国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
摂関系図
ふりがな
:
せっかんけいず
解説表示▶
員数
:
1帖
種別
:
古文書
国
:
日本
時代
:
鎌倉
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00188
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2003.05.29(平成15.05.29)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
財団法人陽明文庫
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
本帖は、摂関系図の最古写本で、内容は摂関系図に大臣任例を付したものとなっている。
体裁は、粘葉装冊子本で、一四丁からなり、原表紙に「攝関系圖」と外題を直書する。後補の見返しには、江戸時代の筆で右大臣不比等の勘物注記と藤四家の祖を記している。首題も同名である。構成は、一丁から八丁目までは系図で、九丁目から一四丁目まで大臣任例を記載する。
系図は、内大臣藤原鎌足から一条家経まで四二人を挙げ、一丁(表)に鎌足から長良までを書く。一丁目(裏)から天地を揃えて摂関就任順に人名を列挙する(摂関にならなかった師輔は下部に書く)。はじめに藤原良房を挙げ勘物注記に「(天安)二年(八五八)十一月七日摂政」と最初の摂政を明記する。人名の右に母の出自、左に「一男」「二男」を小文字にて記す。人名下に勘物注記とともに諡号、法名なども記す。親族関係には線を引いて、藤原氏系図も兼ね備えた形となっている。
朱線は、鎌足から鷹司兼平まで引かれている。兼平の勘物注記には、建長四年(一二五二)に後深草天皇の摂政、建長六年十二月三日に同天皇の関白になったことがみえることから、本書は建長六年以降に作られたことが知られる。
次に同筆で近衛基平と鷹司基忠を追記し、墨線で繋げている。基平は文永四年(一二六七)に亀山天皇の関白、基忠は文永五年十二月に同天皇の関白となっており、前任の基平に「文永五年十一月十九日薨 廿三歳」と注記するので、文永五年までの追記であることが判明する。
さらに、別筆で九条忠家と一条家経を加えて墨線を引く。忠家は文永十年(一二七三)に亀山天皇の関白、家経は文永十一年六月二十日に同天皇の関白になっている。
以上のことから、本帖は、建長年間に制作され、文永年間まで書き継がれた系図であることが知られる。
大臣任例は、武内宿禰から藤原師継まで一八二人を記す。宿禰から源通成までの一八〇人が同筆である。藤原継忠と藤原師継を別筆にて追記する。師継が内大臣に任じられたのは文永八年(一二七一)三月二十七日であり、このころに追記が行われたのであろう。人名の左右肩に朱書きにて天皇名、墨書にて大臣位を記している。人名の下には割書にて諡号や親名が記されている。
本帖が建長年間に書写成立し、文永年間まで追記が行われた事実と、「近衛家所領目録」(重文)の成立が建長五年(一二五五)十月であることを併せ考えると、本書成立の背景には、五摂家の成立時期との関係を想定できる。
鎌倉時代中期まで遡れるきわめて貴重な系図であり、藤原氏の系図を兼ねた摂関系図の最古写本として価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
本帖は、摂関系図の最古写本で、内容は摂関系図に大臣任例を付したものとなっている。 体裁は、粘葉装冊子本で、一四丁からなり、原表紙に「攝関系圖」と外題を直書する。後補の見返しには、江戸時代の筆で右大臣不比等の勘物注記と藤四家の祖を記している。首題も同名である。構成は、一丁から八丁目までは系図で、九丁目から一四丁目まで大臣任例を記載する。 系図は、内大臣藤原鎌足から一条家経まで四二人を挙げ、一丁(表)に鎌足から長良までを書く。一丁目(裏)から天地を揃えて摂関就任順に人名を列挙する(摂関にならなかった師輔は下部に書く)。はじめに藤原良房を挙げ勘物注記に「(天安)二年(八五八)十一月七日摂政」と最初の摂政を明記する。人名の右に母の出自、左に「一男」「二男」を小文字にて記す。人名下に勘物注記とともに諡号、法名なども記す。親族関係には線を引いて、藤原氏系図も兼ね備えた形となっている。 朱線は、鎌足から鷹司兼平まで引かれている。兼平の勘物注記には、建長四年(一二五二)に後深草天皇の摂政、建長六年十二月三日に同天皇の関白になったことがみえることから、本書は建長六年以降に作られたことが知られる。 次に同筆で近衛基平と鷹司基忠を追記し、墨線で繋げている。基平は文永四年(一二六七)に亀山天皇の関白、基忠は文永五年十二月に同天皇の関白となっており、前任の基平に「文永五年十一月十九日薨 廿三歳」と注記するので、文永五年までの追記であることが判明する。 さらに、別筆で九条忠家と一条家経を加えて墨線を引く。忠家は文永十年(一二七三)に亀山天皇の関白、家経は文永十一年六月二十日に同天皇の関白になっている。 以上のことから、本帖は、建長年間に制作され、文永年間まで書き継がれた系図であることが知られる。 大臣任例は、武内宿禰から藤原師継まで一八二人を記す。宿禰から源通成までの一八〇人が同筆である。藤原継忠と藤原師継を別筆にて追記する。師継が内大臣に任じられたのは文永八年(一二七一)三月二十七日であり、このころに追記が行われたのであろう。人名の左右肩に朱書きにて天皇名、墨書にて大臣位を記している。人名の下には割書にて諡号や親名が記されている。 本帖が建長年間に書写成立し、文永年間まで追記が行われた事実と、「近衛家所領目録」(重文)の成立が建長五年(一二五五)十月であることを併せ考えると、本書成立の背景には、五摂家の成立時期との関係を想定できる。 鎌倉時代中期まで遡れるきわめて貴重な系図であり、藤原氏の系図を兼ねた摂関系図の最古写本として価値が高い。