国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
茂名の里芋祭
ふりがな
:
もなのさといもまつり
茂名の里芋祭
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年2月19~21日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などへご確認ください)
指定証書番号
:
404
指定年月日
:
2005.02.21(平成17.02.21)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
千葉県
所在地
:
保護団体名
:
茂名区
茂名の里芋祭
解説文:
詳細解説
この行事は、館山市茂名地区にある十二所神社の例祭に行われる行事で、里芋を山型に積み上げて飾りを付けた大きな神饌を1対作り、氏神に奉納して1年の豊作や無病息災を祈願するものである。里芋を用いたその独特の供物に因んで里芋祭の名称で呼ばれており、毎年2月19日から21日にかけて行われる。 この行事は、東日本における里芋の共同祭祀として注目されるとともに、年頭に行われる里芋の予祝的な儀礼としても全国的に類例の少ないものである。我が国における畑作系統の基層文化を考える上で貴重であるとともに、我が国の生業に関わる信仰や農耕儀礼の変遷を考える上で重要である。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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茂名の里芋祭
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解説文
この行事は、館山市茂名地区にある十二所神社の例祭に行われる行事で、里芋を山型に積み上げて飾りを付けた大きな神饌を1対作り、氏神に奉納して1年の豊作や無病息災を祈願するものである。里芋を用いたその独特の供物に因んで里芋祭の名称で呼ばれており、毎年2月19日から21日にかけて行われる。 この行事は、東日本における里芋の共同祭祀として注目されるとともに、年頭に行われる里芋の予祝的な儀礼としても全国的に類例の少ないものである。我が国における畑作系統の基層文化を考える上で貴重であるとともに、我が国の生業に関わる信仰や農耕儀礼の変遷を考える上で重要である。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
茂名の里芋祭は、館山市茂名地区にある十二所神社の例祭に行われる行事で、里芋を山型に積み上げて飾りを付けた大きな神饌を1対作り、氏神に奉納して1年の豊作や無病息災を祈願するものである。里芋を用いたその独特の供物に因んで里芋祭の名称で呼ばれており、毎年2月19日から21日にかけて行われる。 館山市は、千葉県の房総半島の南端に位置する。里芋祭が伝承される茂名地区は、館山市の中心部から少し離れた房総丘陵の南部にあり、近世以来、30戸前後と戸数に大きな変動のない内陸部の小規模な集落である。生業は農業で、集落の中央を流れる川沿いの狭隘な低地に耕地が形成されている。伝統的な農作物は、大麦、小麦、粟などの穀類や里芋や甘藷といった芋類などで、戦後はそれに加えて花卉やレタスの栽培が始められ、今日ではそちらが主流となっている。 祭りに用いられる里芋は、アカメ(赤芽)という品種で、4月下旬に種芋を植え付け、10月下旬から11月にかけて収穫し、冬の間は畑の隅や家の床下に掘られた貯蔵穴で保管される。アカメは、この地域ではモナイモ(茂名芋)と呼ばれ、祭りの供物として欠くことのできない作物と考えられている。 十二所神社は、茂名地区の氏神で、国常立尊(くにとこたちのみこと)を主神とする十二柱の神を祭神とする。当地にはこの国常立尊に因む里芋祭の由来が伝えられている。それは、国常立尊は11人の子宝に恵まれたが、后の母乳が十分に出なかったため、その代わりに蒸かした里芋と甘酒を与えて子どもたちを丈夫に育てあげたというものである。そこで、十二所神社の例祭には出来の良い里芋を神饌として必ず供えるようになったといわれている。また、この祭りは、春先に行われるオビシャとして伝承されてきたものであり、戦後になって十二所神社の例祭に合わせて行うようになり、現在に至っている。 里芋祭は、ツミバンナカマ(積み番仲間)と呼ばれる組織を中心に行われる。ツミバンナカマとは、茂名地区の氏子の家々を2軒1組とする代々続く家の組合せで、神饌の材料となる里芋もこの組織によって栽培、収穫される。組の数は15組で、昭和以降、転出や分家の創出により若干の再編はあったものの、ほぼ固定的な家の組合せが維持されている。ツミバンナカマは、その中でツミバン(積み番)とウケバン(受け番)があり、1年ごとに交替で務める。ツミバンに当たった家がその年の祭りに里芋を用意する。 各組から出された里芋で神饌を作るのは、トウバン(当番)の役目である。トウバンは、1年交替の年番制で、ツミバンナカマに関わらず、集落の北から家の並び順にしたがって1軒の家が務める。 2月19日は、各組のツミバンは自宅で里芋を蒸かし、夕方までにトウバンの家に持って行く。これは女性の役割とされる。里芋の数は1組当たり12個で、この日トウバン宅には200個近い里芋が運び込まれて山と積まれる。 トウバン宅では、十二所神社の掛け軸を床の間に掛け、餅や魚などの供物を用意するとともに、神饌作りの準備をする。夕方になると、トウバンと濃い親戚の者や前年度のトウバン、次年度にトウバンを務める家、そしてツミバンナカマのアイテバンの家(片方の家)など男女10数名がトウバン宅に集まる。神饌作りに携わることができるのは男性のみで、始めに里芋を大・中・小に選り分けてから、2班に分かれて神饌作りに取りかかる。女性は、神饌の完成後に行われる酒宴のための料理を作る。 里芋の神饌は、当地では「芋を積む」といわれるように、大きさの異なる里芋を上手に組み合わせながら、ふっくらとした山型に積んだものである。里芋は、丈夫でよくしなるアカハギの枝で1つずつ刺し止めながら積み上げ、約80㎝ほどの高さにし、最後に形の良い里芋を最上部に1つ載せ、梅の小枝を3本飾り立てて完成となる。里芋の神饌が出来上がると、御神酒や鏡餅、のし餅、鯛2匹とともに十二所神社の掛け軸の前に供え、その後、酒宴となる。 20日は、午前中、神饌作りに関わった男性たちが再びトウバン宅に集まり、神饌を十二所神社へ運ぶ。神饌1対はそれぞれ芋籠と呼ばれる竹製の籠に入れられ、天秤棒を通して男性2人ずつで担がれる。その他の供物は、1名ずつが膳に載せて運ぶ。一行はトウバン宅を出発すると、地区の集会所で待機していた十二所神社の宮司や氏子総代たちと途中で合流し、氏子総代、宮司、鏡餅、鯛、のし餅、里芋の神饌1対の順番で列を組み直してから神社へ向かう。 一行は十二所神社に着くと、里芋の神饌を始めとする供物を拝殿内に運び込む。そして、それらが祭壇に奉納されると祝詞奏上などが行われ、祭典の終了後、神饌の分配が始まる。氏子の男性たちによって里芋の山が崩され、のし餅が細かく切り分けられて、十二神社の御札とともに袋詰めにして各家に配られる。この里芋を食べると風邪をひかない、子宝に恵まれるなどといわれており、無病息災を願って各家で食される。神社の拝殿内では、参加した氏子たちが車座になって、残ったのし餅を肴にして直会をする。 午後になると、氏子総代がトウバン宅に出向き、トウワタシの儀礼が行われる。トウバンと次の年のトウバンが床の間の前で、御神酒と大根ナマスを載せた膳を挟んで向き合って座る。氏子総代からトウバン、次期トウバンの順番で盃を受け、ナマスを取り分けてもらって食し、新旧トウバンが交替の挨拶をしてトウワタシとなる。その後、トウバンの家では近所や親戚の人などが集まって酒宴となる。翌21日は、ゴクロウモウシといって、料理の用意など祭りの裏方を務めた女性たちがトウバン宅に集まって会食し、これをもって里芋祭は終了する。 この行事は、農作業を開始する春先に当たり、収穫した里芋を氏神に供えて1年の豊作を祈り、氏子がそれを分配し共食する祭りであり、畑作を中心とするこの地域の生業と結びついて伝承されてきたものである。特に里芋を用いた大型の神饌は独特であり、里芋を栽培、供出するツミバンナカマという伝統的な組織も維持されているなど地域的特色が豊かである。 また、畑作物の中でも里芋に関する行事は、西日本に特に分布が見られることが知られているが、この行事は、これまでに報告例の少ない東日本における里芋の共同祭祀として注目されるとともに、年頭に行われる里芋の予祝的な儀礼としても全国的に類例の少ないものである。我が国における畑作系統の基層文化を考える上で貴重であるとともに、我が国の生業に関わる信仰や農耕儀礼の変遷を考える上で重要である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)