録・造船の神事祭事関係文書・人事や勤務関係文書・家政関係文書等を含む。許状は一巻あり、師匠からの技術伝授証明書で、最も重んじられた。多数の建造資料からは種々の型の藩船の新造・改修の年月・経過・寸法等が分かる。特に木割書・寸法書や造船材料・使用人数を書き上げた記録は貴重であり、神事祭事関係文書も造船儀礼を知るうえで興味深い。また勤務関係の資料には七郎右衛門の職歴書上留もあり、辰十郎・六郎右衛門・七郎次等の木製船大工職札四枚もある。
差図は五八点あり、許状とともに伝授された安宅船図・関船図・川御座船図などのほか、船建造のための平面図・立面図・断面図・部分図等があり、板図二面もある。安宅船とは戦国時代に急速な発達を遂げた強力な大型軍船で、慶長十四年(一六〇九)に徳川家康は西国大名の安宅船所有と建造を禁じたが、船大工は密かにその木割法や図面を所有し、秘伝として伝えたのであろう。安宅船図の正確な差図はごくわずかしか伝わらず、樗木家のものはそのなかでも明暦三年と古く、実態の知られない安宅船の好資料である。
道具類は墨壺・鉋・木槌・手斧・錐などがある。
樗木家資料は、天和・元禄・宝永・享保期という古い建造記録があり、多数の差図類とともに造船技術史上の貴重資料であるが、船大工家の継承や勤務の状況を示す資料もあり、江戸時代の造船および造船技術者について総合的に知ることのできる一括資料である。量的にも質的にも現存する船大工家資料の随一といって差し支えなかろう。
なお、本資料は昭和五十九年八月に樗木家より川内市に寄贈された。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
添付ファイル
なし
写真一覧
上:「関船許之状」下:「安宅型軍船図」
写真一覧
上:「関船許之状」下:「安宅型軍船図」
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解説文
鹿児島県川内市久見崎にはかつて薩摩藩直轄軍港があり、樗木家はその船大工を勤めた家である。本資料は江戸時代中期に惣船大工役を勤めた樗木七郎右衛門に関係する資料を中心とした文書記録類・差図・道具等からなり、明暦三年(一六五七)から享和二年(一八〇二)までの一四五年間にわたる。七郎右衛門のものを主体として、嫡子辰十郎のもの等を含むが、七郎右衛門に関する資料の上限は明和四年(一七六七)で、それ以前の相当数は師の長崎家の資料である。明和二年七月に長崎金兵衛が樗木七郎右衛門に惣船大工役を譲った際、長崎家伝来の差図や建造記録などの一切を授けたものであろう。 文書記録類は許状(伝授書)・木割書(秘伝書)・寸法書・建造記録・造船の神事祭事関係文書・人事や勤務関係文書・家政関係文書等を含む。許状は一巻あり、師匠からの技術伝授証明書で、最も重んじられた。多数の建造資料からは種々の型の藩船の新造・改修の年月・経過・寸法等が分かる。特に木割書・寸法書や造船材料・使用人数を書き上げた記録は貴重であり、神事祭事関係文書も造船儀礼を知るうえで興味深い。また勤務関係の資料には七郎右衛門の職歴書上留もあり、辰十郎・六郎右衛門・七郎次等の木製船大工職札四枚もある。 差図は五八点あり、許状とともに伝授された安宅船図・関船図・川御座船図などのほか、船建造のための平面図・立面図・断面図・部分図等があり、板図二面もある。安宅船とは戦国時代に急速な発達を遂げた強力な大型軍船で、慶長十四年(一六〇九)に徳川家康は西国大名の安宅船所有と建造を禁じたが、船大工は密かにその木割法や図面を所有し、秘伝として伝えたのであろう。安宅船図の正確な差図はごくわずかしか伝わらず、樗木家のものはそのなかでも明暦三年と古く、実態の知られない安宅船の好資料である。 道具類は墨壺・鉋・木槌・手斧・錐などがある。 樗木家資料は、天和・元禄・宝永・享保期という古い建造記録があり、多数の差図類とともに造船技術史上の貴重資料であるが、船大工家の継承や勤務の状況を示す資料もあり、江戸時代の造船および造船技術者について総合的に知ることのできる一括資料である。量的にも質的にも現存する船大工家資料の随一といって差し支えなかろう。 なお、本資料は昭和五十九年八月に樗木家より川内市に寄贈された。
関連情報
一つ書
一、文書記録類
一、差図類
一、道具類
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、文書記録類
一つ書員数
:
二百十五冊、十四巻、一帖、二百七十通、四枚
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、差図類
一つ書員数
:
十巻、四十六通、二枚
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、道具類
一つ書員数
:
十二点、一包
ト書
: