国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
本朝文粋
ふりがな
:
ほんちょうもんずい
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員数
:
種別
:
書跡・典籍
国
:
日本
時代
:
鎌倉
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
02505
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1998.06.30(平成10.06.30)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
愛知県
所在地
:
愛知県豊田市小坂本町8-5-1
保管施設の名称
:
豊田市美術館
所有者名
:
猿投神社
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
平安時代中期、藤原明衡(生年未詳-一〇六六)が編んだ一四巻からなる漢詩文集で、嵯峨天皇から後一条天皇の治世まで二百年間における学者文人など六八人の詩文四三二篇を収録する。
猿投神社に伝来した写本は、巻第二が一冊、巻第十三は二巻・一帖の三本を存し、いずれも鎌倉時代の書写になる。巻第二は、詔、位記、符や意見封事などの公的な文章を収め、なかでも三善清行の『意見封事十二箇条』がとくに知られている。巻第十三は巻第十四と並び祭文、表白、願文、諷誦文など神事仏事に関する文章を収める。
巻第二は、旧巻子を冊子に改装したもので、文書を翻した料紙三五紙に押界を施し、一紙二二行(現半葉一一行)、行二〇字前後に丁寧な筆致をもって書写され、「□朝文粋巻第二」の首題に次いで、標目以下、本文、尾題までをほぼ完存する。文中には、一部に本文と同筆にて墨仮名点・返点・合符があり、稀に墨校異・声点がみえる。紙背には永仁六年(一二九八)九月日某注進状案、正安二年(一三〇〇)閏七月熱田社領時光・恒正名百姓等申状案をはじめとする熱田社領関係の文書があり、本巻が鎌倉時代後期に熱田社所縁の人物によって書写されたことを伝えている。
巻第十三は、筆跡の異なる三本の写本が伝わっている。このうち、巻第十三残巻の一巻は、楮紙に墨界を施して料紙に用い、一紙二一行、行一九字前後にやや速筆をもって書写される。巻首を欠き、「願文上」の標目途中より、本文は「勸學院佛名廻文」の末行までの一〇紙分で、計一〇篇を存する。文中には本文と同筆にて墨仮名点・返点および墨声点が全文にわたって付され、まま墨書校合がある。書風等よりみて鎌倉時代中期を下らぬ写本と考えられる。なお、欠失部分は天理大学の所蔵となっている。
巻第十三残巻の一帖は、料紙に漉返紙(打紙)を用い、本文は半葉七行、行一四字宛に暢達した書風をもって書写される。紙数は三〇紙で、首尾を欠き、標目途中より、本文は匡衡の「左大臣家被供養浄妙寺塔願文」の途中までの計一二篇を存する。文中には全文にわたり本文と略同筆にて墨仮名点・返点・合符および声点が稠密に付されている。書風等よりみて鎌倉時代中期の書写本と認められる。
巻第十三零巻の一巻は、楮紙に墨界を施した料紙を用い、天地の界線にとらわれずに、草体に書写される。本文は大江朝綱の「朱雀院平賊後被修法会願文」に相当する部分より、巻末の尾題までを存する。文中には墨仮名点・返点・合符および声点が全文にわたって付されており、まま墨傍注・校異がある。本文が五篇のみの零巻ではあるが、鎌倉時代後期にさかのぼる古写本として重要である。
『本朝文粋』は、主に文章作成の手本として用いられた関係から、利用頻度の高い特定の巻が単独で書写されることが多く、この猿投本も、こうした遺例の一つであると思われる。このように鎌倉時代の写本がまとまって伝来していることは、省略、改変が多く加えられている『本朝文粋』本文の校勘のうえで価値があり、また同書の利用享受のあり方を考えるうえでも注目される。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
添付ファイル
なし
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解説文
平安時代中期、藤原明衡(生年未詳-一〇六六)が編んだ一四巻からなる漢詩文集で、嵯峨天皇から後一条天皇の治世まで二百年間における学者文人など六八人の詩文四三二篇を収録する。 猿投神社に伝来した写本は、巻第二が一冊、巻第十三は二巻・一帖の三本を存し、いずれも鎌倉時代の書写になる。巻第二は、詔、位記、符や意見封事などの公的な文章を収め、なかでも三善清行の『意見封事十二箇条』がとくに知られている。巻第十三は巻第十四と並び祭文、表白、願文、諷誦文など神事仏事に関する文章を収める。 巻第二は、旧巻子を冊子に改装したもので、文書を翻した料紙三五紙に押界を施し、一紙二二行(現半葉一一行)、行二〇字前後に丁寧な筆致をもって書写され、「□朝文粋巻第二」の首題に次いで、標目以下、本文、尾題までをほぼ完存する。文中には、一部に本文と同筆にて墨仮名点・返点・合符があり、稀に墨校異・声点がみえる。紙背には永仁六年(一二九八)九月日某注進状案、正安二年(一三〇〇)閏七月熱田社領時光・恒正名百姓等申状案をはじめとする熱田社領関係の文書があり、本巻が鎌倉時代後期に熱田社所縁の人物によって書写されたことを伝えている。 巻第十三は、筆跡の異なる三本の写本が伝わっている。このうち、巻第十三残巻の一巻は、楮紙に墨界を施して料紙に用い、一紙二一行、行一九字前後にやや速筆をもって書写される。巻首を欠き、「願文上」の標目途中より、本文は「勸學院佛名廻文」の末行までの一〇紙分で、計一〇篇を存する。文中には本文と同筆にて墨仮名点・返点および墨声点が全文にわたって付され、まま墨書校合がある。書風等よりみて鎌倉時代中期を下らぬ写本と考えられる。なお、欠失部分は天理大学の所蔵となっている。 巻第十三残巻の一帖は、料紙に漉返紙(打紙)を用い、本文は半葉七行、行一四字宛に暢達した書風をもって書写される。紙数は三〇紙で、首尾を欠き、標目途中より、本文は匡衡の「左大臣家被供養浄妙寺塔願文」の途中までの計一二篇を存する。文中には全文にわたり本文と略同筆にて墨仮名点・返点・合符および声点が稠密に付されている。書風等よりみて鎌倉時代中期の書写本と認められる。 巻第十三零巻の一巻は、楮紙に墨界を施した料紙を用い、天地の界線にとらわれずに、草体に書写される。本文は大江朝綱の「朱雀院平賊後被修法会願文」に相当する部分より、巻末の尾題までを存する。文中には墨仮名点・返点・合符および声点が全文にわたって付されており、まま墨傍注・校異がある。本文が五篇のみの零巻ではあるが、鎌倉時代後期にさかのぼる古写本として重要である。 『本朝文粋』は、主に文章作成の手本として用いられた関係から、利用頻度の高い特定の巻が単独で書写されることが多く、この猿投本も、こうした遺例の一つであると思われる。このように鎌倉時代の写本がまとまって伝来していることは、省略、改変が多く加えられている『本朝文粋』本文の校勘のうえで価値があり、また同書の利用享受のあり方を考えるうえでも注目される。
関連情報
一つ書
巻第二
巻第十三残巻
巻第十三残巻
巻第十三零巻
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
巻第二
一つ書員数
:
一冊
ト書
:
紙背永仁六年等文書
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
巻第十三残巻
一つ書員数
:
一巻
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
巻第十三残巻
一つ書員数
:
一帖
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
巻第十三零巻
一つ書員数
:
一巻
ト書
: