国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
法華寺のカラブロ 附 明和三年銘棟札、井戸
ふりがな
:
ほっけじのからぶろ つけたり めいわさんねんめいむなふだ、いど
法華寺のカラブロ 南面全景
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員数
:
1棟 1枚 1基
種別
:
民俗知識に関して用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00216
指定年月日
:
2005.02.21(平成17.02.21)
追加年月日
:
指定基準1
:
(七)民俗知識に関して用いられるもの 例えば、暦類、卜(ぼく)占用具、医療具、教育施設等
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県
:
奈良県
所在地
:
奈良市法華寺町882
保管施設の名称
:
所有者名
:
法華寺
管理団体・管理責任者名
:
法華寺のカラブロ 南面全景
解説文:
詳細解説
我が国の民間の入浴習俗は、主に医療を目的とし、現在残る入浴施設の起源も、特定の寺院や個人と結びついて語られることが多い。法華寺のカラブロもその一つである。
このカラブロは、鉄釜で沸かした熱湯の蒸気を密閉した木造の風呂屋形の床下に導き、室内を蒸気で満たした中に入浴する蒸気導入方式の施設で、これらを覆う建物を含めてカラブロと呼んでいる。
このカラブロは、光明皇后の千人施浴伝説を背景に、明治初年までは正月13日の節会と6月7日の光明皇后の命日に行われる会式の際、施浴のために焚かれていた。その後も光明会が組織され、年1回風呂が焚き続けられ、近隣の人々の要請で臨時に焚かれることもあった。入浴は、男女別々に浴衣などを着て入り、口には濡れ手拭いを当てて何度も出入りを繰り返した。
我が国の民間医療施設としての風呂の種類や変遷を知る上で、また蒸気導入方式による入浴の方式を知るうえで欠かせない施設であり、民俗知識の実態を知る上で重要である。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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法華寺のカラブロ 南面全景
法華寺のカラブロ 西南面全景
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法華寺のカラブロ 南面全景
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法華寺のカラブロ 西南面全景
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解説文
我が国の民間の入浴習俗は、主に医療を目的とし、現在残る入浴施設の起源も、特定の寺院や個人と結びついて語られることが多い。法華寺のカラブロもその一つである。 このカラブロは、鉄釜で沸かした熱湯の蒸気を密閉した木造の風呂屋形の床下に導き、室内を蒸気で満たした中に入浴する蒸気導入方式の施設で、これらを覆う建物を含めてカラブロと呼んでいる。 このカラブロは、光明皇后の千人施浴伝説を背景に、明治初年までは正月13日の節会と6月7日の光明皇后の命日に行われる会式の際、施浴のために焚かれていた。その後も光明会が組織され、年1回風呂が焚き続けられ、近隣の人々の要請で臨時に焚かれることもあった。入浴は、男女別々に浴衣などを着て入り、口には濡れ手拭いを当てて何度も出入りを繰り返した。 我が国の民間医療施設としての風呂の種類や変遷を知る上で、また蒸気導入方式による入浴の方式を知るうえで欠かせない施設であり、民俗知識の実態を知る上で重要である。
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詳細解説
我が国の民間における入浴習俗は、古来から主として医療を目的としたもので、現在に残る入浴施設の起源についても、特定の寺院や個人と結びついて語られることが多い。 奈良市法華寺にある通称カラブロと呼ばれる入浴施設もその一つである。この施設は、鉄釜で沸かした熱湯の蒸気を密閉した木造の風呂屋形の床下に導き、室内を蒸気で満たした中に入浴する蒸気導入方式の施設で、これらを覆う建物を含めてカラブロと呼んでいる。 現在の施設は、桁行2間(3.94㍍)、梁間3間(5.94㍍)、切妻造、妻入、平屋建の規模で、南面して建つ。内部は西側二間通りと東側一間通りを板壁で区切り、西側二間通りを浴室部とし、東側一間通りを釜屋部とする。浴室部には板壁に寄せて中央一間通り中央に、西側を正面にして、間口1間半弱、奥行1間の風呂屋形が造られ、内部を南北の2室に分け、土間から壁を立ち上げて気密構造とし、内部に簀の子状の床を張り、土間との隙間から釜屋部の湯釜の蒸気を引き込んで蒸気を籠もらせる構造となっている。風呂屋形の床と浴室部床は磚【せん】敷きの土間となっており、西側一間通りの浴室部は中央で仕切られ、二間構造の湯上がりの空間となっている。 このカラブロは、光明皇后の千人施浴伝説を背景に、明治初年までは正月13日の節会と6月7日の光明皇后の命日に行われる会式の際に、施浴のためにカラブロが焚かれ一般に公開されていた。その後も大正時代には光明会が組織され、年1回風呂が焚き続けられたが、近隣の人々の要請により臨時に風呂が焚かれ公開されたこともあったようである。 近隣の人々はこのカラブロを「御殿さんのカラブロ」と呼んで親しんでおり、「お風呂に入れてもらったら元気になる」「御殿さんのカラブロに入れていただくとお腹が治った」「神経痛が治った」など、入浴の効用を伝えていた。 入浴は、男女別々に浴衣などを着て入り、口には濡れ手拭いを当てて何度も出入りを繰り返した。 法華寺は、光明皇后の皇后宮が天平17年(745)に宮寺となり、その後、大和国分尼寺に充てられた門跡寺院である。 光明皇后の千人施浴発願説話の初見は『元亨釈書』(元亨2年<1322>)の記事とされているが、鎌倉時代の年間行事を書き留めた、『法華寺滅罪寺年中行事』の元亨2年当時の記載から、すでに当時には施主を伴った湯の施行、施浴が行われていたことがうかがえるなど、鎌倉・室町期から中世を通じて湯施行、施浴の形で盛んに風呂が焚かれていたことが推測される。 その後の経過は不明であるが、法華寺の荒廃期を経て、慶長年間(1596~1615)の伽藍の復興に伴って浴室も現在地に再建されたようであり、井戸もほぼこの時期に掘られたと推測される。 現在の浴室は、明和3年(1766)に再建されたもので、当時の棟札が残っている。その後、明治初期頃に大がかりな補修工事が行われ、煉瓦を用いた竈への改修や土管を用いた送水施設の設置などが行われた。その後、第二次世界大戦中にカラブロの鉄釜が供出され、残った竈部分も昭和25年のジェーン台風で埋没するなど、部分的な被害を受けながらも、建物自体は大きな損傷もなく残されてきた。 しかし、経年による損傷が進み、平成14・15年度に保存修理が行われている。この修理は半解体修理として行われたもので、梁組を含む軸部を残して解体し、各柱の根継を取り替え、不陸や傾斜を修正した。また、釜屋部には発掘調査に基づいて2基の竈を復し、それぞれ口径70㎝と、口径50㎝の2つの鉄釜を据え、建物周囲には雨落溝を、井戸には井戸屋形を設けて、明治期のカラブロの姿に再現したものである。 なお、附の棟札は明和3年に再建されたときのもので、表面に「明和丙三年 戌六月吉日 奉上棟浴室(棟梁名)」、裏面に「居前瓦ふき屋ねニ而御座候瓦ふきニ建直し仕候」などと記された、尖頭形、総高97.2㎝の杉材製のものである。また、井戸は上辺直径約2.15㍍、深さ4.9㍍のものである。