国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
石清水八幡宮田中宗清願文
ふりがな
:
いわしみずはちまんぐうたなかそうせいがんもん
解説表示▶
員数
:
2巻
種別
:
古文書
国
:
日本
時代
:
鎌倉
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00171
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1999.06.07(平成11.06.07)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
石清水八幡宮
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
石清水八幡宮法印田中宗清(一一九〇-一二三七年)が発願者となって、一六歳で亡くなった弟章清の冥福を祈る追善供養のために作成された願文二巻である。宗清は石清水八幡宮の経営に尽力するとともに、文書を整理して「宮寺縁事抄」の編纂を行うなど、石清水八幡宮発展期の中心人物として活躍している。
願文は儀礼を重んずるものであり、本文の作者は紀伝道にたずさわる者や文才のある人物、清書者は能書の人が選ばれて作られることが広く行われていた。
一巻は章清五七日忌の追善供養のための願文である。本紙には藍染の蝋牋が用いられ、本文は一紙一四行、一行一二字前後に丁寧に書かれている。文頭に「八幡宮権別當法印大和尚位/宗清」と願主の名を表し、文末を「敬白」と結び、次行に「貞永元年九月廿日」と日付を記し、日下に「佛子僧宮寺権別當法印大和尚位宗清」と位署書きしている。巻末に四条盛経(一一六一-一二三五年)の作文であること、世尊寺行能(一一七九-一二五五年)が清書していること、また追善供養の導師を寺門派の僧が行っていることがみえている。
他一巻は章清の一周忌供養願文である。本紙には雲母引の蝋牋を用い、本文は一紙一五行、一行一二字前後で、当時の能書家の手になるものである。書式としては、「敬白」と書出し、次に「奉造立三寸八分薬師如来像一躰」以下の作善の事項を列挙し、さらに「佛像経典等造冩之趣」として願意を述べ、書止を「敬白」と結んでいる。日付と位署を記していたと思われる巻末の一紙を欠いているが、『本朝文集』(国史大系本)から、日付は天福元年(一二三三)七月十七日、願主は「佛子法印大和尚位宗清」、作者は藤原家光(一一九八-一二三六年)であることが明らかになる。清書者は、偏を小さく旁を大きく書く書風や、横画が細く縦画が太いなどの字形の特徴などから、五七日忌供養願文と同じ世尊寺行能であると思われる。
本願文は発願者、作者、清書者などを明らかにし、また願文としての典型的な形式を示す鎌倉時代中期の願文として貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
石清水八幡宮法印田中宗清(一一九〇-一二三七年)が発願者となって、一六歳で亡くなった弟章清の冥福を祈る追善供養のために作成された願文二巻である。宗清は石清水八幡宮の経営に尽力するとともに、文書を整理して「宮寺縁事抄」の編纂を行うなど、石清水八幡宮発展期の中心人物として活躍している。 願文は儀礼を重んずるものであり、本文の作者は紀伝道にたずさわる者や文才のある人物、清書者は能書の人が選ばれて作られることが広く行われていた。 一巻は章清五七日忌の追善供養のための願文である。本紙には藍染の蝋牋が用いられ、本文は一紙一四行、一行一二字前後に丁寧に書かれている。文頭に「八幡宮権別當法印大和尚位/宗清」と願主の名を表し、文末を「敬白」と結び、次行に「貞永元年九月廿日」と日付を記し、日下に「佛子僧宮寺権別當法印大和尚位宗清」と位署書きしている。巻末に四条盛経(一一六一-一二三五年)の作文であること、世尊寺行能(一一七九-一二五五年)が清書していること、また追善供養の導師を寺門派の僧が行っていることがみえている。 他一巻は章清の一周忌供養願文である。本紙には雲母引の蝋牋を用い、本文は一紙一五行、一行一二字前後で、当時の能書家の手になるものである。書式としては、「敬白」と書出し、次に「奉造立三寸八分薬師如来像一躰」以下の作善の事項を列挙し、さらに「佛像経典等造冩之趣」として願意を述べ、書止を「敬白」と結んでいる。日付と位署を記していたと思われる巻末の一紙を欠いているが、『本朝文集』(国史大系本)から、日付は天福元年(一二三三)七月十七日、願主は「佛子法印大和尚位宗清」、作者は藤原家光(一一九八-一二三六年)であることが明らかになる。清書者は、偏を小さく旁を大きく書く書風や、横画が細く縦画が太いなどの字形の特徴などから、五七日忌供養願文と同じ世尊寺行能であると思われる。 本願文は発願者、作者、清書者などを明らかにし、また願文としての典型的な形式を示す鎌倉時代中期の願文として貴重である。