国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
登録有形文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
相澤忠洋蒐集考古資料
ふりがな
:
あいざわただひろしゅうしゅうこうこしりょう
岩宿遺跡採集石器(発掘調査以前に採集した石器)
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
39,370点
種別
:
考古資料
国
:
日本
時代
:
旧石器―歴史
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
ト書
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
登録番号
:
枝番
:
登録年月日
:
2024.08.27(令和6.08.27)
追加年月日
:
所在都道府県
:
群馬県
所在地
:
みどり市笠懸町阿左美1790-1
保管施設の名称
:
岩宿博物館
所有者名
:
みどり市
管理団体・管理責任者名
:
岩宿遺跡採集石器(発掘調査以前に採集した石器)
解説文:
詳細解説
群馬県の赤城山麓を中心に調査・研究活動を行った考古学者である、相澤忠洋(1926~1989)によって蒐集された考古資料で、旧石器時代から歴史時代までで構成される。
「旧石器時代」発見の端緒となった岩宿遺跡からの蒐集品を代表とし、三ツ屋遺跡や桝形遺跡、石山遺跡や西鹿田中島遺跡など、旧石器時代から縄文時代初頭期の基準となる遺跡の調査資料が含まれる。
これらの蒐集品は、赤城人類文化研究所の後身である相澤忠洋記念館にて、収蔵管理・一部の公開がされてきたが、令和令和4年・令和6年には目録が刊行され、令和4年に遺族から全ての資料が岩宿博物館に寄贈されている。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
岩宿遺跡採集石器(発掘調査以前に採集した石器)
岩宿遺跡採集の槍先形尖頭器
写真一覧
岩宿遺跡採集石器(発掘調査以前に採集した石器)
写真一覧
岩宿遺跡採集の槍先形尖頭器
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
群馬県の赤城山麓を中心に調査・研究活動を行った考古学者である、相澤忠洋(1926~1989)によって蒐集された考古資料で、旧石器時代から歴史時代までで構成される。 「旧石器時代」発見の端緒となった岩宿遺跡からの蒐集品を代表とし、三ツ屋遺跡や桝形遺跡、石山遺跡や西鹿田中島遺跡など、旧石器時代から縄文時代初頭期の基準となる遺跡の調査資料が含まれる。 これらの蒐集品は、赤城人類文化研究所の後身である相澤忠洋記念館にて、収蔵管理・一部の公開がされてきたが、令和令和4年・令和6年には目録が刊行され、令和4年に遺族から全ての資料が岩宿博物館に寄贈されている。
詳細解説▶
詳細解説
相澤忠洋(1926~1989)は、群馬県の赤城山麓を中心に調査・研究活動を行った考古学者である。昭和22年(1947)に東毛考古学研究所を設立し、その前年(1946)に岩宿遺跡にて関東ローム層中から黒曜石片を発見する。さらに昭和24年には、黒曜石製の尖頭器を発見することで、ローム層中に人類文化が存在することを明らかにする。これにより、現代では一般的となった「旧石器時代」を、列島内で認識する端緒になったことは、あまりにも著名である。その後も、赤城山麓を中心にして遺跡の踏査や蒐集活動を蓄積する中で、全国の著名な遺跡の発掘調査にも多く参加し、かつ目的をもって実施した自主的な学術調査や、教育委員会に依頼された開発に伴う発掘調査も行っている。昭和47年には拠点を桐生市内の夏井戸遺跡内に移し、赤城人類文化研究所を設立する。 本蒐集品は、これらの活動の中で得られた考古資料で、旧石器時代から歴史時代までで構成される。岩宿遺跡の発見もあり、研究の主眼が旧石器時代から縄文時代早期に置かれたことで、該期の蒐集品が主体となる。中には、三ツ屋遺跡や桝形遺跡、石山遺跡や西鹿田中島遺跡など、各時期の基準となる遺跡の調査資料も含まれ、わが国の考古学研究に深く貢献している。なお、磯遺跡や権現山遺跡、夏井戸遺跡などに代表される、岩宿遺跡より古い時期の探求も積極的に行っており、考古学史上において重要な足跡である。 これらの蒐集品は、赤城人類文化研究所の後身である相澤忠洋記念館にて、収蔵管理・一部の公開がされてきた。令和元年(2019)以降、岩宿博物館により展示活用および目録作成のための整理作業が開始される。令和4年・令和6年には目録が刊行され、令和4年に遺族から全ての資料が岩宿博物館に寄贈されている。