国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
奥美濃の人生儀礼用具 附 祝儀・不祝儀帳等
ふりがな
:
おくみののじんせいぎれいようぐ つけたり しゅうぎ・ふしゅうぎちょうとう
奥美濃の人生儀礼用具 附 祝儀・不祝儀帳等
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員数
:
1,504点、附53点
種別
:
人の一生に関して用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
内訳:出産儀礼関係用具101点 生育儀礼関係用具387点 婚姻儀礼関係用具544点 成人・年祝い関係用具82点 葬送関係用具390点 附祝儀・不祝儀帳等53点
指定番号
:
00199
指定年月日
:
1995.12.26(平成7.12.26)
追加年月日
:
指定基準1
:
(九)人の一生に関して用いられるもの 例えば、産育用具、冠婚葬祭用具、産(うぶ)屋等
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県
:
岐阜県
所在地
:
郡上市明宝気良154
保管施設の名称
:
明宝歴史民俗資料館
所有者名
:
郡上市
管理団体・管理責任者名
:
奥美濃の人生儀礼用具 附 祝儀・不祝儀帳等
解説文:
詳細解説
旧郡上郡明宝村は、岐阜県のほぼ中央、旧美濃の国と飛騨の国の国境にある。この資料は、旧明宝村立博物館が収集した約38.000点の資料のなかから、人生儀礼に関するものを整理したものである。出産儀礼関係用具、生育儀礼関係用具、婚姻儀礼関係用具、成人・年祝い関係用具、葬送関係用具の5つの項目と、附の祝儀・不祝儀帳等からなり、奥美濃地方の伝統的な人の一生に関わる諸儀礼の実態をよく示している。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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奥美濃の人生儀礼用具 附 祝儀・不祝儀帳等
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解説文
旧郡上郡明宝村は、岐阜県のほぼ中央、旧美濃の国と飛騨の国の国境にある。この資料は、旧明宝村立博物館が収集した約38.000点の資料のなかから、人生儀礼に関するものを整理したものである。出産儀礼関係用具、生育儀礼関係用具、婚姻儀礼関係用具、成人・年祝い関係用具、葬送関係用具の5つの項目と、附の祝儀・不祝儀帳等からなり、奥美濃地方の伝統的な人の一生に関わる諸儀礼の実態をよく示している。
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詳細解説
旧郡上郡明宝村は、岐阜県のほぼ中央、旧美濃の国と飛騨の国の国境にあり、平成7年4月現在の人口は2.200余人で、郡上郡の北東端に位置している。村の面積は157.41㎢で、そのうち山林・原野がおよそ95%を占める。村の中央を北から南に和良山脈が走り、その東に馬瀬山地、西に奥住・気良の両山地と寒水山脈が並ぶ。村の中央を長良川の支流の吉田川が流れ、西部の山地からは同じく長良川水系に属する寒水川、気良川が、和良山脈を境に東は木曽川水系の日出雲川が南流している。 この谷筋に沿って、大谷・寒水・気良・奥住・小川・畑佐・二間手の7つの集落が点在する。これらの集落は、江戸時代にはすべて郡上藩領に属していた。現在の村域は、明治30年に前記の7つの村が合併して奥明方村となったもので、以後、昭和45年に明方村、平成4年に明宝村と村名を変更し、平成16年に郡上市の一部となった。 耕地が少ないことから村の産業は林産が多く、昭和初期には木炭の生産が県下一といわれた。また、古くから畜産も行われており馬の産地としても名高く、昭和初期から牛の飼育も行われている。農業の傍ら養蚕も盛んに行われ、繭の生産はかつては木炭に次ぐものであった。一方、農業はあまりふるわず、かつては飯米の約半分を村外からの移入に頼っていた。 村域には浄土真宗の寺院が各集落ごとにあり、現在9か寺を数える。村民の信仰生活はこの寺院を中心に営まれており、生活全般にわたって浄土真宗の影響が大きかった。 この資料は、旧明宝村立博物館の永年の活動によって収集された約38.000点の資料のなかから、人生儀礼に関するものを整理したものである。この博物館に収蔵されている資料は、昭和39年から村内を中心に収集されてきたものであり、その82%は村民の寄贈によるが、他に奥美濃地方一帯からも資料が収集され、奥美濃地方を代表する生活用具の収集となっている。この資料も旧明宝村を中心に、旧八幡町とその他の郡上郡各町村から収集されたものを含んでいる。 この資料は、出産儀礼関係用具、生育儀礼関係用具、婚姻儀礼関係用具、成人・年祝い関係用具、葬送関係用具の5つの項目と、附の祝儀・不祝儀帳等からなる。 このうち、例えば出産儀礼関係用具をみてみると、さらに妊娠関係用具、出産関係用具、産婦関係用具に分類整理されている。 妊娠関係用具では、妊娠に際して嫁の実家から餅を入れて嫁ぎ先に贈られるジュウバコや、安産祈願のハラオビ、アンザンノゾウリ、アンザンノゴフなどがある。この地方では、旧明宝村内にある気良の弘法堂や旧八幡町の弘法堂、同大乗寺の鬼子母神、高野山、伏見稲荷等から請けた護符を身につけたり、高野山からいただいたオコロモキレを細かくちぎって服用した。特に、信濃の善光寺の戒壇巡りに履いた草履は、産気づいたときにこれで腹をなでると安産になると信じられた。 出産関係用具は、オビヤとよぶ産所の寝具や臍の緒切りの用具、産湯用具、新生児用の産着類からなる。この地方の出産は納戸の敷物をはずした板場に、藁の袴の部分を入れたスクベブトンを敷き、ツンズリという古布を敷いた上で座産で行う。このうちヘソノオキリソギラは枯れた茅の茎を斜めに鋭く切り取ったもので、臍の緒の二か所を緩く縒った苧のヘソノオククリヒモでしっかりと結わえ、その中間をこれで切り離す。ヘソノオキリソギラはその後、握り鋏に変わった。産湯を沸かすナベや柄杓等は、日常用の台所用具を用いる。産湯に漆椀を浮かべて入れると、その子は一生漆にかぶれないなどといった。ウブギは背中に真綿をのばして付けたものや地織の絣、縞などのものがあり、頭には真綿をのばして作ったマワタノボウシを被せる。 産婦関係用具は、産後の産婦の履き物や、三つ目・七つ目とよばれる三日やお七夜に関係する用具と、オビヤシナイといわれる出産見舞いの用具などである。産婦は三日目までは腰湯を使い七日を過ぎると全身浴をすることができた。七日を過ぎるまでにオビヤ以外に出かけるときにはワラゾウリを履いた。オブクマイブクロは吉凶を問わず白米を贈る場合の入れ物として用いられるもので、もともとは地織木綿の地味な端切れで作られていたが、大正時代からモスリンなどの派手な端切れで縫って作るようになった。 本件は、奥美濃地方の人々が出産・生育・婚姻・成人・年祝・葬送にわたる人の一生の節目にかかわって用いられてきた儀礼用具を系統的に収集したものであり、この地方の伝統的な人の一生に関わる諸儀礼の実態をよく示すものとして貴重であるばかりでなく、比較的残ることの少ないこの種の資料の、全国的な比較の観点からも重要である。