国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
沼津内浦・静浦及び周辺地域の漁撈用具
ふりがな
:
ぬまづうちうら・しずうらおよびしゅうへんちいきのぎょろうようぐ)
沼津内浦・静浦及び周辺地域の漁撈用具
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員数
:
2539点
種別
:
生産、生業に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
内訳:網漁具250点 釣漁具676点 突漁具29点 磯物採取用具27点 陥穽漁用具37点 畜養・養殖用具144点 漁船及び網小屋用具171点 漁船・漁具製作及び修繕用具750点 交易運搬用具43点 水産加工用具111点 信仰・儀礼用具239点 漁業経営用具62点
指定番号
:
00222
指定年月日
:
2010.03.11(平成22.03.11)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)生産、生業に用いられるもの 例えば、農具、漁猟具、工匠用具、紡織用具、作業場等
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県
:
静岡県
所在地
:
静岡県沼津市下香貫島郷2802-1
保管施設の名称
:
沼津市歴史民俗資料館
所有者名
:
沼津市
管理団体・管理責任者名
:
沼津内浦・静浦及び周辺地域の漁撈用具
解説文:
詳細解説
この資料は、駿河湾の最奥部にあたる静岡県沼津市内で漁撈に用いられてきた用具類である。沼津市歴史民俗資料館が開館以来収集してきたもので、網漁具、釣漁具、突漁具、磯物採取用具、陥穽漁具、畜養・養殖用具と漁船及び網小屋用具、漁船・漁具製作及び修繕用具、交易運搬用具、水産加工用具、信仰・儀礼用具、そして漁業経営用具からなる。この地域の漁撈の様相や漁法の変遷などをよく示している。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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沼津内浦・静浦及び周辺地域の漁撈用具
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解説文
この資料は、駿河湾の最奥部にあたる静岡県沼津市内で漁撈に用いられてきた用具類である。沼津市歴史民俗資料館が開館以来収集してきたもので、網漁具、釣漁具、突漁具、磯物採取用具、陥穽漁具、畜養・養殖用具と漁船及び網小屋用具、漁船・漁具製作及び修繕用具、交易運搬用具、水産加工用具、信仰・儀礼用具、そして漁業経営用具からなる。この地域の漁撈の様相や漁法の変遷などをよく示している。
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詳細解説
この資料は、駿河湾の最奥部にあたる静岡県沼津市内で漁撈に用いられてきた用具類である。これらは沼津市歴史民俗資料館が開館以来収集に努めてきたもので、網漁具、釣漁具、突漁具、磯物採取用具、陥穽漁具、畜養・養殖用具と漁船及び網小屋用具、漁船・漁具製作及び修繕用具、交易運搬用具、水産加工用具、信仰・儀礼用具そして漁業経営用具からなる。 この収集の特徴として、漁撈用具では沿岸のマグロ建切網漁に用いられた用具類がある。内浦湾・江浦湾の地先では、江戸時代初期から大正時代初期にかけて、黒潮にのって駿河湾に入ってきたマグロ・カツオなどの大型回游魚群がこの地域の海岸近くまで押し寄せた。これをとるため、入り組んだ海岸線を利用して魚群を囲い込む建切網漁が盛んに行われた。建切網漁は、春から秋にかけて共同漁業として大規模に行われ、この地域の経済的な基盤となった。建切網漁は、魚群が入った湾の入口を帯状の大きな目のオオアミ(大網)で建ち切り、順次数種類の網を海底の根に掛からないように建ち廻して、魚群を浜へ囲い込み、最後はシビカギで引っ掛けながら、カケヤで急所を叩いて捕る漁法である。湾の入口を建ち切る大網は、ワラ縄製で、とくに稲藁の穂先部分でなったミゴナと呼ぶ細い縄で編まれたものがある。ミゴナは海中に入れると黄色く光り、たとえ網目が数メートルもある大きなものでも、マグロはこの縄におびえて近寄らなかったという。このようなマグロの敏感な性質を利用するとともに、アシの速い回游魚を逃がさず広い範囲をすばやく建ち廻すために、長い網でも大きな編み目で「軽く」したのである。建切網漁では、回游してくるナブラ(魚群)をいち早く発見し、直ちに網を建ち廻すことができるように、見晴らしのよいミネで魚群を見張り、上から網の張り方を指示した。ミネは各集落に数か所ずつあり、中でも中心的なオオミネ(大峰)の道具類がそろっている。オオミネでは、魚群を発見すると、ローフーという竹製の巨大な拡声器で、浜の居小屋で待機している漁師たちに知らせた。ローフーは、長さ約3㍍のモウソウチクの先を細かく割り、漏斗状に広げて上から和紙を貼りつけたものである。 地域共同で大規模に行われたオオアミ漁の漁期が終わると、コショウバイと呼ばれた個人操業の小規模な漁が盛んに行われた。コショウバイを具体的に挙げると、網漁では、ブリ刺網漁・コザラシ網漁・ヒラメ刺網漁などの刺網漁、手繰網漁・シラス網漁・揚げ網漁などの船曳網漁があった。また、釣漁では、カツオ・ウズワ・メジ(マグロ)・タイ・バショウイカ・コウイカ・アカイカなどの一本釣漁、イカ釣漁、タコ釣漁、マグロ立縄釣漁、タイ延縄釣漁、マグロ延縄釣漁などがあり、他に、ハズカゴ漁・モジリ漁・タコツボ漁などの筌漁、突漁なども行われた。これらに用いられた刺網は魚種ごとに幾通りもあり多種多様な用具が収集されている。 この地域の釣漁では、テンテンあるいはテンヤと呼ばれるタイの一本釣りに用いられる釣鉤をはじめ、延縄釣りのミチナと呼ばれる幹縄・ヒヨと呼ばれる枝縄・釣針に至るまで、圧倒的にタイ釣りのための漁具が多い。さらにタイの餌を捕るジャコ網やエビ網もある。 本件には、漁師自身による漁具製作の用具類が豊富に含まれている。古くは、漁具の材料には、麻・ワラ・シュロなどの植物繊維が使われた。麻の特性は、繊維が長く、切れにくく腐りにくいので、漁網・釣糸・延縄釣漁の縄などの材料に適していた。麻は昭和になると四国方面からやってくる行商からも入手した。この他、漁民の船霊信仰を物語る「船霊様」がよく集められている。廃船にするときには、船霊様の宿る筒柱をまるごと切り取って屋内の神棚に祀る習俗が行われており、先祖代々乗り納めてきた十数艘分の船霊様がずらりと立て掛けられ並ぶ光景も見られる。社形式や掛軸などを含めて「船霊様」が集中して収集されている。 鰹節は、静浦地区を中心にして盛んに製造された。初夏のカツオの漁期漁師たちが行った副業であった。材料のカツオは、静浦・内浦地区に寄港する各地のカツオ釣船が、イワシの活餌を求める代わりに水揚げしてもたらしたもので、独特な形態を持つ生切り用の刃物も、このような漁を通じての交流によりもたらされた。 内浦・静浦地区では、春から初夏にかけて、餌イワシを供給する商売が明治時代中期から漁師の副業として発達した。この商売をする人々はエサカイと呼ばれた。エサカイは駿河湾で捕れたカタクチイワシを漁師から買い上げ、大小の入江や島影を利用して浮かべた生簀に1週間ほど放って畜養し、体調を整えてから活餌として売るという商いであった。イワシを漁場から岸辺の生簀まで運ぶには、イキョウと呼ばれる口のすぼまった巨大な竹籠を使った。地元の漁師が巾着網で捕ったイワシをイキョウに移し、筏のように幾つも連結させて帰ってきた。静浦地区多比には、イキョウ作りを専門とする職人が15~20人もいた。これらのエサカイ関連の資料も収集されている。 この資料は、沼津市内浦・静浦及び周辺地域における漁撈の様相や漁法の変遷などを示すものであり、江戸時代初頭から近代に至る漁民史料として高く評価されている渋沢敬三編纂の『豆州内浦漁民史料』に記された漁撈の実態を知ることができるまとまりでもある。駿河湾最奥部における地先や沖合での漁撈の様相や漁法の時代的な変遷を示すものであるとともに、我が国における伝統的な漁撈活動のあり方や漁法の変遷の過程を知る上で重要である。