国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造千手観音立像
ふりがな
:
もくぞうせんじゅかんのんりゅうぞう
解説表示▶
員数
:
1躯
種別
:
彫刻
国
:
日本
時代
:
平安
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
03487
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2000.06.27(平成12.06.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
醍醐寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
上醍醐山上に伝えられた千手観音像で、現在では霊宝館に保管されている。一一面(八面残存、ただし後補)、四二臂を具える通途の像容になる。
カヤ材の一木造で、髻から地付まで通して、合掌手上膊を含み一材より彫出し、後頭部、背面上半身、同腰以下より内刳を施し(体部の刳はつながる)、それぞれ蓋板を当てる。頭上面、合掌・宝鉢手および各脇手、左右裙裾、両足先等を矧ぐ。像底の丸孔に差し込んだ〓で立つ。表面は錆下地、漆箔仕上げとするが現状はほぼ黒漆地をあらわしている。
太造りの体躯や、着衣に刻まれる翻波式衣文などに平安前期様式の名残をとどめながら、浅く整えられた彫り口により穏やかな像容が表されており、そこには一〇世紀彫刻の特色が示されている。肉身部の柔らかい肉取りには次代につながる新傾向が認められ、見開きの細い両眼と厚い口唇をもつ面貌が貞元二年(九七七)ころかとみられる六波羅蜜寺薬師如来坐像(重文)や正暦元年(九九〇)の法隆寺薬師三尊の両脇侍像(国宝)に通じるところからみれば、その製作年代は一〇世紀後半と推定される。
『醍醐寺新要録』には本像に当たるとみられる千手観音像について、そのころすでに退転していた上醍醐観音堂の本尊であったと記されている。観音堂は『醍醐雑事記』によれば天徳年間(九五七-九六一年)に近江守藤原国光が鎮護国家のために建立したもので、本尊は半丈六の金色千手観音像であった。これを周尺による記載とみれば本像と法量が一致し、その造立時期も本像の作風の示すところと矛盾しない。上醍醐に他に本像に該当する可能性のある千手観音像の存在が文献上知られないことからみれば、本像は所伝どおり観音堂本尊像に当たるとみてほぼ差し支えないであろう。
一〇世紀末から一一世紀前半にかけてのいわゆる和様彫刻の成立に先立つ、この時期における基準作例は意外に乏しい。本像はそのなかで願主の階層や製作事情まで明らかな例として、当代彫刻様式の展開を考えるうえで逸することのできない一作であり、脇手の大半や両足先が当初のまま遺る保存のよさも特筆される。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
上醍醐山上に伝えられた千手観音像で、現在では霊宝館に保管されている。一一面(八面残存、ただし後補)、四二臂を具える通途の像容になる。 カヤ材の一木造で、髻から地付まで通して、合掌手上膊を含み一材より彫出し、後頭部、背面上半身、同腰以下より内刳を施し(体部の刳はつながる)、それぞれ蓋板を当てる。頭上面、合掌・宝鉢手および各脇手、左右裙裾、両足先等を矧ぐ。像底の丸孔に差し込んだ〓で立つ。表面は錆下地、漆箔仕上げとするが現状はほぼ黒漆地をあらわしている。 太造りの体躯や、着衣に刻まれる翻波式衣文などに平安前期様式の名残をとどめながら、浅く整えられた彫り口により穏やかな像容が表されており、そこには一〇世紀彫刻の特色が示されている。肉身部の柔らかい肉取りには次代につながる新傾向が認められ、見開きの細い両眼と厚い口唇をもつ面貌が貞元二年(九七七)ころかとみられる六波羅蜜寺薬師如来坐像(重文)や正暦元年(九九〇)の法隆寺薬師三尊の両脇侍像(国宝)に通じるところからみれば、その製作年代は一〇世紀後半と推定される。 『醍醐寺新要録』には本像に当たるとみられる千手観音像について、そのころすでに退転していた上醍醐観音堂の本尊であったと記されている。観音堂は『醍醐雑事記』によれば天徳年間(九五七-九六一年)に近江守藤原国光が鎮護国家のために建立したもので、本尊は半丈六の金色千手観音像であった。これを周尺による記載とみれば本像と法量が一致し、その造立時期も本像の作風の示すところと矛盾しない。上醍醐に他に本像に該当する可能性のある千手観音像の存在が文献上知られないことからみれば、本像は所伝どおり観音堂本尊像に当たるとみてほぼ差し支えないであろう。 一〇世紀末から一一世紀前半にかけてのいわゆる和様彫刻の成立に先立つ、この時期における基準作例は意外に乏しい。本像はそのなかで願主の階層や製作事情まで明らかな例として、当代彫刻様式の展開を考えるうえで逸することのできない一作であり、脇手の大半や両足先が当初のまま遺る保存のよさも特筆される。