国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
上尾の摘田・畑作用具
ふりがな
:
あげおのつみた・はたさくようぐ
01上尾の摘田・畑作用具_摘田用具
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
750点
種別
:
生産、生業に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
内訳:摘田用具405点、畑作用具345点
※本件は平成28年3月9日に登録有形民俗文化財となっていた。
指定番号
:
265
指定年月日
:
2021.03.11(令和3.03.11)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)生産、生業に用いられるもの 例えば、農具、漁猟具、工匠用具、紡織用具、作業場等
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県
:
埼玉県
所在地
:
埼玉県上尾市
保管施設の名称
:
上尾市文化財資料室
所有者名
:
上尾市
管理団体・管理責任者名
:
01上尾の摘田・畑作用具_摘田用具
解説文:
詳細解説
日本の稲作は、田植えを行う植田が一般的に知られているが、かつては水稲の直播き栽培も広く行われており、関東地方では摘田と呼ばれ、大宮台地とその周辺地域に集中的にみられた。摘田は、明治以後の水田開発や農業技術の進歩によって消滅したが、遅くまで摘田を続けていた上尾市域では、摘田用具の残存度が高く、農業の基盤であった畑作の用具とともに収集され、体系的に整理されている。関東平野における台地上での農業経営や畑作地域における稲作の地域的な様相を知ることができる資料群であり、我が国の稲作栽培や農耕文化の変遷を理解する上で重要である。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
01上尾の摘田・畑作用具_摘田用具
01上尾の摘田・畑作用具_畑作用具
写真一覧
01上尾の摘田・畑作用具_摘田用具
写真一覧
01上尾の摘田・畑作用具_畑作用具
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
日本の稲作は、田植えを行う植田が一般的に知られているが、かつては水稲の直播き栽培も広く行われており、関東地方では摘田と呼ばれ、大宮台地とその周辺地域に集中的にみられた。摘田は、明治以後の水田開発や農業技術の進歩によって消滅したが、遅くまで摘田を続けていた上尾市域では、摘田用具の残存度が高く、農業の基盤であった畑作の用具とともに収集され、体系的に整理されている。関東平野における台地上での農業経営や畑作地域における稲作の地域的な様相を知ることができる資料群であり、我が国の稲作栽培や農耕文化の変遷を理解する上で重要である。
詳細解説▶
詳細解説
上尾の摘田・畑作用具は、埼玉県の上尾市域において、摘田と呼ばれる水稲の直播き栽培と、大麦や小麦などの畑作に使用された農耕用具の収集である。 上尾市は、関東平野の中央部、埼玉県の南東部に位置する。市域の大部分は大宮台地にあり、鴨川や芝川が浸食し、緩やかに形成された谷によって、大地部と低地が混在する地形を特徴とする。近世には上尾宿が置かれ、中山道の宿場町として栄え、現在は旧中山道一帯を中心に市街地が発達し、都市化が進んでいるが、産業は古くから農業であった。当地の農業は、水はけの良い土壌を活かした畑作を基本とし、稲作は用排水路の設置が困難な地形的制約から、台地の谷地部やその周辺の低湿地にある田で行われてきた。そのため、苗代で育てた稲苗を田に移植して栽培する植田は適さず、田は荒川沿いの一部の堤外地を除いてすべて摘田で、昭和40年代まで行われており、国内では最も遅くまで直播き栽培を続けていた地域であった。 摘田は、整地した水田面に種籾を直に播いて稲を育て、米を作る稲作栽培法である。種籾を肥料と混ぜ合わせ、これを手で摘まんで点播し、成長した苗を整える株拵えと除草の作業を入念に行うことに作業上の特徴がある。摘田の呼称は、この「手で摘まむ」という播種の方法に由来する。このような水稲の直播き栽培は、関東地方と九州地方に主に分布し、関東地方では摘田や蒔田、九州地方では実植えや実蒔きなどの名称で呼ばれ、埼玉県内では、上尾市域を含む旧北足立郡を中心に大宮台地とその周辺に集中的にみられた。この地域が遅くまで摘田を継続してきたことについては、自然条件に加え、麦の収穫時期と稲作作業との重なりを避け、労働力の配分を優先し、田植えよりも早い時期に播種できる摘田を選択してきたことが最大の理由と考えられている。 上尾市域の農業は、大麦と小麦、サツマイモなどが主要な作物であり、なかでも麦作が盛んであった。1年間の農作業の流れは、麦の栽培を軸とし、畑では、秋から春にかけて大麦・小麦、その裏作としてサツマイモが作られ、田の稲刈りが終わると、サツマ床と呼ばれるサツマイモの苗床を作るため、雑木林で落葉を集める山かきが行われた。一方、田では、春から秋にかけて摘田が行われた。田は、排水が十分にできない湿田が多く、水利は天水や湧水に依存しており、ドブッタやヤツダと呼ばれていた。とくに軟弱な土質の田は、ソコナシやフカンボと呼ばれ、足場となる丸太を田の中に埋め込んで農作業に従事した。畜力の導入も難しく、人力による作業が主流であった。また、大雨による増水時には、田がそのまま浮き上がって流出する浮田の伝承もあり、過酷な条件下で米作りを営んできたことがうかがわれる。 本件は、上尾市が市域の農家の減少や農機具の機械化が進んでいた昭和50年代から調査と収集を開始し、長年にわたり整理を進めてきたもので、平成28年に国の登録有形民俗文化財となる。その後、同市が追加収集とさらなる分類・整理を進め、現在は市内にある上尾市文化財資料室に収蔵されている。 収集資料は、摘田用具と畑作用具の2つの資料群から構成される。摘田用具は、耕起、整地、播種、灌漑、除草、施肥、収穫、脱穀、選別調整、俵装の各工程に使われた用具が網羅され、畑作用具についても、耕起、整地、播種、麦踏、土入れ、除草、施肥、収穫、脱穀、選別調整、俵装、開墾、山かきの各工程に使われた用具が揃っている。これら用具の製作・使用年代は、近世末期から昭和30年代までの時代で、収集の中には紀年銘をもつ農具も含まれ、明治・大正期のものが多くみられる。 摘田用具は、田の畔を成型したハバタ、土中の稲の切株や土の塊を崩したウナイマンノウやキッコシマンノウ、田面を平らに均したタコスリマンガなどの耕起・整地用具、種籾と混ぜ合わせる肥料の灰を整えたハイブルイ、田摘みと呼ばれる種播き時の目安となる筋を田面に引いたノタクリ、田摘みに用いた一斗五升ザルとツミナワなどの播種用具、肥料を運んだコエオケやテゴなどの施肥用具、湧水を溜めた田井戸などから田に水を入れたスイコ、雑草を取り除いたタコスリやアヒルなどの灌漑・除草用具、稲刈りに用いたカマやカンジキ、刈り取った稲を運んだタブネなどの収穫用具、稲穂から籾を落とすのに用いたカナゴキや回転脱穀機などの脱穀用具、脱穀後の筵干しに使ったヒロゲボウ、籾摺りに用いたカラウス、玄米と籾殻、藁くずなどを選り分けたフルイやトウミ、米粒の精選に用いたマンゴクドオシなどの選別調製用具がある。 畑作用具は、畑の土を起こしたヒラグワや三本グワ、四本グワ、エンガ、土を砕いて畑を平にしたジンリキマンノウやコスリマンガなどの耕起・整地用具、麦の種蒔きに使ったウネヒキナワや一升マス、種蒔き機などの播種用具、麦の土入れに用いた各種のジョレン、麦踏を効率的に行うために造られたローラー型の麦踏機、除草に用いたクサカキガマがあり、脱穀用具には、麦の穂を落とした竹製のコキや麦打ちに使ったクルリボウ、牛馬に曳かせた車輪付きの麦打ち機、小麦の束を打ち付けて脱粒した大型の麦打ち台などがある。また、上尾市域では、ヤマと呼ばれる雑木林が多く、開墾して畑地にすることも行われており、また、秋から冬にかけての大量の落ち葉は、サツマ床の原料として利用された。開墾に使用されたクログワやトウグワ、落ち葉を集めて運んだクマデとオオカゴも畑作の一連の用具として収集されている。また、サツマイモの苗の土寄せや収穫の作業には、麦作の耕起にも使用した鍬類が用いられた。このほかに、収穫物を保存する俵詰めに用いたトオケやトカキボウ、マス、ジョウゴ、俵編み機などを俵装用具として含めている。