国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
長崎のかくれキリシタン信仰用具
ふりがな
:
ながさきのかくれきりしたんしんこうようぐ
長崎のかくれキリシタン信仰用具
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員数
:
2,218点
種別
:
信仰に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
・内訳
御神体・偶像類、祭祀・儀礼用具、祈禱文・教義書・写本類、護符類、衣装類、その他
指定番号
:
269-74
指定年月日
:
2025.03.28(令和7.03.28)
追加年月日
:
指定基準1
:
(六)信仰に用いられるもの 例えば、祭祀(し)具、法会具、奉納物、偶像類、呪(じゆ)術用具、社祠(し)等
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県
:
長崎県
所在地
:
・長崎県長崎市立山1-1
・長崎県長崎市西出津町2800
・長崎県平戸市大石脇町1502-1
・長崎県平戸市生月町南免4289-1
・長崎県南松浦郡新上五島町有川郷578-36
・長崎県五島市池田町1-4
・長崎県長崎市西出津町2633
保管施設の名称
:
・長崎歴史文化博物館
・長崎市外海歴史民俗資料館
・平戸市切支丹資料館
・平戸市生月町博物館島の館
・新上五島町鯨賓館ミュージアム
・五島市五島観光歴史資料館
・長崎市ド・ロ神父記念館
所有者名
:
・長崎県
・長崎市
・平戸市
・新上五島町
・宗教法人カトリック長崎大司教区
・宗教法人お告げのマリア修道会
管理団体・管理責任者名
:
長崎のかくれキリシタン信仰用具
解説文:
詳細解説
長崎県内各地のかくれキリシタンの集落で使用されていた信仰用具を網羅的に分類・整理した資料群である。長崎では、江戸幕府によるキリスト教の禁教以後も、平戸や外海、五島列島などの地域で信仰が密かに継承された。その信仰は、宣教師不在の長い時代を通して、在来の仏教や神道などと習合、共存しながら独自の信仰形態となり、今日に伝えられてきた。本収集は、メダルやコンタツ、聖像、聖画などの信仰対象をはじめ、祭祀や儀礼に使われた祓い具や占い具、オラショと呼ばれる祈祷文、信仰上の暦を記した日繰り帳、護符類、衣装類などから構成されている。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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長崎のかくれキリシタン信仰用具
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長崎のかくれキリシタン信仰用具
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解説文
長崎県内各地のかくれキリシタンの集落で使用されていた信仰用具を網羅的に分類・整理した資料群である。長崎では、江戸幕府によるキリスト教の禁教以後も、平戸や外海、五島列島などの地域で信仰が密かに継承された。その信仰は、宣教師不在の長い時代を通して、在来の仏教や神道などと習合、共存しながら独自の信仰形態となり、今日に伝えられてきた。本収集は、メダルやコンタツ、聖像、聖画などの信仰対象をはじめ、祭祀や儀礼に使われた祓い具や占い具、オラショと呼ばれる祈祷文、信仰上の暦を記した日繰り帳、護符類、衣装類などから構成されている。
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詳細解説
長崎のかくれキリシタン信仰用具は、長崎県内各地のかくれキリシタンの集落で使用されていた信仰用具を網羅的に分類・整理した資料群である。 長崎は、16世紀のキリスト教の伝来以降、宣教活動の拠点となり、江戸幕府による禁教によって宣教師との接触が断たれた後も平戸や浦上、外海、五島列島などの地域において信仰が密かに継承された。かくれキリシタンは、明治初期に禁教令が解かれた後もカトリックに復帰せず、禁教期における潜伏キリシタンの信仰を受け継ぎながら、独自の信仰を守り続けてきた人たちである。その信仰は、宣教師不在の長い時代を通して、在来の神道や仏教などと習合、並存しながら独自の民俗的な信仰形態となり、今日に伝承されてきた。 本収集は、長崎県内でもかくれキリシタンが集住していた平戸市の生月島と平戸島中部の西岸地域、長崎市の西彼杵半島西部の外海地方、五島市の福江島や奈留島、椛島、新上五島町の中通島や若松島など五島列島の島々で使用されていた信仰用具で、それぞれの地域にある前記の歴史民俗系の博物館や資料館等に所蔵されている。その製作・使用年代は、明治期から昭和30年代までを中心とし、宣教期に遡る古いものも一部含まれる。 信仰用具は、かくれキリシタンの各集落において、年間を通して執行される行事に使われてきた。かくれキリシタンの行事は、四旬節や復活祭、降誕祭、聖人の記念日などカトリックの教義に由来する祭りをはじめ、洗礼や結婚、葬送など人の一生の節目に行われる儀礼、風止めや虫祈祷、雨乞い、野祓いなど農耕に関わる儀礼、家を清める屋祓いや病気治しなど日常生活に関する儀礼などがあり、いずれも秘匿の形で行われてきた。 このようなかくれキリシタンの信仰伝承は、長崎県内においても地域差があり、その内容や形態から、生月・平戸系と外海・浦上系の2つの系統に大別される。このうち後者の系統には、近世後期に行われた大村藩領の外海地方からの開拓移住に伴い、同地のキリシタン信仰が伝播した五島列島も含まれる。前者の地域では、宣教師に代わって洗礼を授けたり、行事を指導したりする親爺役や水の役などの役職のもと、一つの集落や数十戸規模の組のほか、小組やコンパンヤ、慈悲仲間と呼ばれる小規模の信仰組織を単位として行事が行われてきた。この系統の特徴は、キリシタンの聖地である中江ノ島から主に採取した聖水を行事に用いること、宣教期伝来の聖画を描き変えたお掛け絵を拝むこと、お札様と呼ばれる木札を用いた占い行事が行われていることなどである。一方、後者の地域では、洗礼を授ける水方、信仰行事の暦を司る帳方などの役職がいて、集落や小規模の組を単位に行事が行われ、教会暦に由来する日繰り帳を伝えていること、聖母マリアに見立てた観音像が御神体として多くみられること、禁教期に外海地方で活動していた伝道師バスチャンに対する強い信仰がみられること、悔い改めの祈りに由来する独自のオラショ(祈り)を伝えていることなどが信仰上の特徴である。これらの信仰に用いられた用具は、それぞれの地域において大切に守り伝えられてきたもので、タカラモノなどと呼ばれ、その多くが木箱に収められて納戸などの家の奥まった場所に置かれ、行事の際にのみ取り出して使われていた。 資料群の構成は、信仰の対象とされた御神体や偶像類をはじめ、祭祀や儀礼に使われた各種の用具、祈祷文や教義書、写本類、護符類、衣装類などで、生月・平戸系と外海・浦上系の信仰上の特徴や地域差を示す用具を網羅している。御神体と偶像類には、メダルやプラケット、コンタツ、ロザリオ、十字架などの聖具、キリスト像や聖母マリア像などの聖像、御絵やお掛け絵などの聖画、御神体に見立てた鏡や硬貨、アワビの貝殻、サンゴ、石などがある。聖具は、本来の用途としてカトリックの信者が身に着けるものが多いが、かくれキリシタン信仰では、聖遺物的な扱いをされ、御神体として拝まれていた。また、御神体には自然物もあり、なかでもアワビの貝殻は、内側の模様に聖なる姿を見いだしたもので、五島列島にみられる。聖像の多くも、特徴のある人物像や仏像などをキリストや聖母マリア、聖人などに見立てたもので、比較的小型のものが多い。とくに外海地方では、ハンタマルヤ像と呼ばれる白磁の母子像が聖母マリアとして信仰されてきた。聖画には、信仰対象を描いた御絵と呼ばれる絵画や石版画のほか、お掛け絵がある。お掛け絵は、御前様や納戸神とも呼ばれ、聖母マリアを主題としたものが多いが、描かれた人物は、着物や髷など日本人風の容姿に和様化されている。 祭祀・儀礼用具には、聖水を入れたお水瓶と聖水を振りかけた小さな棒のイズッポ、沐浴用の水甕、オテンペンシャと呼ばれる鞭状の祓い具、占い用の木札、灯火具や杯台、幕などの祭壇用具、行事の際に供物を盛ったり、参列者に振る舞う料理を載せたりした食膳具などがある。このうちオテンペンシャは、麻紐を数十本束ねて作られており、本来は信者が鞭打ちの苦行に用いた道具であるが、かくれキリシタン信仰おいては、屋内外で悪霊や穢れを祓ったり、病人を軽く叩いて病気を治したりする祓い具として使用されていた。占い用の木札は、聖母マリアの生涯を15の場面で表した「十五玄義」に対応する小型の木製の札一式で、お札引きと称する吉凶占いの行事に使われた。また、この木札は、お札様とも呼ばれ、信仰の対象ともなっていた。 信仰に用いられた文字資料には、オラショ本と呼ばれ、行事の際に唱える祈りの文句を記した冊子や書付、行事の日取りを月日や記号で表した日繰り帳、信仰の教えを伝えた教義書や教理書、聖書の物語の写し、行事の次第や段取りを書き留めた覚書などがある。このうちオラショは、かくれキリシタン信仰の基本的な要素であり、口伝による習得を補うために記されたオラショ本は、ラテン語やポルトガル語、和訳のものなど、その内容や構成に地域差があるが、信仰圏の全域にわたってみられる。なかでも、外海地方と五島列島に伝わる特徴あるオラショに「こんちりさん」がある。これは告白や懺悔の祈りに由来する滅罪のオラショで、病気や葬式の際に主に唱えられた。日繰り帳は、バスチャン暦とも呼ばれ、この暦に基づいて、一年間の行事日や日ごとの守るべき禁忌が定められ、信仰上の生活が営まれていた。 また、聖書の内容を基調とした物語の写本に「天地始之事」がある。天地創造や受胎告知などの話とともに、洗礼やオラショなどキリシタンの教えに関する内容も記されており、教義書としても使用されていた。 このほかに、紙や竹を十字型に切ったり、組んだりした形のオマブリと呼ばれる護符、バスチャンなどの聖人にまつわる霊樹の木片や衣類の一部などの聖遺物、行事の際に着用した着物や帯、草履、御神体や用具を納めた木製の祠や箱、竹筒、包み布がある。オマブリは、戸口や家内の柱に貼ったり、着物の襟に縫い込んだりして魔除けとし、聖遺物は、お土産と称して少しずつ切り分け、死者に持たせることも行われていた。また、御神体などを納めた容器類も、中身の聖性が容器にまで及ぶという考え方から大切に扱われ、伝えられてきたものである。