国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
佐野の天明鋳物生産用具及び製品
ふりがな
:
さののてんみょういものせいさんようぐおよびせいひん
重有民_鋳物の主な生産用具と製品
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員数
:
1,556点
種別
:
生産、生業に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
・内訳
生産用具 1,522点
製 品 34点
指定番号
:
268
指定年月日
:
2024.03.21(令和6.03.21)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)生産、生業に用いられるもの 例えば、農具、漁猟具、工匠用具、紡織用具、作業場等
指定基準2
:
(六)職能の様相を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県
:
栃木県
所在地
:
栃木県宇都宮市睦町2-2
保管施設の名称
:
栃木県立博物館
所有者名
:
佐野市
管理団体・管理責任者名
:
重有民_鋳物の主な生産用具と製品
解説文:
詳細解説
佐野における鋳物生産の起源は、天慶年間(938~947)に遡るとされ、梵 鐘や茶の
湯釜、農具、生活用品など幅広い製品を鋳造しており、当地で造られた鋳物製品は、佐野の古い地名をつけて「天明鋳物」の名で広く知られている。天明鋳物の生産は、原材料の調整にはじまり、鋳型の製作、鋳型を組んで固定する型合わせ、鉄や銅などの金属材料の溶解、溶かした材料を鋳型に流し込む湯入れ、鋳型から製品を取り出す型ばらし、仕上げの各工程を経て完成となる。本件は「天命鋳物伝承保存会」と佐野市が協力し、その調査と収集を進めてきたもので、生産の各工程で使用された一連の用具が揃っており、当地で鋳造された主要な製品もあわせて収集されている。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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重有民_鋳物の主な生産用具と製品
重有民_鋳型用の各種の型
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重有民_鋳物の主な生産用具と製品
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重有民_鋳型用の各種の型
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解説文
佐野における鋳物生産の起源は、天慶年間(938~947)に遡るとされ、梵 鐘や茶の 湯釜、農具、生活用品など幅広い製品を鋳造しており、当地で造られた鋳物製品は、佐野の古い地名をつけて「天明鋳物」の名で広く知られている。天明鋳物の生産は、原材料の調整にはじまり、鋳型の製作、鋳型を組んで固定する型合わせ、鉄や銅などの金属材料の溶解、溶かした材料を鋳型に流し込む湯入れ、鋳型から製品を取り出す型ばらし、仕上げの各工程を経て完成となる。本件は「天命鋳物伝承保存会」と佐野市が協力し、その調査と収集を進めてきたもので、生産の各工程で使用された一連の用具が揃っており、当地で鋳造された主要な製品もあわせて収集されている。
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詳細解説
佐野の天明鋳物生産用具及び製品は、栃木県の佐野市域において生産されてきた、「天明鋳物」と呼ばれる鋳物の鋳造に使われた用具と当地で造られた鋳物製品の収集である。 佐野市は、栃木県の南西部、足尾山地の南麓、関東平野の北端に位置する。古くから織物や鋳物、石灰などの生産が盛んで、市の中心市街地は、近世には天明宿と呼ばれ、日光例幣使街道の宿場町として栄えた。中でも鋳物業は、佐野を代表する産業であり、当地の鋳物師によって造られた製品は、良質で優れた技術による鋳物であることから、その地名をつけて「天明鋳物」の名で広く知られている。古くは「天命」の字が使われていたが、近世以降は「天明」の字が次第に使用されるようになり、現在の名称に定着した。 佐野における鋳物の起源については、天慶年間(938~947)に、下野国の豪族で唐沢山城主の藤原秀郷が河内国から5人の鋳物師を当地に移り住まわせたことに始まるとされる。その後、茶の湯が流行した室町時代には、当地で造られた素朴な作風の茶釜は、筑前の芦屋釜とともに「西の芦屋、東の天命」と称賛され、その名が広く知られるところとなった。近世になると佐野の鋳物師たちは、全国の鋳物師を統制した京都の真継家の配下となり、仏具や工芸品、生活用具、農具などを生産し、それらの製品は、主に江戸の問屋を通じて各地に流通した。また、出吹と称して、東日本を中心に注文に応じて現地に出向き、寺院の梵鐘など大型製品も鋳造しており、その足跡は各地に残る。近代以降は、鋳造技術の発達や軽量なアルミ製品の普及などによって伝統的な鋳物業は次第に衰退していったが、現在も数軒の鋳物師が健在で、鋳物つくりを継承している。 本収集は、佐野市民の有志によって平成19年に組織された「天明鋳物伝承保存会」と佐野市が協力し、その調査と分類・整理を進めてきたもので、平成23年には栃木県の有形民俗文化財に指定され、現在は栃木県立博物館に保管されている。収集された資料群は、当地で古くから鋳物業に従事してきた若林家、正田家、太田家、大川家の4軒から寄贈されたもので、鋳物生産の主要な工程となる鋳造作業に使われた用具を中心に、原材料の調整に使われた用具、当地で造られた製品などから構成される。その製作・使用年代は、近世末期を上限とし、明治期から大正期にかけて使用されていたものが中心となる。 鋳物は、鉄や銅などの金属材料を溶かし、鋳型に流し込んで固める方法で造られる。天明鋳物の生産は、鋳型の原材料となる砂や土の調整にはじまり、鋳型の製作、鋳型を組んで固定する型合わせ、金属材料の熔解、溶かした材料を鋳型に流し込む湯入れ、固まった製品を鋳型から取り出す型ばらしの順で行われ、最後に製品の表面を処理する仕上げの工程を経て完成となる。燃料は、市域の山間部から産出される木炭を使い、鋳型造形用の砂や土は、近隣の河川や田畑から採取しており、鋳物の原材料となる金属類は、佐野川北岸の越名・馬門河岸を通じて供給されていたといわれている。 鋳造には、惣型、蝋型、生型の3つ鋳型が用いられてきた。惣型は、梵鐘や釜など円筒形の製品の鋳造に主に使われ、外型と中子の2つの型から成る。惣型の製作法は、挽き型法とも呼ばれ、製品の半断面を象った板状の木型を用いる。外型は、砂に粘土を混ぜたマネと呼ばれる鋳型用の砂を使い、木型を回転させながらコウガイとシリガタの上下の型に分けて成形し、乾燥後に焼成する。中子の製作は、木型を使う場合もあるが、外型の内側にモロコミズナと呼ばれる粘性の少ない砂を詰めて型抜きし、焼成後に製品の厚さ分だけ表面を削る方法が主に用いられた。これらの型を組み入れ、その中空部分に溶かした金属を流し込むのであり、外型上部には湯口と堰が付く。また、惣型の場合でも、形状が回転体でない梵鐘の龍頭、鍬先、製本の把手や脚部などの鋳型の製作には立体的な原型を使用し、表面の文様や文字を鋳出すのには押型を使用した。蝋型は、蜜蝋で作った製品の蝋原型をマネで覆い、焼成して蝋の部分を溶かして空洞を設けた鋳型で、蜜蝋の持つ可塑性を活かした細工のある製品を鋳出すのに用いられた。生型は、水分を含ませた砂のみで作る鋳型で、単純な形状の製品や量産を目的とする製品の鋳造に用いられた。このように鋳出す製品の形状や構造、生産量によって、鋳型の種類と鋳造法が使い分けられていた。 調整用具は、砂のふる篩い分けに使ったマンゴクやカゴブルイ、材料を運んだハコミ、土や砂を再利用するため、古い鋳型の粉砕に用いたバッタなどがある。鋳型つくり用具は、鋳型製作に使用した各種製品の木型をはじめ、木型の回転軸を設置するタネガタと上部で軸を受けるウシと呼ばれる足付き台、型の成形や削りに用いたヘラ類やカンナ類などがある。木型には、梵鐘や半鐘、鰐口、風鐸、鉦、香炉など寺社用の製品、茶釜や羽釜などの釜類、鍋や鉄瓶、火鉢、水鉢、花瓶などの生活用品の型がある。このほかに、龍頭型や鍬型、鍋の把手型などの原型、文様や文字を刻んだ各種の押型も収集されている。熔解用具は、熔解炉のコシキ、炉への送風に用いたフイゴやタタラ板、炉内の作業に用いたイブリやカキボウ、炉の出湯口の栓として用いたセントメボウなどがある。湯入れ用具は、注湯作業に用いたユクミやトリベ、カジバシ、注湯時に発生するガスを鋳型から抜いたドカンボウなどがある。型ばらし用具は、鋳型から製品を取り出すのに用いたツッペガシ、仕上げ用具は、製品の表面を整えたヤスリやバイトなどがある。鋳物の製品は、青銅製品として風鐸や擬宝珠、ヒョットコガマと呼ばれる風呂釜、鉄製品として羽釜や鉄瓶、鍬先などが収集されている。