国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造伝切阿坐像
ふりがな
:
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員数
:
1躯
種別
:
彫刻
国
:
日本
時代
:
南北朝
年代
:
1327
西暦
:
1327
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
像内に嘉暦二年六月、仏師法橋仙賢の銘がある
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
03471
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1998.06.30(平成10.06.30)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
滋賀県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
高宮寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
法衣の上に袈裟をまとい、胸前で合掌して坐す時宗祖師通途の姿で表された等身大の肖像で、像主については、寺伝では本寺の初代住持、切阿上人の像と伝えられる。
ヒノキ材の寄木造で玉眼を嵌入し、頭体は別材製になる。頭部は両耳後で前後二材、体幹部は両外側部を含め、正中および体側で矧ぐ大略四材矧の構造である。頭体部とも内刳を施すが、体内で頭部の首〓を受ける上面部を棚状に刳り残す。また体側部材の各矧目には二、三センチメートルほどのマチ材を挟む。
正面を見据え、肉付けのよい鼻と一文字に結んだ口元を表す面長の相貌は生彩があり、体部も着衣の衣褶などに多少形式化した表現がみられるが、膝と袖を大きく広げ、上体の奥行を十分にとった姿態は安定感があり、猫背ぎみに背を丸めた側面観も自然である。
像内体幹部左側面材正面に記された銘文によって、嘉暦二年(一三二七)に仏師法橋仙賢によって造られたことが判明する。仙賢については、他の事績は知られず、その系統は明らかにし難い。ただ、本像の作風が建武元年(一三三四)に七条仏師とみられる幸俊作の京都・長楽寺の木造一鎮坐像(重文)と明らかに異なり、また体幹部を四材から構成し、頭部の頸〓を受ける棚を体幹材から造りだす造像技法が、鎌倉時代末期ころに製作された時宗祖師諸像のなかでも特異な造形をみせる山梨・称願寺他阿上人真教坐像(重文)に通じているところから、七条仏師と異なる系統の仏師とみられる。初代上人は『他阿上人法語』に登場する「高宮の切阿弥陀仏」、あるいは『時宗過去帳 僧衆』の「切阿弥陀仏 高宮」(元徳二年〈一三三〇〉二月十七日示寂)に当たると思われ、本像が寺伝どおり切阿上人とすれば、その示寂の三年前に造られた寿像となる。左目が右目より大きめで、両眉の端が少し垂れ下がり、両耳が外側に張り出すといった顔立ちの細部の特色や、あるいは後頭部に肉の弛みを表すといったことまでも、かなり入念に表現されていることから、本像が寿像として製作された可能性も考慮されよう。
時宗僧侶の肖像彫刻のなかでも、銘文によって鎌倉時代にさかのぼることが確認できる現存唯一の基準作例として貴重であるとともに、鎌倉時代末期の肖像彫刻の秀作といえよう。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
法衣の上に袈裟をまとい、胸前で合掌して坐す時宗祖師通途の姿で表された等身大の肖像で、像主については、寺伝では本寺の初代住持、切阿上人の像と伝えられる。 ヒノキ材の寄木造で玉眼を嵌入し、頭体は別材製になる。頭部は両耳後で前後二材、体幹部は両外側部を含め、正中および体側で矧ぐ大略四材矧の構造である。頭体部とも内刳を施すが、体内で頭部の首〓を受ける上面部を棚状に刳り残す。また体側部材の各矧目には二、三センチメートルほどのマチ材を挟む。 正面を見据え、肉付けのよい鼻と一文字に結んだ口元を表す面長の相貌は生彩があり、体部も着衣の衣褶などに多少形式化した表現がみられるが、膝と袖を大きく広げ、上体の奥行を十分にとった姿態は安定感があり、猫背ぎみに背を丸めた側面観も自然である。 像内体幹部左側面材正面に記された銘文によって、嘉暦二年(一三二七)に仏師法橋仙賢によって造られたことが判明する。仙賢については、他の事績は知られず、その系統は明らかにし難い。ただ、本像の作風が建武元年(一三三四)に七条仏師とみられる幸俊作の京都・長楽寺の木造一鎮坐像(重文)と明らかに異なり、また体幹部を四材から構成し、頭部の頸〓を受ける棚を体幹材から造りだす造像技法が、鎌倉時代末期ころに製作された時宗祖師諸像のなかでも特異な造形をみせる山梨・称願寺他阿上人真教坐像(重文)に通じているところから、七条仏師と異なる系統の仏師とみられる。初代上人は『他阿上人法語』に登場する「高宮の切阿弥陀仏」、あるいは『時宗過去帳 僧衆』の「切阿弥陀仏 高宮」(元徳二年〈一三三〇〉二月十七日示寂)に当たると思われ、本像が寺伝どおり切阿上人とすれば、その示寂の三年前に造られた寿像となる。左目が右目より大きめで、両眉の端が少し垂れ下がり、両耳が外側に張り出すといった顔立ちの細部の特色や、あるいは後頭部に肉の弛みを表すといったことまでも、かなり入念に表現されていることから、本像が寿像として製作された可能性も考慮されよう。 時宗僧侶の肖像彫刻のなかでも、銘文によって鎌倉時代にさかのぼることが確認できる現存唯一の基準作例として貴重であるとともに、鎌倉時代末期の肖像彫刻の秀作といえよう。