国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
会津只見の生産用具と仕事着コレクション
ふりがな
:
あいづただみのせいさんようぐとしごとぎこれくしょん
会津只見の生産用具と仕事着コレクション(山樵用具)
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員数
:
2,333点
種別
:
生産、生業に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
内訳:生産用具1,917点 仕事着416点
指定番号
:
00214
指定年月日
:
2003.02.20(平成15.02.20)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)生産、生業に用いられるもの 例えば、農具、漁猟具、工匠用具、紡織用具、作業場等
指定基準2
:
(一)衣食住に用いられるもの 例えば、衣服、装身具、飲食用具、光熱用具、家具調度、住居等
指定基準3
:
(三)地域的特色を示すもの
所在都道府県
:
福島県
所在地
:
南会津郡只見町大字大倉字窪田30番地
保管施設の名称
:
ただみ・モノとくらしのミュージアム
所有者名
:
只見町
管理団体・管理責任者名
:
会津只見の生産用具と仕事着コレクション(山樵用具)
解説文:
詳細解説
この資料は、福島県南西部の南会津郡只見町で使用された生産用具と仕事着の収集である。只見町は、新潟県に接して周囲を1000㍍前後の山々に囲まれた地域である。
只見町の伝統的な生業は、焼畑を含む畑作農耕と狩猟や山菜などの自然物の採集を中心とするものであったが、江戸期以来、限られた耕地を使っての水田稲作や林業も盛んに行われており、明治期以降は耕地改良の進展や企業的な林業経営者の進出などによりその動きが一層拡大し、水田稲作が主となった。
資料のうちの生産用具は、自然物採集用具、農耕用具、狩猟用具、漁撈用具、山樵用具、製糸用具、蔓細工用具、屋根葺き用具に分類され、それぞれに使用された用具が作業工程順に整理されている。仕事着は、これらの生業で使用された衣類である。
この資料は昭和40年代から収集されてきた資料に、只見町史編纂事業に伴う民俗調査の成果を加え、さらに地元のお年寄りによる整理作業を経て分類整理されたものである。その成果は『図説会津只見の民具』として公刊され高い評価を得ている。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
会津只見の生産用具と仕事着コレクション(山樵用具)
会津只見の生産用具と仕事着コレクション(狩猟用具)
会津只見の生産用具と仕事着コレクション(農耕用具)
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会津只見の生産用具と仕事着コレクション(山樵用具)
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会津只見の生産用具と仕事着コレクション(狩猟用具)
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会津只見の生産用具と仕事着コレクション(農耕用具)
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解説文
この資料は、福島県南西部の南会津郡只見町で使用された生産用具と仕事着の収集である。只見町は、新潟県に接して周囲を1000㍍前後の山々に囲まれた地域である。 只見町の伝統的な生業は、焼畑を含む畑作農耕と狩猟や山菜などの自然物の採集を中心とするものであったが、江戸期以来、限られた耕地を使っての水田稲作や林業も盛んに行われており、明治期以降は耕地改良の進展や企業的な林業経営者の進出などによりその動きが一層拡大し、水田稲作が主となった。 資料のうちの生産用具は、自然物採集用具、農耕用具、狩猟用具、漁撈用具、山樵用具、製糸用具、蔓細工用具、屋根葺き用具に分類され、それぞれに使用された用具が作業工程順に整理されている。仕事着は、これらの生業で使用された衣類である。 この資料は昭和40年代から収集されてきた資料に、只見町史編纂事業に伴う民俗調査の成果を加え、さらに地元のお年寄りによる整理作業を経て分類整理されたものである。その成果は『図説会津只見の民具』として公刊され高い評価を得ている。
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詳細解説
この資料は、福島県南西部の南会津郡只見町で使用されてきた生産用具と仕事着を収集したものである。只見町は、新潟県に接して周囲を1000㍍前後の山に囲まれた、747㎢に及ぶ広大な面積を有する地域である。集落は、只見川とその支流の伊南川流域の河岸段丘上に位置し、耕地は河谷平野や沢沿いの狭い平地に展開している。周囲はブナやナラなどの落葉広葉樹を中心とする山林が大半を占め、町域の9割以上が森林で占められている。また、この地域は「丈余りの雪」などと称される豪雪地帯で、冬季は積雪が2~3㍍にも及び、雪崩の常襲地は、山菜採りの宝庫ともなっている。 只見町の伝統的な生業は、焼畑を含む畑作農耕と狩猟や山菜などの自然物の採集を中心とするものであったが、江戸期以来、限られた耕地を使っての水田稲作や林業も盛んに行われており、明治期に入ると耕地改良の進展や企業的な林業経営者の進出などによってその動きは一層拡大し、その後は水田稲作が主となった。 16世紀後半の只見地方は、中世以来の豪族である山内氏の支配するところであったが、17世紀中頃、寛永20年(1643)から慶応4年(1868)の225年間は、幕府直轄支配と会津藩預かり支配とが繰り返された。この間、只見地方は政治的には会津圏にありながら、人的・経済的には距離的に近い越後との交流が盛んであり、新潟県下田村に至る八十里越と、同じく入広瀬村を抜けて小出町に至る六十里越の峠道が利用されていた。 資料のうちの生産用具は、自然物採集用具、農耕用具、狩猟用具、漁撈用具、山樵用具、製糸用具、蔓細工用具、屋根葺き用具に分類され、それぞれに使用された用具が作業工程順に整理されている。 自然物採集用具は、ゼンマイの採集に関する用具である。只見産のゼンマイは古くからこの地方の特産物とされ、人びとは田植えが終わると一斉に山に入り泊まりがけで採集に従事した。採集用具と仕事着が収集されているが、クモッケツと呼ぶゼンマイ採りの専用着は、尻の部分に収納用の袋の付いた上衣で、戦後、新潟県側から伝わり只見地区と朝日地区で使用されてきたものである。 農耕用具は、水田稲作用具と畑作・焼畑用具とに細別される。只見地方の水田は、山際に多く存在するため、ヒドロタといわれる湿田が多く、農耕用具の中にも湿田の用具が多く見られる。テヅラは鍬の柄に着けて泥の跳ね返りを防ぐ用具で、新潟県からの伝播とみられる。湿田の稲刈りには雪上歩行用具であるマルカンジキを履いた。籾についた芒【のぎ】を取るモミヨウシやツキグワには、根曲がり木の利用や除雪用具の転用などの工夫が見られる。また、センダイなどの選別用具は17世紀末の農書に見られるもので、この地方では昭和10年代まで使用されていた。 畑作は屋敷まわりの常畑で野菜を作り、山麓の原野を焼き払ってカノという焼畑を造ってソバ、アワ、キビ、カブなどを栽培した。このうち、焼畑の用具では、コウガイと呼ぶ穂摘具が注目される。この用具は、新潟県の下田村や入広瀬村から福島県の只見川流域の柳津町にかけての分布が確認されている。 この地方の狩猟は、熊やカモシカなどを主たる対象として行われた。かつては、旧田子倉集落にシシヤマと呼ぶ狩猟組織があり、ヤマサキという山の神の祭祀者を中心に山小屋に泊まって猟を行っていた。このヤマサキの習俗は、福島県内では只見地方にのみ見られるものである。狩猟用具の中では、ヤマサキの家に伝えられている、テッポウノマキモノと呼ばれる山の神や狩猟の由来を記した巻物が注目される。 漁撈用具は、昭和初期にダムが造られるまで只見川や伊南川を遡上していたサクラマスの捕獲用のマスドウやマスカギなどと、多種類のドウが注目される。 山樵用具にはモトヤマと呼ばれ伐採を専業とする職人の用具と、個人的に燃料木を採取する春木山の用具が収集されている。 製糸用具は、この地方で生産された伊北麻を原料とする麻糸の製造用具と、シナノキの繊維を糸にする用具である。 蔓細工用具は、マタタビやアケビの蔓を利用した籠や笊の細工用具と製品類であり、屋根葺き用具は、冬季の関東地方への出稼ぎ仕事で行われる茅屋根葺きの用具で、各職人の系譜を記したヤネフキノマキモノが注目される。 これらの資料は、昭和40年代から収集された資料に只見町史編纂事業に伴う民俗調査の成果を加え、地元のお年寄りによる整理作業を経て分類整理されたものである。この整理の成果は平成4年に『図説会津只見の民具』として公刊されて、関係各方面から高い評価を得ている。本資料は、これらをもとにさらに収集を進め充実を図った約7500点の資料の中から精選したものである。只見地方の地域的特色を示すものとして全国的な比較から貴重であるとともに、我が国山村の文化的特質をよく示すものとして重要である。