国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
蒲江の漁撈用具
ふりがな
:
かまえのぎょろうようぐ
蒲江の漁撈用具
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員数
:
1,987点
種別
:
生産、生業に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
内訳:網漁具233点 釣漁具551点 磯浜漁具183点 水産加工用具272点 船及び関係用具348点 漁具製作修理用具172点 仕事着35点 携行用具34点 信仰儀礼用具159点
指定番号
:
00197
指定年月日
:
1994.12.13(平成6.12.13)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)生産、生業に用いられるもの 例えば、農具、漁猟具、工匠用具、紡織用具、作業場等
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県
:
大分県
所在地
:
佐伯市蒲江大字竹野浦河内 2342番地2
保管施設の名称
:
佐伯市蒲江海の資料館
所有者名
:
佐伯市
管理団体・管理責任者名
:
蒲江の漁撈用具
解説文:
詳細解説
旧蒲江町は、豊後水道の入り口にあり、日向灘に臨む大分県最南端の町である。この資料は、旧蒲江町内の伝統的な漁具を収集整理したもので、網漁具、釣漁具、磯浜漁具、水産加工用具、船および関係用具、漁具製作修理用具、仕事着、携行用具、信仰儀礼用具の9項目に分け、系統的かつ体系的に分類されており、大分県南部における漁撈習俗を知ることができる。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
蒲江の漁撈用具
蒲江の漁撈用具
蒲江の漁撈用具
佐伯市蒲江海の資料館(保管場所)
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蒲江の漁撈用具
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蒲江の漁撈用具
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蒲江の漁撈用具
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佐伯市蒲江海の資料館(保管場所)
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解説文
旧蒲江町は、豊後水道の入り口にあり、日向灘に臨む大分県最南端の町である。この資料は、旧蒲江町内の伝統的な漁具を収集整理したもので、網漁具、釣漁具、磯浜漁具、水産加工用具、船および関係用具、漁具製作修理用具、仕事着、携行用具、信仰儀礼用具の9項目に分け、系統的かつ体系的に分類されており、大分県南部における漁撈習俗を知ることができる。
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詳細解説
旧蒲江町は、豊後水道の入り口にあり、日向灘に臨む大分県最南端の町である。町域は南北約20㎞、幅約5㎞の細長い範囲にあるが、海岸線は複雑なリアス式海岸を形成しており、海岸線の総延長は90㎞にも及ぶ。 旧蒲江町は、昭和30年に上入津村・下入津村・蒲江町・名護屋村の一町三か村が合併してできた町で、北は米水津村、西は佐伯市、南は宮崎県北浦町に接しており、その境界には九州山地の東端に当たる標高500㍍前後の山地が連続する。 この山地は急激に海に落ち込み、入り組んだ海岸線には大小15、6の岬が突き出している。岬の間には入津湾・蒲江湾・猪串湾・名護屋湾などの12の湾が天然の良港を形成し、このうち元猿・高山・丸市尾・葛原・波当津などには砂浜が発達している。 この資料は、蒲江町および蒲江町漁具保存会が昭和51年から進めてきた海部の漁撈用具の調査収集活動の成果をとりまとめたもので、総数約3.500点に及ぶ資料のなかから蒲江町の漁撈活動を如実に示す用具類を分類整理したものである。 資料は蒲江町の尾浦・畑野浦・楠本浦・西野浦・竹野浦河内・蒲江浦・猪串浦・森崎浦・丸市尾浦・葛原浦・波当津浦の12の浦から収集されている。この地域は、古来からいわゆる佐伯九十九浦とよばれる地域の一部を占めてきた。 蒲江町の面する日向灘一帯は、太平洋から分流する黒潮の影響でイワシ・カツオ・ブリ・マグロなどの魚類が回遊する恵まれた漁場である。特に深島と高知県宿毛市の沖の島を結ぶ延長線には七里ケ瀬とよぶ好漁場があり、宮崎県や愛媛県・高知県の漁民も出漁していた。 この地方の漁撈の中心は、引網を用いたイワシ漁であった。イワシが豊漁であった明治14年には、大分県のイワシ・ブリ・タイ・マグロなどの水揚げは725,488円余を数え、このうち67%をイワシ類が占めて、干鰯の生産量は全国第3位を記録している。郡別では南北海部郡が全県の85%を占め、蒲江浦は県南の代表的な漁業基地として栄えた。 蒲江の中心的な浦である蒲江浦の漁法は、地引網から棒受網へと変化し、さらにイワシの漁獲が減少するにつれて巾着網、底引網、大敷網などへと変遷した。棒受網は18世紀末から19世紀初頭頃に日向地方から蒲江浦に導入されたもので、漁場はこれに伴って地先から沖合いへと変化した。この棒受網は、その後各浦々に伝わり、大正末期には動力船も導入されるなどの技術の改良が進み、第二次大戦まではこの地方を代表する漁法であったが、戦後には巾着網にその座を明け渡して姿を消した。巾着網は戦後に愛媛県から導入され、昭和40年代に最も盛んに操業された。 一方、蒲江浦以外の浦々では、昭和30年代半ばまで引網漁が行われていたが、その後は真珠の養殖や、ハマチやタイの養殖漁業へと変化した。 釣漁ではイカやタイ・ブリ・イサキ・フグなどを対象とした。古くは自家消費程度の漁であったが、棒受網で沖合いの漁がされるようになると、潮待ちの合間に広く行われるようになった。特に七里ケ瀬で使われる釣漁の道具を七里道具とよんでいる。一本釣り漁をコヅリ(小釣り)という。入津湾には昭和初年まで広島の家船漁民がイカ釣りにきていたが、蒲江でイカ釣りが本格化したのは戦後のことである。またフグの延縄は戦後に始まったもので、当初は山口県の漁民が主に行うなどコヅリに比べると一般的ではなかった。 磯浜漁は荒磯でのテングサ採りが盛んに行われ、現金収入源として重視された。入津湾口ではヤジロウガイ(バカガイ)やイタヤガイの採取が盛んであったが潜水漁はあまり盛んではなかった。なお、戦前には愛媛県御崎町の海士が入津湾に来て、アワビやサザエの採取を行っていた。 地引網の時代、イワシやキビナゴは干鰯や煮干しとして加工し、船で京阪神方面へ出荷していたが、棒受網の時代には加工もウルメイワシやサバを主体とした節製品が中心となり、二次加工をする愛媛県や京阪神方面へ出荷されるようになった。その後、巾着網の時代になると塩干物などの製品の加工も始まり、加工専門の業者も出現した。 このように、蒲江地域の漁撈は、イワシ漁を中心に、四国や周辺地域の漁民の影響を受けながら漁法の改良が進み、京阪神の商圏のなかで製品の加工や出荷が行われてきた。 本資料は、こうした旧蒲江町内の伝統的な漁具を収集整理したもので、網漁具、釣漁具、磯浜漁具、水産加工用具、船および関係用具、漁具製作修理用具、仕事着、携行用具、信仰儀礼用具の9項目に分け、系統的かつ体系的に分類されており、大分県南部における漁撈習俗を知る上で貴重な資料となっている。九州東海岸の漁撈の実態をよく示しており、全国的な比較資料としても重要である。