国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
三宅八幡神社奉納子育て祈願絵馬
ふりがな
:
みやけはちまんじんじゃほうのうこそだてきがんえま
三宅八幡神社奉納子育て祈願絵馬
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員数
:
124点
種別
:
信仰に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
0221
指定年月日
:
2009.03.11(平成21.03.11)
追加年月日
:
指定基準1
:
(六)信仰に用いられるもの 例えば、祭祀(し)具、法会具、奉納物、偶像類、呪(じゆ)術用具、社祠(し)等
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
京都市左京区上高野三宅町22
保管施設の名称
:
絵馬展示資料館
所有者名
:
三宅八幡神社
管理団体・管理責任者名
:
三宅八幡神社奉納子育て祈願絵馬
解説文:
詳細解説
この資料は、近世より疳の虫封じの御利益で知られ、虫八幡とも呼ばれた三宅八幡神社に子育て祈願の目的で奉納された絵馬のまとまりである。近世末期から昭和初期までに子供の無事成長を願って奉納されたものが多く、なかでも多くが大絵馬で、三宅八幡神社に参詣する子どもや親の様子、遊ぶ子どもの様子などを描いており、中には描かれた子どもの名をすべて書き込んだものもある。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
三宅八幡神社奉納子育て祈願絵馬
三宅八幡神社奉納子育て祈願絵馬
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三宅八幡神社奉納子育て祈願絵馬
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解説文
この資料は、近世より疳の虫封じの御利益で知られ、虫八幡とも呼ばれた三宅八幡神社に子育て祈願の目的で奉納された絵馬のまとまりである。近世末期から昭和初期までに子供の無事成長を願って奉納されたものが多く、なかでも多くが大絵馬で、三宅八幡神社に参詣する子どもや親の様子、遊ぶ子どもの様子などを描いており、中には描かれた子どもの名をすべて書き込んだものもある。
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詳細解説
この資料は、京都府左京区上高野三宅町に鎮座する三宅八幡神社に奉納された子育て祈願に関する資料である。上高野は比叡山麓、鴨川の支流にあたる高野川の谷口扇状地に位置し、京都の都心部から8㎞の距離にある。なお、上高野の氏神は崇道神社で、三宅八幡神社は氏子のいない神社である。 三宅八幡神社は、虫八幡とも称され子どもの疳の虫封じの神として知られる。同社はもともと田の虫除けの神として祀られていたのが子どもの虫除けの神としての信仰に変わってきたといわれており、京都市中はもとより南近江(滋賀県)や山城(京都府)、摂津、河内(大阪府)、大和(奈良県)などを含む広範囲から多数の参詣者を獲得してきた。 三宅八幡神社には全部で161点の絵馬が奉納されているが、そのうち124点が子育て祈願に関するものである。これらの絵馬の奉納年代は、奉納年の記載のある107点を見ると嘉永5(1852)年から昭和7年までの80年間に亘り、多い年には年間6枚の絵馬が奉納されている。 本件の絵馬の特徴の1つは、絵馬の中に個人名や年齢が記されているものがあることで、これにより奉納者の特定が可能となり年齢もわかる。また、奉納者及び奉納団体についても墨書から知ることができ、個人・家族・親族単位で奉納されたもののほか、大工仲間や薬種商仲間などの同業者仲間が奉納したものもある。これらには奉納者の住所が記されたものもあり、それからは下京区からの奉納が圧倒的に多いことがわかる。 奉納された絵馬は、そのほとんどが木製で形状は幅広の縁がついた横長の長方形である。124点のうち100点が1枚もしくは数枚の板をつないだ上に直接墨や群青、緑青、朱、金砂子などで彩色している。また1点だけであるが板の上に油彩画で描かれているものがある。そのほか、板の上に紙を貼り、その上から水彩絵の具で描かれたものや漆喰によるこて絵が描かれたものもある。 子育て祈願絵馬を画題から分類すると、参詣行列図50点、参詣図31点、鳩図9点、馬図3点、境内図5点、神功皇后図3点、童子遊図5点、人名簿12点そしてその他が6点になる。参詣行列図と参詣図をあわせると81点あり、この2つで全体のほぼ3分の2をしめることからも、この絵馬群を代表する絵柄であるといえる。参詣行列図は三宅八幡神社に参詣する集団が行列を作って参道を進む風景を描いたもので一辺が1㍍を超える大絵馬がほとんどである。中でも最大のものは縦1367㎜、横2112㎜である。 一方、参詣図は一家族程度の小規模のまとまりや、奉納者あるいは無事生育することを祈願した子ども本人のみが描かれたもので、参道を進む人物や本殿の前で跪く人物、神社を遠く望むようにして拝む人々の姿が描かれている。参詣行列図と参詣図はともに参詣する人物と、三宅八幡神社の両方が描かれている。描かれた人数が最多のものは大人162人、子ども458人、不明18人のあわせて638人が描かれており、それぞれに個人名が書かれた付箋がつけられている。 参詣行列図は、安政2(1855)年から明治38(1905)年の50年に亘って奉納され、最も多く奉納されているのは明治前半である。これに対し、参詣図は慶応2(1866)年から大正期に至るまで途切れることなく奉納され続けているが、時代が下るにつれ祈願奉納者が集団から家族単位に変わっていく傾向が見える。また、絵馬に描かれている同社の本殿、拝殿、絵馬堂、神楽殿、社務所といった現在見られる諸施設のすべてが、幕末から明治中期にかけて整備されたものであることからも、同社が近代に繁栄した神社であることをうかがい知ることができる。 三宅八幡神社への子育て祈願の絵馬奉納が行われた背景には、三宅八幡神社が疳の虫封じを初めとする子どもの病気平癒に霊験があるという信仰が広まっていたことがあるのはもちろんであるが、上高野を含む旧愛宕郡内の村々が近世後期以来、京都市中の家庭から子どもを里子として預かり養育してきたこともあるといわれている。里子を預かり無事成長させることで、この地区が健全な子どもを育成する土地であるという印象を他地域の人々にあたえ、それもあって三宅八幡神社には疳の虫封じのご利益とともに、子どもの無事成長を願う子育て祈願の信仰が集まり絵馬奉納の習俗も盛んに行われたともいわれている。 この資料は、京都市中心部をはじめとし周辺地域を含めた広い範囲から、子育て祈願の信仰を集めてきた京都市左京区上高野の三宅八幡神社に幕末から昭和初年までの間に奉納されたもので、描かれた人物それぞれの個人の名前が記されたものも見られる子育て祈願の絵馬である。信仰の手段として奉納される絵馬は、海上安全や船の無事を感謝して奉納された船絵馬や、祠堂に奉納された願かけの絵馬などが知られているが、子育て祈願の絵馬のまとまりは類例があまり知られていない。本件は我が国の伝統的な子供観を示すとともに、子育て祈願の様相を示すものとして重要である。また、絵馬奉納の習俗の全国的な比較の上でも重要である。