国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
甲州西山の焼畑農耕用具
ふりがな
:
こうしゅうにしやまのやきはたのうこうようぐ
甲州西山の焼畑農耕用具
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員数
:
698点
種別
:
生産、生業に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
内訳:地ごしらえ69点 ヤブ焼き49点 アラクうない24点 草取り獣除け49点 取り入れこしらえ119点 アラク小屋321点 かみごと67点
※この地域の焼畑は、昭和59年12月20日に「奈良田の焼畑習俗」として記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されている。
指定番号
:
00182
指定年月日
:
1989.03.29(平成1.03.29)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)生産、生業に用いられるもの 例えば、農具、漁猟具、工匠用具、紡織用具、作業場等
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県
:
山梨県
所在地
:
南巨摩郡早川町奈良田486
保管施設の名称
:
早川町歴史民俗資料館
所有者名
:
早川町
管理団体・管理責任者名
:
甲州西山の焼畑農耕用具
解説文:
詳細解説
山梨県の早川町西山地区は、早川(富士川の支流)の最上流域を占め、険阻な山峡に抱かれた南アルプス(赤石山脈)東麓の典型的な山村である。
この地域では、古くから集落背後の山腹斜面に耕作適地を見い出し、焼畑農耕をして主食糧を自給してきた。この地域の焼畑には、粟・小豆などを栽培するハルヤキ(春焼き)と蕎麦・粟などを栽培するナツヤキ(夏焼き)とに大別される。いずれも雑木林を一定期間(約15年間)をおいて伐り拓き、決まりの作物を輪作した。
この資料は、使い捨てられやすい難点を克服し、奈良田を中心に、上湯島・下湯島などの地区から体系的に収集したもので、早川最上流域で営まれてきた焼畑農耕の過程や実態をよく知ることができるものである。また、全国的にみて類例の少ないものも含まれており、南アルプス東麓の地域的特色も顕著にみられる。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
甲州西山の焼畑農耕用具
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甲州西山の焼畑農耕用具
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解説文
山梨県の早川町西山地区は、早川(富士川の支流)の最上流域を占め、険阻な山峡に抱かれた南アルプス(赤石山脈)東麓の典型的な山村である。 この地域では、古くから集落背後の山腹斜面に耕作適地を見い出し、焼畑農耕をして主食糧を自給してきた。この地域の焼畑には、粟・小豆などを栽培するハルヤキ(春焼き)と蕎麦・粟などを栽培するナツヤキ(夏焼き)とに大別される。いずれも雑木林を一定期間(約15年間)をおいて伐り拓き、決まりの作物を輪作した。 この資料は、使い捨てられやすい難点を克服し、奈良田を中心に、上湯島・下湯島などの地区から体系的に収集したもので、早川最上流域で営まれてきた焼畑農耕の過程や実態をよく知ることができるものである。また、全国的にみて類例の少ないものも含まれており、南アルプス東麓の地域的特色も顕著にみられる。
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詳細解説
山梨県南巨摩郡早川町西山地区は、激流で知られる早川(富士川の支流)の最上流域を占める。伊那(信濃)・駿河の国境にも近く、険阻な山峡に抱かれた南アルプス(赤石山脈)東麓の典型的な山村である。 ここに住みつき生業を立ててきた人々は、古くから、集落の背後に連なる山腹斜面に耕作適地を見い出し、焼畑農耕(立木を伐り倒し、小切りにして枯らして焼き、その焼灰を肥料として作物を栽培する)に利用して主食糧を自給してきた。この生活は、昭和期における戦中・戦後の動乱の時期を経、その後の食糧事情の変化や電源開発に伴うダム建設などにより、現在は一変してしまった。 この地区で営まれてきた焼畑農耕の態様は、『甲州巨摩郡西河内領奈良田村諸邑明細帳』〔写留〕(宝永2年〈1705〉)に見られる後年の書入れや『指出明細帳〔奈良田村〕』(文化3年〈1806〉)の記載によって間接的に表現されており、その様式は粟・小豆などを栽培するハルヤキ(春焼き)と蕎麦・粟などを栽培するナツヤキ(夏焼き)とに大別される。地力を高めるため、ハンノキ(ケヤマハンノキ)やフシノキ(ヤシャブシ)などの若苗を農耕予定地に移植し、育成させて補い(後にはカラマツの若苗を移植する例もあった)、ブナ・カエデ・コナラなどが自生する雑木林をヒトケ(一定の期間、約15年間)をおいて伐り拓き、ほぼ決まりの作物を輪作した。 具体的には、春先に火入れをするハルヤキでは、3、4年。同地区の奈良田を例にとると、主として第1年目(アラク)では粟、第2年目(アズキバタ)では小豆、第3年目(クナ)では粟、第4年目(フルクナ)では一部にインゲン(ササギ)を栽培する。 夏期に火入れをするナツヤキでは1、2年。奈良田を例にとると、主として第1年目(ソバジ)では蕎麦、第2年目(ソバアト)では粟を栽培することが多かった。 また、農作業の便を考え、アラク小屋(山の家。ハルヤキをする農耕地のそばに建てる)に寝泊まり焼畑農耕に従事する形態が広くみられた。 この資料は、使い捨てられやすい難点を克服し、奈良田を中心に上湯島・下湯島からも収集したもので体系化されている。早川最上流域で営まれてきた焼畑農耕の過程や実態を知り、農耕作業に従事してきた人々の生活の諸相を示す用具を網羅している。 焼畑農耕の第一過程である農地を整えるヂゴシラエ(地ごしらえ)用具には、道切りあけや下草刈り、根切り、枝打ちなどの作業に使用する鎌・鉈・腰鋸などがある。 次のヤブヤキ(火入れ)用具には、ホンギリ(延焼を防ぐため周囲を刈り整えること)用の鎌・鍬をはじめ、火をつけ、その勢いを調整するタイ(松明)やエブリ(柄振。燃え木をかき下ろす用具)、ヤビロイ(燃え残りを集めて焼く)用のキッカ(木製の鍬)などがある。 アラクうない(耕起)関係の用具には、種入れ袋やうない用のカトウガ(刃幅が狭くて分厚い鍬)、ならし用(砕土を兼ねる)のアトトリカギ(長柄で先端に爪を付けた用具)などがある。 草とりや獣除けなどの管理用具には、インヤシ(蚊火【かび】)・テカンナ(短い柄に爪を付けた用具)のほか害獣除けのカカシ(かかし)や罠などがある。 さらに取り入れこしらえ(収穫・脱穀・調整等一連の作業)用具には、指にはめて穂刈りするのに用いるホツミ(穂摘み)、ウドバ(脱穀する場所)に張るタホノレン(楮・藤などの繊維製の幕)、こなし(脱穀)の実際に用いるアワタタキ(横槌)やコジウチ(股状の短い叩き棒)、選別用のウチワ(大型の扇)、こしらえ(精白調整)用の臼・杵や各種の篩などがある。 アラク小屋用具には、エー(里の家)とアラク小屋間で物資を運搬するのに用いるドウセイ(背負い袋)やショイコ(背負い梯子)などの運搬具をはじめ、寝泊まりするのに使う食・住関係の用具類や仕事着類、農耕作業の余暇に稼ぎ(換金)仕事として営まれる下駄作りと曲物作り用具の一式が収集されている。 また、かみごと(信仰儀礼)用具には、小正月の予祝や年占行事に欠かせないオホンダレ(左右一対にして門口に立てる魔除けの木。ハナ〈削り掛〉などを挿す)・ハナなどの作り物、ハタガミ(畑神)迎え用のカトウガや年2回執行われる山の神講に用いられるカケジ(掛軸)・弓矢やオカラク(粢)作り用の臼・杵などがあり、講員の会食に供される蕎麦や豆腐つくりの用具も含まれている。 この資料にはキッカ・カカシ・タホノレン・アワタタキ・カワハバキ(木の皮はばき)など全国的にみても類例の少ないものが含まれており、身辺の素材を巧みに取り込んで活用してきたところに、南アルプス東麓の地域的特色が顕著にみられる。 この地域で営まれてきた焼畑農耕の実態を知る上で貴重であるばかりでなく、我が国で展開されてきた焼畑農耕をめぐる習俗の比較資料としても重要である。