国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
倉吉の鋳物師(斎江家)用具及び製品
ふりがな
:
くらよしのいもじ(さいごうけ)ようぐおよびせいひん
倉吉の鋳物師(斎江家)用具及び製品
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員数
:
1624点
種別
:
生産、生業に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
内訳:原材料・調整用具98点(材料・調整37点 鉄素材61点) 施設関係用具22点 鋳造用具885点 販売関係用具94点 信仰・儀礼用具114点(信仰97点 儀礼17点) 鋳物製品190点 鋳物師関係文書221点
指定番号
:
00163
指定年月日
:
1985.04.19(昭和60.04.19)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)生産、生業に用いられるもの 例えば、農具、漁猟具、工匠用具、紡織用具、作業場等
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
(六)職能の様相を示すもの
所在都道府県
:
鳥取県
所在地
:
倉吉市仲ノ町3445-8
保管施設の名称
:
倉吉歴史民俗資料館
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
倉吉の鋳物師(斎江家)用具及び製品
解説文:
詳細解説
倉吉市の斎江家は、寛永3年(1626)創業と伝えられる山陰地方きっての鋳物師で、江戸時代以来昭和10年代まで多種多様な鋳物を製造してきた。
我が国の鋳造法は、明治後半から洋式鋳造法に転換していくが、その中で斎江家は伝統的な鋳造法を長く守っていた。この資料は、伝統的な鋳造法で使われた製作用具や、その製品をとりまとめたものである。この中には、文化10年(1813)の大山寺の梵鐘の型など、江戸時代以来のものも含まれており、倉吉における鋳物製作の実態と変遷を知ることができる。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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倉吉の鋳物師(斎江家)用具及び製品
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解説文
倉吉市の斎江家は、寛永3年(1626)創業と伝えられる山陰地方きっての鋳物師で、江戸時代以来昭和10年代まで多種多様な鋳物を製造してきた。 我が国の鋳造法は、明治後半から洋式鋳造法に転換していくが、その中で斎江家は伝統的な鋳造法を長く守っていた。この資料は、伝統的な鋳造法で使われた製作用具や、その製品をとりまとめたものである。この中には、文化10年(1813)の大山寺の梵鐘の型など、江戸時代以来のものも含まれており、倉吉における鋳物製作の実態と変遷を知ることができる。
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詳細解説
倉吉市上古川の斎江家は、寛永3年(1626)創業と伝えられる山陰地方きっての鋳物師で、江戸時代以来昭和10年代までの間、鍋・釜をはじめ、犂先・梵鐘・鰐口に至るまでの多種多様な鋳物を製造して広く供給してきた。 我が国の鋳造法は、明治年間の後半から洋式鋳造法に転換していくが、その時流の中で斎江家は、惣型削【そうがたけず】り式という伝統的な鋳造法を長く守っていた。 斎江家には、今日まで惣型削り式(削り中子式)、型ごめ中子式(大正初期に導入された中子専用のタネ型で中子を容易に作る技法、倉吉市では「モッソウ式」という。)などの鋳造法で使用された製作用具や、それによって製作された鍋・釜・茶釜・鉄瓶・火鉢・長州風呂・銅壼・犂先・梵鐘・鰐口などの製品がまとまって保存されている。 これらの中には、文化10年(1813)の大山寺(鳥取県西伯郡大山町)の梵鐘の型をはじめ、江戸時代以来のものも数多く含まれている。 また、明治30年度の鋳物製品の雛形帳も残存しており、各地域向けの大小の鍋・釜などが寸法入りで図示され、斎江家の鋳造製品の実態をよく知ることができる。 信仰・儀礼用具の中には、同家の金屋子神社祭礼の幟や、出雲の金屋子神社、伯耆三徳山正善院など鋳物師に関係深い社寺の守礼などがあるほか、江戸時代に全国の鋳物師を支配した京都の真継家の配下にあった当時の鋳物師鑑札や御用札などが含まれている。 斎江家に伝存しているこれらの資料は、倉吉における鋳物製作用具と製品の資料として質・量ともに極めて優れており、鋳物師職許状や鋳物師座法之掟などの関係文書と併せて保存するものである。