国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
讃岐及び周辺地域の醤油醸造用具と醤油蔵・麹室
ふりがな
:
さぬきおよびしゅうへんちいきのしょうゆじょうぞうようぐとしょうゆぐら・こうじむろ
讃岐及び周辺地域の醤油醸造用具と醤油蔵・麹室(麹室(左)と醤油蔵(右))
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員数
:
醤油醸造用具5577点 醤油蔵2棟 麹室1棟
種別
:
生産、生業に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
内訳:洗場・釜場用具49点 麹づくり用具937点 仕込用具120点 槽場用具1836点 澄場用具13点 火入用具65点 楢詰用具1186点 交易運搬用具701点 製作修理用具56点 信仰儀礼用具11点 生活用具18点 自家用醸造用具16点 関係文書用具569点 醤油蔵2棟 麹室1棟
指定番号
:
00171
指定年月日
:
1986.03.31(昭和61.03.31)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)生産、生業に用いられるもの 例えば、農具、漁猟具、工匠用具、紡織用具、作業場等
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
(六)職能の様相を示すもの
所在都道府県
:
香川県
所在地
:
高松市屋島中町91
保管施設の名称
:
四国民家博物館(四国村)
所有者名
:
(財)四国民家博物館
管理団体・管理責任者名
:
讃岐及び周辺地域の醤油醸造用具と醤油蔵・麹室(麹室(左)と醤油蔵(右))
解説文:
詳細解説
讃岐の醤油醸造は、江戸時代に小豆島を中心に興り、東讃の引田、西讃の仁尾などでも盛んになり、県別生産高では、明治中期から昭和10年代にかけ全国第2位であった。
この資料は、讃岐を中心とした地域の醤油醸造について、洗場・釜場・麹つくり・仕込・槽場・澄場・火入・樽詰などの各工程の用具を網羅的に収集したものである。また醤油蔵2棟と麹室1棟は大川郡引田町の醤油醸造業山本家より移築されたものである。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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讃岐及び周辺地域の醤油醸造用具と醤油蔵・麹室(麹室(左)と醤油蔵(右))
讃岐及び周辺地域の醤油醸造用具と醤油蔵・麹室(麹室(内部))
讃岐及び周辺地域の醤油醸造用具と醤油蔵・麹室(醤油蔵(内部))
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讃岐及び周辺地域の醤油醸造用具と醤油蔵・麹室(麹室(左)と醤油蔵(右))
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讃岐及び周辺地域の醤油醸造用具と醤油蔵・麹室(麹室(内部))
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讃岐及び周辺地域の醤油醸造用具と醤油蔵・麹室(醤油蔵(内部))
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解説文
讃岐の醤油醸造は、江戸時代に小豆島を中心に興り、東讃の引田、西讃の仁尾などでも盛んになり、県別生産高では、明治中期から昭和10年代にかけ全国第2位であった。 この資料は、讃岐を中心とした地域の醤油醸造について、洗場・釜場・麹つくり・仕込・槽場・澄場・火入・樽詰などの各工程の用具を網羅的に収集したものである。また醤油蔵2棟と麹室1棟は大川郡引田町の醤油醸造業山本家より移築されたものである。
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詳細解説
我が国の醤油の醸造は、室町時代末期に京都・大阪・紀伊湯浅などを中心とする関西の都市で創始された。江戸初期から中期にかけてこれらの都市での醤油醸造業は発展し、商品として市場に出荷されるようになり、大阪を通して江戸まで回送・供給されていた。 その後、江戸後期に播磨龍野、備前兒島、讃岐小豆島、近江日野、関東の銚子・野田など地方の醤油醸造業が新興発展し、市場を制圧していった。このため、関西の都市醤油醸造業は急速に衰退したが、大阪では兒島・湯浅・龍野・小豆島など産地別の四組の醤油荷受問屋が結成され市場を占有した。 讃岐の醤油醸造は、江戸時代に小豆島を中心に興り、東讃の引田、西讃の仁尾などの地域でも盛んになり、県別の生産高では、明治中期から昭和10年代にかけて、千葉県に次いで全国第2位の生産石数をあげていた。そうしたなかで第二次世界大戦後、醤油の醸造は、生産設備・器具が近代化し、伝統的な醤油醸造用具は急速に衰滅していった。 この資料は、急激な社会状況の変化の中で衰滅して行く困難にもめげず収集保存されたものである。讃岐を中心とした地域の醤油醸造用具の体系的な収集に努め、洗場・釜場・麹つくり・仕込・槽場・澄場・火入・樽詰の各工程全般について、詳細にとりまとめるとともに、信仰用具や関係文書・記録などまでも併せて収集されている。 讃岐の麹づくりの方法は、蒸した大豆と炒って割り砕いた小麦と種麹を混ぜ合わせたものを麹室でモロブタを用いて麹をつくるモロブタ麹と、筵に盛って麹をつくるムシロ麹の2種類に大別されるが、ムシロ麹は小豆島で伝統的に行われ、モロブタ麹は四国本島で行われてきた。 東讃・西讃の麹づくり用具の中には明治以降の紀年銘を有するモロブタが多く、仕込み桶では寛政11年(1799)、天保9年(1838)、弘化4年(1847)、弘化5年(1848)の在銘の大桶などがあり、これらのうち弘化5年の大桶は銘文により、元来酒造用具として作られたことが判明している。 醤油醸造用具とともに昭和59年に移築・保存された醤油蔵2棟(1棟-東仕込蔵-は江戸後期、1棟-西仕込蔵-は明治末から大正初年の建築)と麹室1棟(明治初年の建築)は、いずれも香川県大川郡引田町の醤油醸造業山本家で永年使用されてきたものである。 西仕込蔵は、土蔵造で桁行10.6㍍、梁間6.7㍍、切妻造の桟瓦葺で、東面に本瓦葺の庇が附属している。東仕込蔵は、土蔵造で桁行10.6㍍、梁間5.9㍍、切妻造で、北西面に本瓦葺の庇を附属している。また、麹室は、土蔵造で桁行8.8㍍、梁間5.4㍍、北面が切妻造で、南面が東仕込蔵に接続して本瓦葺となっている。 この資料は、地域的特色が豊かで、系統的に収集され、醤油の仕込蔵とともに麹室を保存していることは類稀で極めて価値が高く、醤油醸造業の地域的様相をよく示すものとして重要である。