国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
丹後の紡織用具及び製品
ふりがな
:
たんごのぼうしょくようぐおよびせいひん
丹後の紡織用具及び製品
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員数
:
732点
種別
:
生産、生業に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
内訳:紡織用具513点 製品219点
※「丹後の藤布紡織習俗」は、昭和58年12月16日に記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されている。
指定番号
:
00223
指定年月日
:
2010.03.11(平成22.03.11)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)衣食住に用いられるもの 例えば、衣服、装身具、飲食用具、光熱用具、家具調度、住居等
指定基準2
:
(二)生産、生業に用いられるもの 例えば、農具、漁猟具、工匠用具、紡織用具、作業場等
指定基準3
:
(三)地域的特色を示すもの
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
宮津市字国分小字天王山611-1
保管施設の名称
:
京都府立丹後郷土資料館
所有者名
:
京都府
管理団体・管理責任者名
:
丹後の紡織用具及び製品
解説文:
詳細解説
この資料は、丹後地方の藤織り、裂き織り、麻布織り、木綿織りなどに用いられた用具類と、その製品である布で作られた仕事着などを収集したものである。比較的近年まで多様な素材を利用した織物が利用されてきた丹後地方の紡織に関する用具の収集で製糸用具、機織り用具などの紡織用具と製品である仕事着からなる。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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丹後の紡織用具及び製品
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丹後の紡織用具及び製品
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解説文
この資料は、丹後地方の藤織り、裂き織り、麻布織り、木綿織りなどに用いられた用具類と、その製品である布で作られた仕事着などを収集したものである。比較的近年まで多様な素材を利用した織物が利用されてきた丹後地方の紡織に関する用具の収集で製糸用具、機織り用具などの紡織用具と製品である仕事着からなる。
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詳細解説
この資料は、京都府立丹後郷土資料館が開館以来収集してきた丹後地方の藤織り、裂き織り、麻布織り、木綿織りなどに用いられた用具類と、その製品である布で作られた仕事着などを収集したものである。 丹後地方は古くから織物の国として知られ、丹後縮緬の産地としても知られてきた。また、山間部では藤織り、海岸部では裂き織りといった特色のある紡織が行われてきた。かつて丹後の人々が日常の暮らしの中で着用したのは木綿や麻、藤を素材としたもので、麻織物や藤織物は原料の入手から織りまで自らの手で行っていた。特に藤織りについては全国でも最も遅くまで行われていた地域として知られている。 江戸時代以降、全国的に木綿織物が庶民の衣料として普及してくるが、寒冷地である丹後の山間部は綿の栽培には適さなかった。このため近代になっても長く麻や藤織物が日常の衣料として利用されてきた。綿製品については、古着を再利用した裂き織りや刺し子が多く利用された。 本件は、このように比較的近年まで多様な素材を利用した織物が利用されてきた丹後地方の紡織に関する用具の収集で製糸用具、機織り用具などの紡織用具と製品である仕事着からなる。 藤織りは、高冷な山間地で綿の栽培に適さなかった丹後半島山間部で、近年まで山野に自生する藤を利用して行われてきた。作業は4~5月のまだ雪の残る山野に自生する藤蔓を切り取る藤伐りから始まる。この作業には鉈、鉈鎌、鎌などを使う。伐りとった藤蔓は木槌でたたき芯とオニガワを剥ぎ、オニガワのウワカワを鎌で削り取って白い皮のオニガワをとり、2~3日干した後保存する。この作業ではツチが使用される。その後11月末頃から平鍋に入れた木灰でナカガワを炊くアクダキ、その後、ナカガワの汚れやヌメリをとるフジコキ、さらに平鍋の湯に米ぬかを入れてナカガワを浸けるノシイレの作業がある。アクダキからノシイレまでが一日仕事とされていた。 この後1~3月に繊維を長くつなぐフジウミを行う。さらにヨリカケ、ワクドリを経て糸をヘダイにかけて経糸の準備をするヘルと呼ぶ作業が行われる。これらの糸を準備する作業を経て藤布を織る作業が始まる。ここまでの作業では平鍋、フジコキ(藤扱き)、フジウミ(藤績み)に使用するタケ製のコウバシ、糸を収納する渋紙を張ったハリコと呼ばれる張り子の籠などが使われる。 藤織りにはタカバタ(高機)が使われるが、第二次世界大戦前にはジバタ(地機)も使われた。こうして織られたノノと呼ばれる布は、4月頃に宮津の雑貨屋などに売られ、仕事着や米袋、醤油絞り袋、畳の縁などとして利用された。 麻は、丹後地方では大正時代中頃まで栽培が行われ、布や網糸、釣糸として利用された。また、麻は裂き織りの経糸としても利用された。麻の製糸用具にはオ(苧)を蒸すために使用したムシオケや糸を撚るときに糸車につけて使用するツメなどがあり、機織用具には釣糸や網に使用する糸に撚りをかけて強くするために使用したイトグルマやジバタなどがある。 裂き織りや刺し子は、丹後地方の海岸部の村々で織られ、作られた。裂き織りは、経糸に麻または木綿の太糸、緯糸に木綿の古着などを裂いたものを使用して織るもので、刺し子は木綿地を2~3枚重ねて木綿糸で刺した布で、木綿を長持ちさせるための工夫として織られ作られた。ドンザと呼ばれる刺し子の仕事着はおもに冬場の漁で海着として着られ、海上での寒風や波しぶきから漁師を守った。刺し子は女達の冬の夜なべ仕事で作られ、丈夫で長持ちさせるだけでなく刺し子の文様の美しさも見られるものである。丹後地方でサックリとかサッキョリなどと呼ばれる裂き織りも冬の夜なべ仕事で作られた。緯糸に裂いた木綿を織り込んでいるため織り上がった布はずっしりと重く、ごわごわした感じになるが冬の寒さを防ぐだけでなく、夏も日差しを遮り、べとつくことがなく涼しかった。裂き織りに使用する古木綿は布を購入したり古くなった日常着を再利用する。古木綿の紐をクサまたはグサと呼び、短く切らずに長くつながるように裂いておいて冬場の機織りに使用した。 絹織物としては丹後縮緬がすぐ思い浮かぶほど代表的なものであるが、藤・麻・木綿などが日常生活の中で使用するものであったのに対し、京都へ出荷される商品として織られたという違いがある。生産自体も機屋、縮緬屋と呼ばれた専業者によって担われたが、丹後の人々にとっては機屋に働きに行って、あるいは自宅で賃機として織るもので農家の副業的な仕事として大きな位置を占めていた仕事である。若い女性が縮緬屋で奉公することにより、タカバタでの高度な紡織技術を身につけ、その技術を藤・麻・木綿といった織物の紡織技術に利用したこともあり、縮緬生産と自給的な織物の紡織技術との関連も大きい。縮緬に代表される絹織物関係の用具としては、繭から糸をひくために使用するザグリ、綛糸を小枠に巻き取るのに使用するイトクリや緯糸を打ち込むオサなどの他タカバタなどもある。 藤・麻・木綿などの糸で織られた布を使用した製品としての仕事着には、刺し子やサックリ、ドンザなどと呼ばれる漁師の冬の仕事着がある。この他に冬期の漁で船を漕いだりするときに使用した防寒用の手袋であるサシコテブクロや海女が漁の時に海藻などを入れるのに使用した麻製の袋であるスマブクロなどもある。 この資料は、丹後地方における植物繊維や動物繊維の多様な利用を示しており、我が国における伝統的な紡織習俗、特に丹後地方における紡織習俗の全体像を知ることができ、また全国的な比較の上でも重要である。