国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
大森及び周辺地域の海苔生産用具
ふりがな
:
おおもりおよびしゅうへんちいきののりせいさんようぐ
大森及び周辺地域の海苔生産用具
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員数
:
881点
種別
:
生産、生業に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
内訳:養殖123点 採取59点 加工258点 海苔船及び船用具147(145+2)点 海苔ヒビ等製作135点 漁場慣行52点 仕事着58点 飲食・灯火20点 その他29点
指定番号
:
00195
指定年月日
:
1993.12.13(平成5.12.13)
追加年月日
:
1999.12.21(平成11.12.21)
指定基準1
:
(二)生産、生業に用いられるもの 例えば、農具、漁猟具、工匠用具、紡織用具、作業場等
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
大田区平和の森公園2番2号
保管施設の名称
:
大森海苔のふるさと館
所有者名
:
大田区
管理団体・管理責任者名
:
大森及び周辺地域の海苔生産用具
解説文:
詳細解説
この用具は、東京湾奥部の大森・品川地区で使用されてきた海苔養殖および乾海苔製造用具の一式である。
この地域は江戸中期以後の浅草海苔の発祥地として知られ、適度の潮の干満と遠浅で波静かな海面に加え、栄養分を多量に含んだ河口に近いという海苔養殖の環境に恵まれた地域であった。
海苔生産の技術は、海上でのヒビを用いた養殖技術と、採取した海苔を陸上で乾海苔にする製造加工技術の2つに大別される。
平成5年指定の資料は、養殖用具、採取用具、加工用具、海苔船および船用具、海苔ヒビ等製作用具、漁場慣行用具、仕事着、飲食・灯火用具、その他に分類される。ここには一連の用具が網羅的に収集されている。
ただ、海苔船および船用具に含まれる資料は、一人乗りの海苔採りベカ舟2艘と、小型船用具69点、大型船用具74点であったことから、平成11年に未収集の中型の海苔採りベカ舟と、大型の動力付き海苔船各1艘を追加指定した。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
大森及び周辺地域の海苔生産用具
大森及び周辺地域の海苔生産用具
大森及び周辺地域の海苔生産用具
大森及び周辺地域の海苔生産用具
大森及び周辺地域の海苔生産用具
大森及び周辺地域の海苔生産用具
大森及び周辺地域の海苔生産用具
大森及び周辺地域の海苔生産用具
大森海苔のふるさと館(保管施設)
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大森及び周辺地域の海苔生産用具
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大森及び周辺地域の海苔生産用具
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大森及び周辺地域の海苔生産用具
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大森及び周辺地域の海苔生産用具
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大森及び周辺地域の海苔生産用具
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大森海苔のふるさと館(保管施設)
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解説文
この用具は、東京湾奥部の大森・品川地区で使用されてきた海苔養殖および乾海苔製造用具の一式である。 この地域は江戸中期以後の浅草海苔の発祥地として知られ、適度の潮の干満と遠浅で波静かな海面に加え、栄養分を多量に含んだ河口に近いという海苔養殖の環境に恵まれた地域であった。 海苔生産の技術は、海上でのヒビを用いた養殖技術と、採取した海苔を陸上で乾海苔にする製造加工技術の2つに大別される。 平成5年指定の資料は、養殖用具、採取用具、加工用具、海苔船および船用具、海苔ヒビ等製作用具、漁場慣行用具、仕事着、飲食・灯火用具、その他に分類される。ここには一連の用具が網羅的に収集されている。 ただ、海苔船および船用具に含まれる資料は、一人乗りの海苔採りベカ舟2艘と、小型船用具69点、大型船用具74点であったことから、平成11年に未収集の中型の海苔採りベカ舟と、大型の動力付き海苔船各1艘を追加指定した。
詳細解説▶
詳細解説
この用具は、東京湾奥部の大森・品川地区で使用されてきた海苔養殖および乾海苔製造用具の一式である。 この地域は江戸中期以後の浅草海苔の発祥地として知られ、適度の潮の干満と遠浅で波静かな海面に加え、栄養分を多量に含んだ河口に近いという海苔養殖の環境に恵まれた地域であった(昭和37年、港湾整備のため廃業し、現在は行われていない)。 この地で海苔の養殖が本格化したのは、享保年間(1716~1735)頃と推定され、磯付き村における農閑期の余業として発展し、江戸後期にはその技術が各地に伝播して、全国にいくつかの新たな生産地を生み出すこととなった。 海苔生産の技術は、海上でのヒビを用いた養殖技術と、採取した海苔を陸上で乾海苔にする製造加工技術の2つに大別される。 仕事の周期は、夏に海苔の胞子を付ける木や竹のヒビの準備を始め、秋にヒビ建て、真冬に海苔採取から海苔すき加工、最後は春にヒビ抜きをし、セオトシ(ふじつぼ落とし)作業をして終了する。 平成5年指定の資料は、養殖用具、採取用具、加工用具、海苔船および船用具、海苔ヒビ等製作用具、漁場慣行用具、仕事着、飲食・灯火用具、その他に分類される。ここには一連の用具が収集されているが、海苔船および船用具に含まれる資料は、一人乗りの海苔採りベカ舟2艘と、小型船用具69点、大型船用具74点であった。平成11年追加指定の資料は、未収集の中型の海苔採りベカ舟と、大型の動力付き海苔船各1艘である。 この地域の海苔採り船は、明治期以前は一人乗りの小型のべカ舟だけが用いられていた。しかし、明治期以降それまでの漁場制限が緩和され、従来の浅瀬漁場からより水深のある沖合へと漁場が拡大するのに伴い、新しい漁場では水深に合わせたヒビの長尺化が必要となり、併せてヒビ運搬のために船の大型化も進んだ。この大型化した船は、大森周辺では一般に中ベカと呼ばれる。この船は海苔漁業専用の在来型伝馬船で、従来の一人乗りベカ船より長さで1.5倍、幅で2倍ほどの、長さ約6㍍、幅約1.4㍍あり、神奈川県や千葉県下では類例を見ないこの地域独得のものである。 ところで明治16年(1883)、千葉県大堀村の海苔漁民平野武二郎は、種付けした海苔ヒビを数週間後に他の場所に植え替え、より早く海苔の葉体を生長させて収穫する移植栽培法を開発する。この移植栽培法を採用した大森周辺地域では、明治35年(1902)より千葉県浦安地先に種付け場を設け、その後、幕張・検見川・五井と、現在の千葉市から市原市沿岸部へと進出した。これに伴って大正末期になると、海苔作業用に大量の荷を積んで内湾を横断できる大型の海苔船が造られるようになった。この船は、在来の打瀬船と荷足船の船形に影響を受けた全長15㍍、幅3.5㍍ほどの大きさのもので、当初は帆で、その後は焼き玉エンジンで運行するものであった。この海苔船は、ヒビの運搬だけでなく海苔採りのベカ舟も積載するようになり、船形もしだいに10~13㍍、幅1.5~1.8㍍ほどのものに統一されていった。この動力付き海苔専用作業船が最も多数建造されたのは昭和25年以降で、東京都や神奈川県下では見られるものの、千葉県下では固有の船として造られることはなかった。 今回の資料のうち、中ベカは、現存資料がなかったことから、平成8年に唯一の建造経験者である旧東造船所の船大工に発注して正確に復元したもので、杉板を主材とする長さ6.1㍍、幅1.4㍍のものである。また、動力付き海苔船は、昭和33年に同じく東造船所で造られた長さ12.6㍍、幅1.9㍍の木造船で、釣り船遊船として改修使用されていたものを、中ベカ同様、旧東造船所の船大工の手により海苔船当時の姿に復元されたものである。 なお、後者の動力付き海苔船は、現在、本資料と川崎市内の小学校に保存されている1隻以外は、現存が確認されていない。 本件は、海苔生産技術の発祥地の古い用具であるだけでなく、昭和30年代の機械導入初期の資料まで網羅されており、生産技術の歴史的変遷も含めて海苔生産の全貌を知ることができる重要なものである。また追加指定した資料も、この地域の海苔漁業の変遷を知るうえで欠かせないものであり、今後収集の可能性も少ない貴重なものである。