国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
阿波人形師(天狗屋)の製作用具及び製品 附 販売関係資料
ふりがな
:
あわにんぎょうし(てんぐや)のせいさくようぐおよびせいひん つけたり はんばいかんけいしりょう
阿波人形師の製作用具及び製品(張り抜き人形)
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員数
:
1,107点 附51点
種別
:
生産、生業に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00212
指定年月日
:
2002.02.12(平成14.02.12)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)生産、生業に用いられるもの 例えば、農具、漁猟具、工匠用具、紡織用具、作業場等
指定基準2
:
(八)民俗芸能、娯楽、遊戯に用いられるもの 例えば、衣装、道具、楽器、面人形、玩(がん)具、舞台等
指定基準3
:
所在都道府県
:
徳島県
所在地
:
徳島市国府町和田字居内172
保管施設の名称
:
徳島市天狗久資料館
所有者名
:
徳島市
管理団体・管理責任者名
:
阿波人形師の製作用具及び製品(張り抜き人形)
解説文:
詳細解説
この資料は、徳島市国府町和田で天狗屋の看板を掲げ、明治~昭和にわたって人形師として活躍した、通称「天狗久」三代が使用した人形製作用具および製品と、注文帳や控帳などの販売関係資料をとりまとめたものである。
阿波の人形芝居の人形は木偶【でこ】と呼ばれ、文楽人形に比べて寸法が大きく、頭の塗りも光沢がある。天狗久(初代)は、明治25年頃にガラス目を考案して人形の写実性を高めるとともに、頭の大型化を図るなどの工夫をし、その後の阿波の木偶に大きな影響を与えた。
この資料は、製作用具と製品および附の販売関係資料に大別され、製作用具は、さらに木彫による木偶の製作と和紙の張り抜きによるものに分類し、作業工程順に、測定用具、切削用具、カラクリ細工用具などに整理されている。製品も、木偶と張り抜き人形に分類される。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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阿波人形師の製作用具及び製品(張り抜き人形)
阿波人形師の制作用具及び製品(人形製作用具・カラクリ細工用具)
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阿波人形師の製作用具及び製品(張り抜き人形)
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阿波人形師の制作用具及び製品(人形製作用具・カラクリ細工用具)
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解説文
この資料は、徳島市国府町和田で天狗屋の看板を掲げ、明治~昭和にわたって人形師として活躍した、通称「天狗久」三代が使用した人形製作用具および製品と、注文帳や控帳などの販売関係資料をとりまとめたものである。 阿波の人形芝居の人形は木偶【でこ】と呼ばれ、文楽人形に比べて寸法が大きく、頭の塗りも光沢がある。天狗久(初代)は、明治25年頃にガラス目を考案して人形の写実性を高めるとともに、頭の大型化を図るなどの工夫をし、その後の阿波の木偶に大きな影響を与えた。 この資料は、製作用具と製品および附の販売関係資料に大別され、製作用具は、さらに木彫による木偶の製作と和紙の張り抜きによるものに分類し、作業工程順に、測定用具、切削用具、カラクリ細工用具などに整理されている。製品も、木偶と張り抜き人形に分類される。
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詳細解説
この資料は、徳島市国府町和田で天狗屋の看板を掲げ、明治・大正・昭和の3時代にわたって人形師として活躍した、吉岡久吉・要・治の通称「天狗久」3代が使用した人形製作用具および製品と、注文帳や控帳などの販売関係資料を整理し、とりまとめたものである。 阿波の人形芝居は、歴代藩主の庇護のもとに栄え、幕末期から明治期に最も繁栄し、最盛期には淡路で48座、阿波では67座があったといわれている。 阿波の人形芝居に用いられる人形を現地では木偶【でこ】と呼んでいる。木偶の種類は大きく男頭・女頭に分かれ、それぞれが時代物と世話物に分類される。阿波の木偶頭の特徴は、文楽人形に比べて寸法が大きいこと、頭の塗りが文楽人形が艶消しであるのに対して光沢があることなどにあり、これは照明の行き届かない小屋掛けや野舞台で演じるための工夫であるといわれている。 また、人形の種類が文楽に比べて少ないことも特徴の一つである。一つの頭を鬘や飾り物、衣装を変えることによって幾通りもの役柄に変化させる。これは移動公演が主体であったためである。名称についても、文楽では役名を付け文七、源太などというが、阿波では角目、丸目など主に形状別の名前で呼ぶ。 阿波の木偶人形の著名な人形師としては、享保期(1716-36)頃の馬之背駒蔵、万芳、利貞、天明期(1781-89)頃の利重や鳴州とその弟子の卯之助、近蔵など、明治期の大江常右衛門、大江順右衛門、原田増太、人形富(川島富五郎)、人形忠(横山忠三郎)などがおり、大正・昭和期としては初代、二代、三代の天狗久と天狗弁(近藤弁吉)などがあげられる。 このうち、初代天狗久は、安政5年(1858)、現在の徳島市国府町中の笠井家に生まれ、16歳で国府町和田の人形師人形富に弟子入りし、26歳で同地の吉岡家の養子となり天狗屋を名乗って独立、明治・大正・昭和の3代を活躍し、昭和18年、86歳で死去している。初代天狗久の製作した頭は1000個に近いという。初代天狗久は、明治25年頃にガラス目を考案して人形の写実性を高める一方、明治中頃から頭の大型化を図るなどの工夫をし、その後の阿波の木偶に大きな影響を与えた。 天狗久が開業した国府町和田は、徳島市の西部に位置し、江戸時代には吉野川支流の鮎喰川に沿い伊予街道に面した交通の要衝として栄えた地域である。この地域には明治から昭和45年頃まで、木偶頭を彫る職人の工房が多くみられた。この地に工房を構えた人形師としては、人形富、人形忠、大江順などがあり、所在ははっきりしないものの大江常右衛門なども工房を構えたといわれ、和田は古くから人形の町として知られていた。 この資料は、製作用具と製品および附の販売関係資料に大別される。人形の製作方法は、主に木彫による木偶の製作と和紙の張り抜きによるものとに大別されることから、製作用具についても人形製作用具と張り型にわけ、さらに両者に共通するものとして仕上げ用具と、製作見本や習作をその他として分類している。 人形製作用具は、さらに作業工程順に、測定用具、切削用具、カラクリ細工用具、原材料に、張り型は木偶用、外題人形用、面用、玩具人形用に細分されている。 このなかでは例えば測定用具が注目される。天狗久が人形の製作過程において、特に精密さあるいは独自性を必要とされる箇所ごとに定規等を作り要点を書き印したもので、頭に喉木を差し込む小判と呼ばれる部分の型紙や、鼻や頬、耳の高さと幅をみる切り込みを入れた横型の定規、頭の大きさ、鼻筋、口の凹凸、顎の角度などをみる切り込みと寸法などを印した縦型の定規、木偶の心串用の縦型、横型の定規がある。 製品も、木偶と張り抜き人形に分類され、木偶はさらに頭と、頭以外の手、足、胴、面の部分に細分される。木偶は本来注文生産品であり新造品や未製品は残りにくく、この資料の大部分も補修のために持ち込まれたもの、新作の見本として依頼主が持ち込んだものなどと考えられ、作者銘や製作年代別に整理されている。 全国各地の民俗芸能系の人形芝居に大きな影響を与えた、阿波人形の製作・修理技術の実態と、木偶だけでなく様々な細工品を製作した阿波人形師の営業をーの実態をよく示すものである。