国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
宇土の雨乞い大太鼓 附関連資料
ふりがな
:
うとのあまごいおおだいこ つけたりかんれんしりょう
宇土の雨乞い大太鼓 附関連資料
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員数
:
29基 附28点
種別
:
年中行事に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
内訳 雨乞い大太鼓29基 附 関連資料28点
指定番号
:
234
指定年月日
:
2017.03.03(平成29.03.03)
追加年月日
:
指定基準1
:
(十)年中行事に用いられるもの 例えば、正月用具、節供用具、盆用具等
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県
:
熊本県
所在地
:
熊本県宇土市宮庄町406番地の2
保管施設の名称
:
宇土市大太鼓収蔵館
所有者名
:
宇土市ほか27区
管理団体・管理責任者名
:
宇土市
宇土の雨乞い大太鼓 附関連資料
解説文:
詳細解説
熊本県宇土市では,夏の干天時の雨乞いを始め,田植後のサナブリや八朔の豊年祭りなどのときに,大きな太鼓を担ぎ出して叩き,降雨や豊作を祈願する行事が伝承されてきた。これらの行事は,戦後の社会変動の中で多くが失われたが,市域には29基の雨乞い大太鼓が残されている。
雨乞い大太鼓には,長胴太鼓とドラ太鼓の二種がある。いずれも,ケヤキの大木を刳り貫いて作られた鋲留め太鼓で,面径が1mを超えるものも多く,近世から明治初期にかけて製作されている。
長胴太鼓は,26基が収集されている。台車に載せたり,担い棒に括り付けて担ぎ,鼓面を横から叩く形式で,両側の縁に木星と呼ばれる多面体の飾りが付くのが形態上の大きな特徴である。また,ドラ太鼓は,湾曲し装飾化した枠の付いた台車に吊り下げ,鼓面を上から叩く形式で,3基が収集されている。
これらの太鼓のほかに,太鼓の胴に掛けた油単や太鼓のばち,担ぎ棒,太鼓とともに使用された鉦(かね)や笛,革の張替時などに書かれた古記録もあり,関連資料として附にしている。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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宇土の雨乞い大太鼓 附関連資料
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宇土の雨乞い大太鼓 附関連資料
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解説文
熊本県宇土市では,夏の干天時の雨乞いを始め,田植後のサナブリや八朔の豊年祭りなどのときに,大きな太鼓を担ぎ出して叩き,降雨や豊作を祈願する行事が伝承されてきた。これらの行事は,戦後の社会変動の中で多くが失われたが,市域には29基の雨乞い大太鼓が残されている。 雨乞い大太鼓には,長胴太鼓とドラ太鼓の二種がある。いずれも,ケヤキの大木を刳り貫いて作られた鋲留め太鼓で,面径が1mを超えるものも多く,近世から明治初期にかけて製作されている。 長胴太鼓は,26基が収集されている。台車に載せたり,担い棒に括り付けて担ぎ,鼓面を横から叩く形式で,両側の縁に木星と呼ばれる多面体の飾りが付くのが形態上の大きな特徴である。また,ドラ太鼓は,湾曲し装飾化した枠の付いた台車に吊り下げ,鼓面を上から叩く形式で,3基が収集されている。 これらの太鼓のほかに,太鼓の胴に掛けた油単や太鼓のばち,担ぎ棒,太鼓とともに使用された鉦(かね)や笛,革の張替時などに書かれた古記録もあり,関連資料として附にしている。
詳細解説▶
詳細解説
宇土の雨乞い大太鼓は、熊本県宇土市において、夏の干天時の共同祈願の行事である雨乞いや農耕儀礼などに際し、降雨や豊作を祈願して叩かれた巨大な太鼓の収集である。 宇土市は、熊本県のほぼ中央、熊本平野の南縁部に位置する。有明海と八代海を分断する宇土半島の基部にあり、市域は東西に細長く、半島の北半分を占める。近世には、小西行長によって築城された宇土城の城下町として栄え、また、近代以後も熊本県における商工業の拠点の一つとして発展し、旧城下の区域が現在も市街地の中心部を形成している。一方、市街地以外の多くは農村地帯であり、これらの地域において、雨乞い行事が盛んに行われ、集落ごとに太鼓が所有されてきた。 宇土では、雨乞い大太鼓が使用されたのは、夏期の干天時をはじめ、田植え終了後に行われるサナブリ、八朔、旧暦八月九日の豊作祭りなどである。サナブリは、農休みも兼ねた田植え終いの儀礼で、順調な降雨と苗の育成を祈願して太鼓が叩かれ、地区によっては、水難除けのカワマツリのときにも太鼓が奉納されていた。これらの行事では、青年を中心とする地区の男性たちが太鼓を叩きながら村中を練り歩いたり、集落内に祀られる神社やお堂に太鼓を運んで奉納したりする形態がとられ、その際に、女性たちによる踊りや笛、鉦などが加わることもあり、ときには市街地まで太鼓を担いで出向くこともあった。また、神社が小高い場所に祀られている地区では、大勢の若者たちが太鼓を勇壮に担いで鳥居を潜り抜け、階段を一段一段登りつめて社殿の前まで担ぎ上げて奉納していたが、現在では、椿原地区が三年に一度、こうした形態での太鼓奉納を伝えるのみとなっている。 このように宇土における雨乞い大太鼓は、雨乞いという臨時的な共同祈願に留まらず、農耕に関わる恒常的な年中行事として地域に定着し伝承されてきたもので、太鼓の奉納にはとくに若者たちの娯楽的な要素もあったという。しかしながら、こうした行事が盛んに行われていたのも昭和初期頃までで、戦後は地区にある太鼓小屋やお堂の中などに放置されたままとなり、朽ちて壊れたり、売却されたものも少なくなかった。こうした状況に対し、宇土市では、平成二年から市域に残されていた雨乞い大太鼓の本格的な修理を実施するとともに、それと並行して、太鼓の保存・継承のための組織として宇土雨乞い大太鼓保存会を結成した。また、翌年には、太鼓の収蔵施設として宇土市大太鼓収蔵館が建設され、現在、各区が所有する二七基と宇土市に寄贈された二基の計二九基の太鼓が同館に展示、保管されている。なお、毎年八月には、宇土市が主催する宇土大太鼓フェスティバルがあり、毎年数基が参加しており、太鼓の活用も図られている。 雨乞い大太鼓には、長胴太鼓と呼ばれる胴の長い円筒形の太鼓とドラ太鼓と呼ばれる平太鼓の2種類がある。 いずれもケヤキの一木を刳り貫き、牛革を張って製作された大型の鋲留め太鼓である。長胴太鼓は、方形の台車に載せたり、担ぎ棒に括り付けたりして、1人ないしは2人が鼓面を横から叩く形式で、面径60~132㎝、胴長74~207㎝、胴回り215~513㎝の26基が収集されている。最も大きな太鼓は椿原区のもので、胴長は2mを超えており、当地区の太鼓を含め面径が1mを超える太鼓は13基を数える。一方、ドラ太鼓は、湾曲し装飾化した枠の付いた台車に吊り下げて鼓面を水平にし、4、5人が同時に上から叩く形式をとり、面径105~123㎝、胴長68~85㎝、胴回り361~425㎝の3基が収集されている。 長胴太鼓には、革面を留める鋲の外縁部に木星と呼ばれる多面体の飾りが付き、形態上の大きな特徴となっている。木星は、太鼓の両側に24から37の数で付けられており、鉄製の鋲が普及する以前の形態が残り、装飾として発展したものと推測されている。また、雨乞いとの関わりから、雷の稲妻を表現しているとの伝承もある。太鼓の製作年代は、近世から明治初期である。太鼓の内面には、製作年や革の張り替えの年、製作者や世話人の名などが墨書されているものが12基あり、近世に製作されたものが8基、最古のものは平木区の雨乞い大太鼓で、寛文13年(1673)の銘を持つ。 熊本県では、雨乞いに大きな太鼓が広く用いられていた。長胴太鼓は、県下では、熊本平野から宇土半島を中心とする地域に分布しており、一方、ドラ太鼓は長胴太鼓の分布圏を取り巻くようにやや広域に分布が確認されている。宇土市は、長胴太鼓の伝承例の方が多かったが、この2つの太鼓の分布上の境界的な地域に当たっており、そのため両方の形態の大太鼓が収集されている。これらの雨乞い大太鼓のほかに、太鼓の胴に掛けた油単や太鼓のばち、担ぎ棒、太鼓とともに使用された鉦や笛、太鼓の革の張り替えを記した古記録などの関連資料も収集されており、本体を補完する資料として附としている。