国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
木曽呂の富士塚
ふりがな
:
きぞろのふじづか
木曽呂の富士塚
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員数
:
1基
種別
:
信仰に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00140
指定年月日
:
1980.04.24(昭和55.04.24)
追加年月日
:
指定基準1
:
(六)信仰に用いられるもの 例えば、祭祀(し)具、法会具、奉納物、偶像類、呪(じゆ)術用具、社祠(し)等
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県
:
埼玉県
所在地
:
川口市大字東内野594-6ほか
保管施設の名称
:
所有者名
:
川口市
管理団体・管理責任者名
:
木曽呂の富士塚
解説文:
詳細解説
この富士塚は、寛政12年(1800)に富士講の一派、丸参講の信者の発願により築造されたものである。高さは5.4m、直径約20mで、塚全体が盛土で築かれている。頂上には火口が掘ってあり、かつては胎内くぐりの穴も設けられていた。また、富士塚ならびに周囲には、丸参講により造立された石造物が多く残存する。
関東地方に濃厚にみられる富士塚の中でも古い築造であり、特に埼玉県下のものでは最も古いものである。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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木曽呂の富士塚
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木曽呂の富士塚
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解説文
この富士塚は、寛政12年(1800)に富士講の一派、丸参講の信者の発願により築造されたものである。高さは5.4m、直径約20mで、塚全体が盛土で築かれている。頂上には火口が掘ってあり、かつては胎内くぐりの穴も設けられていた。また、富士塚ならびに周囲には、丸参講により造立された石造物が多く残存する。 関東地方に濃厚にみられる富士塚の中でも古い築造であり、特に埼玉県下のものでは最も古いものである。
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詳細解説
富士山は、古来から信仰の対象とされてきた著名な山の一つで、修験道の行者の登拝の歴史も古代にまで溯る。富士塚は、この富士山を模して築造された塚で、江戸高田の行者藤四郎が老若男女誰でも富士山に登拝できるようにと、安永9年(1780)、高田水稲荷の境内に富士塚を築いたのが始まりといわれている。 木曽呂の富士塚は、寛政12年(1800)に富士講の一派である丸参講の信者、蓮見知重の発願によって見沼代用水と通船堀の連絡点の縁に築造されたもので、高さが5.4m、直径約20m、塚全体が盛土で築かれている。頂上にはお鉢めぐりができるよう火口が掘ってあり、また今日では入口が埋没してしまっているものの、かつては塚を貫いて胎内くぐりの穴が設けられていた。 また、富士塚の麓には文化2年(1805)造立の蓮行知居士(蓮見知重)の碑があり、富士塚築造の由緒が刻まれている。このほか富士塚ならびに周囲には享和4年(1804)の石燈籠、天保4年(1833)の石鳥居、弘化2年(1841)の富士登山参拾参度碑、明治5年(1872)の石祠など丸参講により造立された石造物が多く残存している。 この富士塚は、関東地方に濃厚にみられる富士塚の中でも古い築造であり、特に埼玉県下のものでは最も古く、我が国の庶民信仰の様相をよく示すものとして貴重である。