国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
野州麻の生産用具
ふりがな
:
やしゅうあさのせいさんようぐ
野州麻の生産用具
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
361点
種別
:
生産、生業に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
内訳:栽培用具199点 生産用具162点
指定番号
:
00220
指定年月日
:
2008.03.13(平成20.03.13)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)生産、生業に用いられるもの 例えば、農具、漁猟具、工匠用具、紡織用具、作業場等
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県
:
栃木県
所在地
:
宇都宮市睦町2-2
保管施設の名称
:
栃木県立博物館
所有者名
:
栃木県
管理団体・管理責任者名
:
野州麻の生産用具
解説文:
詳細解説
この資料は、栃木県のほぼ中央部にあたる鹿沼市周辺地域で麻の栽培と麻繊維の生産に使用された用具類を取りまとめたものである。この地域では江戸時代半ば頃から、麻の栽培が行われ江戸に出荷されていたことが知られ、特に江戸時代中期以降、現在の千葉県や茨城県の海岸地帯にも出荷され、鰯漁が盛んになった九十九里浜一帯での魚網の材料として需要が増えたといわれている。日本の代表的な麻の生産地である栃木県中央部における麻生産に関する用具が体系的に収集されている。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
野州麻の生産用具
写真一覧
野州麻の生産用具
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
この資料は、栃木県のほぼ中央部にあたる鹿沼市周辺地域で麻の栽培と麻繊維の生産に使用された用具類を取りまとめたものである。この地域では江戸時代半ば頃から、麻の栽培が行われ江戸に出荷されていたことが知られ、特に江戸時代中期以降、現在の千葉県や茨城県の海岸地帯にも出荷され、鰯漁が盛んになった九十九里浜一帯での魚網の材料として需要が増えたといわれている。日本の代表的な麻の生産地である栃木県中央部における麻生産に関する用具が体系的に収集されている。
詳細解説▶
詳細解説
この資料は、栃木県のほぼ中央部にあたる鹿沼市周辺地域で麻の栽培と麻繊維の生産に使用されたタイマハシュキ(大麻播種器)、アサキリボウチョウ(麻切り包丁)、オブネ(麻槽)などの用具類を取りまとめたものである。 この地域では江戸時代半ば頃から、麻の栽培が行われ江戸に出荷されていたことが知られている。また、現在の千葉県や茨城県の海岸地帯にも出荷され、特に江戸時代中期以降、鰯漁が盛んになった九十九里浜一帯では魚網を作るために需要が増えたといわれている。 栃木県で生産される麻は、野州麻として知られ、第二次世界大戦後まで盛んに生産が行われていた。その生産の中心になっていたのは、北は日光市長畑、小来川、東は宇都宮市宝木町、下砥上町、南は栃木市大宮町、西は鹿沼市上粕尾・草久、佐野市秋山のあたりである。地形的には生産地の西側は、足尾山地の大芦川、荒井川、思川、永野川、秋山川などの谷間及び足尾山地に続く山麓扇状地であり、中央部は思川・渡良瀬川の沖積低地、東側は火山灰の台地となっている。 麻の栽培には山麓地帯や火山灰台地上の水はけの良いところが適地とされる。足尾山地の谷間や山麓扇状地がこれに該当し、鹿沼市引田、南摩、永野などで良質の麻が栽培・生産された。 近代においてこの地域で生産された麻は、産地と結束方法により差異化されその品質により価格も大きく異なっていた。例えば大正11年には引田麻、岡地麻、引束、板束、長束、岡束、永野束などの種類があり、一束当たりの重量も異なりその用途も釣糸、魚網、織物、下駄の鼻緒の芯縄など様々であった。このように各生産地ごとに異なる結束は各地の麻の特徴をよく示してはいたが、取引の上では不便をきたすようになり、昭和8年には栃木県が麻検査規則を定めその中で野州麻の結束の統一がはかられた。これにより一結束の重量が統一され品質も極上、特等、一等から五等、等外までの8つに区分された。 野州麻の栽培は、第二次世界大戦以後も盛んに行われていたが、高度経済成長期以後生産は減少している。昭和38年には栽培戸数約6,233戸、栽培面積850㌶であったものが、平成17年には栽培戸数30戸、栽培面積約8㌶になっている。しかし、全国の麻栽培に占める割合をみると、栽培戸数は約43%、栽培面積では約91%を占め、平成17年の大麻の繊維採取料は3,931㎏で全国生産量の約70%を占めている。 野州麻は販売することを目的に栽培された換金作物である。したがってその栽培面積も反単位で行われ、中には1町歩以上の栽培面積を有する農家もあった。このため明治時代初期には麻の種まき用具であるタイマハシュキなどが開発され均等に容易にまくことができるように工夫されたり、ユイマキ(結いまき)と称して近隣の農家が手伝いあって種まきを行うなどの慣行もみられた。 麻の生産工程を見ると、堆肥作りから始まり、麻畑を耕起し平坦にならす地ごしらえ、麻まき、施肥、中耕、くず抜き、麻抜き、根切り、葉打ち、生麻束ね、麻切り、湯かけ、麻干し、床臥せ、麻はぎ、麻ひき、麻掛けなどの作業が順次行われる。この他、翌年栽培するための麻の種を取る作業も行われる。 堆肥作りは正月前に堆肥にするための落葉広葉樹の落ち葉を集める木の葉さらいから始まり、これを家に運び母屋の前庭に積んだり、木小屋に保管したりする。これらの作業に使われる木の葉さらい用具にはナタガマ(鉈鎌)やテガマ(手鎌)、クマデ(熊手)、キノハカゴ(木の葉籠)、キノハサライカゴ(木の葉さらい籠)、ビクなどの用具がある。キノハカゴは自宅から木の葉をさらう山林が近接している所、ビクは近隣に木の葉をさらう山林がない地域で用いられているが、両者を用いる地域もあり、その地域ではキノハサライカゴは女性、ビクは男性が主に使用するなど男女による用具の使い分けがみられる。 地拵え作業には寒入り前に行う冬ばりと種まき前の3月頃に行う春かきがあり、土を平にならすことと同時に土塊の破砕と害虫駆除の目的があった。これらの作業に使われる耕紀用具には古くはエグワ、カラスキ等が使われ、昭和10年頃からはバコウグワが用いられるようになり、畑の隅の耕起にはビッチュウグワなどが用いられた。春かきは冬ばりで十分に破砕されていなかった土塊を細かく砕く作業で、馬にマンガを引かせて砕土した後、種まき直前にフリマンガでさらに土塊を細かく砕く作業を行った。 播種用具や中耕用具は麻まきや除草に用いられた用具である。麻まきは3月下旬から4月上旬の晴天の日に行われ古くは手でまいていたが、明治初めに播種器が実用化されると徐々に普及し大正初めには野州麻の栽培地域に広く普及して用いられるようになった。麻まきが済むとメツブシカゴやショイオケなどで堆肥を運んで施肥が行われる。その後麻の丈が4~5㎝になった頃と20㎝ほどになったときの2回、カッサビやサクヒキなどを用いて畝間の除草と土寄せをする中耕が行われる。 これらの作業が済んだ7月下旬から8月上旬の晴れた日を選んで収穫が行われる。収穫用具にはアサキリボウチョウ、束ねた麻の根本を打ちつけて揃える作業に使うソロエダイ、シャクゴとよぶ長さを測る定規などがある。湯かけ用具にはアサブロとテッポウガマがある。 加工用具には湯かけして天日乾燥した麻を水につけるときに使うオブネ、これを発酵させるために使う莚やオドココモ、麻の繊維を取り出す作業に使うアサヒキバコ、アサヒキダイ、ヒキゴなどがある。乾燥用具はひき終わった麻を乾燥させる作業に使うオカケザオがあり、麻を束ねる結束用具にはアサマルキダイなどがある。このほか種とり用具にはクルリボウ、フルイ、フクベなどがある。 製品にはセイマ、ニハギ、オアカ、オガラがあり、セイマは野州麻の中心となる生産物で衣類や綱、弓弦、下駄の鼻緒の芯、神事などに用いられる他、第二次世界大戦前には魚網、釣糸、蚊帳などの材料として用いられた。ニハギやオアカは畳糸の原料、紙の原料として利用されたが現在は需要がない。オガラも戦前は懐炉灰の原料や屋根材として利用され、現在は神事や祭礼などに利用されている。 以上のように、野州麻の生産用具は日本の代表的な麻の生産地である栃木県中央部において麻の生産に用いられてきた用具が体系的に収集されている重要な資料群となっている。 麻は日本の伝統的な植物繊維として知られ、木綿の利用が一般化する前には庶民の衣料の代表的な素材でもあった。しかし、化学繊維の普及などによってその生産量は激減し国内ではわずかに栽培されるのみになっている。野州麻は国内最大の生産量を誇る麻であり、本件は我が国の伝統的な繊維の生産の有り様の一典型を示す資料群として、全国的な比較の上でも重要である。