国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造金剛力士立像
ふりがな
:
もくぞうこんごうりきしりゅうぞう
解説表示▶
員数
:
2躯
種別
:
彫刻
国
:
日本
時代
:
鎌倉
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
03457
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1996.06.27(平成8.06.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
山梨県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
放光寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
本寺山門に安置される仁王像である。おおむね通形の像容であるが、頭頂部を剃って髻を結い上げるのが珍しく、また獅子鼻で下顎の張ったいかつい面構えや、隆々と発達した上半身に特色がある。
ともにヒノキ材の寄木造で、頭体幹部を通して前後左右の四材から彫出する構造になる。阿・吽の作風には小異があり、吽形像が上体を傾けて思い切った動勢をみせるのに対して阿形像はやや構えがおとなしく、肉付けや着衣のさばきにも、吽形像のほうにより変化と力強さが認められる。その精彩に富んだ造形には、十三世紀以降の定型化した仁王像とは一線を画するものがあり、製作年代は鎌倉初期、十二世紀後半に位置づけられよう。
放光寺の大檀越、安田義定は甲斐源氏の有力武将で、平家討伐に大きな功績をあげたが、建久五年(一一九四)、源頼朝への謀反の疑いにより梟首となった。当寺の梵鐘(貞治五年=一三六六銘)に建久二年(一一九一)に義定が施入した旨を記す旧鐘銘が採録されており、これを造像の下限とみることもできよう。作者は慶派の仏師とみられる。本寺の近世縁起には仁王像の作者について「南京彫工浄朝」すなわち奈良仏師の嫡流、成朝であることが述べられているが、文治元年(一一八五)、頼朝の招きで鎌倉に下向し勝長寿院の造仏にあたった成朝が本像の製作に携わることは、義定の東国における地位から考えても十分にありうることで、はなはだ興味深い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
本寺山門に安置される仁王像である。おおむね通形の像容であるが、頭頂部を剃って髻を結い上げるのが珍しく、また獅子鼻で下顎の張ったいかつい面構えや、隆々と発達した上半身に特色がある。 ともにヒノキ材の寄木造で、頭体幹部を通して前後左右の四材から彫出する構造になる。阿・吽の作風には小異があり、吽形像が上体を傾けて思い切った動勢をみせるのに対して阿形像はやや構えがおとなしく、肉付けや着衣のさばきにも、吽形像のほうにより変化と力強さが認められる。その精彩に富んだ造形には、十三世紀以降の定型化した仁王像とは一線を画するものがあり、製作年代は鎌倉初期、十二世紀後半に位置づけられよう。 放光寺の大檀越、安田義定は甲斐源氏の有力武将で、平家討伐に大きな功績をあげたが、建久五年(一一九四)、源頼朝への謀反の疑いにより梟首となった。当寺の梵鐘(貞治五年=一三六六銘)に建久二年(一一九一)に義定が施入した旨を記す旧鐘銘が採録されており、これを造像の下限とみることもできよう。作者は慶派の仏師とみられる。本寺の近世縁起には仁王像の作者について「南京彫工浄朝」すなわち奈良仏師の嫡流、成朝であることが述べられているが、文治元年(一一八五)、頼朝の招きで鎌倉に下向し勝長寿院の造仏にあたった成朝が本像の製作に携わることは、義定の東国における地位から考えても十分にありうることで、はなはだ興味深い。