国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
上総掘りの用具
ふりがな
:
かずさぼりのようぐ
上総掘りの用具
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員数
:
258点
種別
:
生産、生業に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
内訳:掘削用具145点(78+67点) 井戸仕上げ・管理用具32点(0+32点) 非常用具34点(10+24点) 工作用具41点(11+30点) 水神講関係用具6点(0+6点) 合計258点(99+159点)
※この井戸掘り技術は、平成18年3月15日に「上総掘りの技術」として重要無形民俗文化財に指定されている。
指定番号
:
00200
指定年月日
:
1960.06.09(昭和35.06.09)
追加年月日
:
1995.12.26(平成7.12.26)
指定基準1
:
(二)生産、生業に用いられるもの 例えば、農具、漁猟具、工匠用具、紡織用具、作業場等
指定基準2
:
(一)衣食住に用いられるもの 例えば、衣服、装身具、飲食用具、光熱用具、家具調度、住居等
指定基準3
:
(五)生活様式の特色を示すもの
所在都道府県
:
千葉県
所在地
:
木更津市太田2-16-2
保管施設の名称
:
木更津市郷土資料館金のすず
所有者名
:
木更津市
管理団体・管理責任者名
:
上総掘りの用具
解説文:
詳細解説
この資料は、我が国の掘抜き井戸工法の代表的なものとされる上総の井戸掘り技術の用具を取りまとめたものである。
上総掘りは、上総で明治中期に考案された掘抜き井戸掘削技術で、道具立てが簡単で、操業安全性にも富んでおり、技術の習得が容易なことから短期間に普及した。いわゆる人力による鉄管のボーリング技術の改良であるが、第二次大戦前後には手突きから動力へと変化した。
この資料は、手突き段階の用具一式(昭和35年指定)と機械掘り段階の用具一式・水神講関係用具(平成7年追加指定)からなる。
昭和35年指定「上総の井戸掘用具」は、特に旧君津地方で使用された上総の井戸掘り技術の用具をまとめた手突き段階の用具一式である。
平成7年追加指定は、袖ヶ浦市阿部で上総掘り職人として活躍した故近藤晴次氏の遺族から寄贈された機械掘り段階の用具一式と水神講関係用具である。
この資料は、上総掘り発祥の地であるこの地方の技術の変遷をよく示している。追加指定は、既指定の内容をさらに補強・充実するものである。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
上総掘りの用具
上総掘りの用具
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上総掘りの用具
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上総掘りの用具
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解説文
この資料は、我が国の掘抜き井戸工法の代表的なものとされる上総の井戸掘り技術の用具を取りまとめたものである。 上総掘りは、上総で明治中期に考案された掘抜き井戸掘削技術で、道具立てが簡単で、操業安全性にも富んでおり、技術の習得が容易なことから短期間に普及した。いわゆる人力による鉄管のボーリング技術の改良であるが、第二次大戦前後には手突きから動力へと変化した。 この資料は、手突き段階の用具一式(昭和35年指定)と機械掘り段階の用具一式・水神講関係用具(平成7年追加指定)からなる。 昭和35年指定「上総の井戸掘用具」は、特に旧君津地方で使用された上総の井戸掘り技術の用具をまとめた手突き段階の用具一式である。 平成7年追加指定は、袖ヶ浦市阿部で上総掘り職人として活躍した故近藤晴次氏の遺族から寄贈された機械掘り段階の用具一式と水神講関係用具である。 この資料は、上総掘り発祥の地であるこの地方の技術の変遷をよく示している。追加指定は、既指定の内容をさらに補強・充実するものである。
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詳細解説
この資料は、我が国の掘抜き井戸工法の代表的なものとされる上総の井戸掘り技術の用具を取りまとめたものである。 上総掘りは、上総の旧君津地方で明治中期に考案された掘抜き井戸掘削技術で、道具立てが簡単であり、操業安全性にも富んでおり、技術の習得が比較的容易なことから、従来の掘抜き井戸掘さくの技術に代わって短期間に我が国のみならず諸外国にも普及した。この技術は、上総地方の職人によって各地に広められたところから、一般に上総掘りとよばれている。いわゆる人力による鉄管のボーリング技術の改良であるが、粘土水を用いて掘削し、掘り屑を鉄管中に取り込んで改修するといった工夫がみられ、第二次大戦前後には手突きから動力へと変化した。 この資料は、手突き段階の用具一式99点(昭和35年指定)と機械掘り段階の用具一式と水神講関係用具173点(平成7年追加指定)からなる。 昭和35年6月9日指定の「上総の井戸掘用具」(昭和35年文化財保護委員会告示第27号)は、特に旧君津地方で使用された上総の井戸掘り技術の用具を巨細にわたりとりまとめたもので、手突き段階の用具一式からなる。 平成7年12月26日追加指定のものは、その後、旧千葉県立上総博物館が袖ヶ浦市阿部で親子二代にわたり上総掘り職人として活躍した、故近藤晴次氏の遺族から寄贈を受けた機械掘り段階の用具一式(掘削用具・井戸仕上げ管理用具・非常用具・工作用具)と水神講関係用具である。 追加指定された機械掘り段階の用具一式は、第二次世界大戦前後に、従来の手突きの掘抜き井戸掘さく技術をもとに、掘さく用の鉄管の突き上げ突き下ろしとヒゴの巻き取りの作業を発動機の動力を利用した工法に変えたものである。 この資料は、上総掘り発祥の中心地であるこの地方の技術の変遷をよく示しており、全国的な上総掘り技術の展開を知るための資料としても重要である。 追加指定は、既指定の内容をさらに補強・充実するものであり、併せて既指定資料の整理統合を行い名称の変更と一部分類替えを行って、指定文化財の性格の明確化も図った。 ※上総掘りについて 上総掘り以前のわが国の掘抜き井戸掘さくの技術は、長く重い鉄棒を繋ぎ合わせ、梃子などを使って引き上げた後に急激に落下させ、その衝撃で井孔を掘るというものであった。上総掘りは、この衝撃法によるボーリング技術を改良したもので、鉄棒に替えて鉄管と割竹製のヒゴを使用する。掘さくは鉄管の先に鑿を付け、鉄管に繋いだヒゴを握って、もっぱら人力をたよりに地面を突いて細い竪孔を掘ってゆくものである。掘さくには粘土水が用いられる。これは地面を柔らかにし、掘さく時の鑿先の熱を冷やしたり、掘り屑を溶かしてその回収を容易にするとともに、加圧することによって粘土の粒子が孔壁に付着して膜を作り、周囲からの浸透水を押さえて孔壁の保護の役目を果たす。この粘土水の利用によって、上総掘りの一つの特長である裸孔のままの掘進が可能となった。また、粘土水に溶かした掘り屑の回収のために、鉄管の先端にはコシタという弁の装置を付け、鉄管上部に水抜き用の小孔を設ける。掘進中この弁の働きによって掘り屑が鉄管中に取り込まれ、管内が掘り屑で一杯になると鉄管を地上に引き上げて管内の掘り屑を捨てる。掘進はこの掘さくのための突き下ろしと、掘り屑排出の仕事を交互に行うこととなる。この掘り屑排出のために軽量化したスイコとよぶ専用のブリキ製の筒が用いられる。このスイコも鉄管と同じくコシタと水抜き孔が設けられている。 上総掘りを特長づけるもう一つの要素は、割竹製のヒゴである。孟宗竹を幅2㎝ほどに割って鉄管に繋ぎ、掘り進む長さに合わせ次々と繋いで延長してゆく。竹は剛性と柔軟性とを併せ持っており、突き下ろす力を直接鑿先に伝えるとともに、掘り屑の排出時には長いヒゴを巻き取って収納することができる。また、繋ぎ合わせるための加工が容易であり、軽量なためにたくさん繋ぎ合わせても重量の増加にはつながらず、作業時の安全が確保されることとなる。この竹ヒゴの特性を生かして、ヒゴクルマというヒゴ巻き車が考案された。これは長さ3.6㍍ほどの貫板を六本交差させて車状とし、これを組み合わせて水車のように作ったもので、外周に踏み板をわたしヒゴを巻き取るようにしたものである。作業は人がこの中に入り、車軸に掴まりながら踏み板を踏んで廻し、その力でヒゴを巻き取って鉄管類の引き上げを容易にする。このほか、掘さく時の鉄管の引き上げを助けるハネギや、鉄管の口径以上の孔を掘るために付けられるツメの装置や、ヒゴへの手がかりとするシュモクという把手、これらを設置する作業用の櫓などの周辺の装置が組み合わされて省力化が一層進み、手突きの突き掘り技術としては最も発達した上総掘り技術の体系が完成する。明治20年代後半のことであった。 上総地方は岩盤を含まない掘りやすい地質に、豊富な被圧地下水を内蔵する自噴地帯であったが、この地方の中流域は河岸段丘が発達し耕地が分断されており、併せて近世における複雑な支配形態などの影響もあって、有効な灌漑施設の発達もみられないまま慢性的な農業用水不足に悩む地域であった。ホンヌキなどとよばれる掘抜き井戸は、主としてこの豊富な被圧地下水を農業用水として利用するため掘られ、そのなかから上総掘りの技術が考案されたのである。 この資料は、掘り抜き井戸の削泉技術を示す典型的なものとして重要であるのにくわえ、上総掘り発祥の地であるこの地方の技術の変遷をよく示しており、全国的な上総掘り技術の展開を知るための資料としても重要である。