国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
五十猛のグロ
ふりがな
:
いそだけのぐろ
五十猛のグロ
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年1月11~15日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
指定証書番号
:
409
指定年月日
:
2005.02.21(平成17.02.21)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
島根県
所在地
:
保護団体名
:
大浦グロ保存会
五十猛のグロ
解説文:
詳細解説
この行事は、大田市五十猛町大浦地区に伝承される小正月の行事である。グロと呼ばれる円錐形の大きな仮屋を浜辺に作って歳徳神を迎え、その年の豊漁や無病息災を祈願し、最後に正月飾りとともに仮屋を焼き払う行事で、1月11日から15日までの5日間にわたって行われる。
グロと呼ばれる小正月の行事は、島根県中部の沿岸部に伝承されてきたが、現在は大浦地区で行われるのみとなっている。神を迎え・送る一連の儀礼や禁忌などの民俗的要素をよく伝えており、西日本の小正月行事の代表的なものの一つとして、我が国の年中行事や民間信仰の変遷を考える上で重要である。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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五十猛のグロ
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五十猛のグロ
解説文
この行事は、大田市五十猛町大浦地区に伝承される小正月の行事である。グロと呼ばれる円錐形の大きな仮屋を浜辺に作って歳徳神を迎え、その年の豊漁や無病息災を祈願し、最後に正月飾りとともに仮屋を焼き払う行事で、1月11日から15日までの5日間にわたって行われる。 グロと呼ばれる小正月の行事は、島根県中部の沿岸部に伝承されてきたが、現在は大浦地区で行われるのみとなっている。神を迎え・送る一連の儀礼や禁忌などの民俗的要素をよく伝えており、西日本の小正月行事の代表的なものの一つとして、我が国の年中行事や民間信仰の変遷を考える上で重要である。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
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詳細解説
五十猛のグロは、大田市五十猛町大浦地区に伝承される小正月の行事である。グロと呼ばれる円錐形の大きな仮屋を浜辺に作って歳徳神を迎え、その年の豊漁や無病息災を祈願し、最後に正月飾りとともに仮屋を焼き払う行事で、1月11日から15日までの5日間にわたって行われる。 五十猛町は、島根県のほぼ中央にある大田市の北西部に位置する。グロが伝承されている大浦地区は、日本海に面した町域の西端にあり、石見海岸では浜田に次ぐ県内屈指の漁港として栄えてきたところである。この行事は、大浦地区の漁師たちによって伝えられてきたもので、かつては網元を中心に行われていたが、現在は漁業に従事する家々によって構成される大浦グロ保存会を中心に伝承されている。 グロとは、行事の名称であるとともに、行事の際に竹を主な材料として作られる独特の小屋をさす呼称でもある。その語源は定かではないが、当地では、グロとは草むらや山中に建つ簡素な小屋のこと、あるいは草が密集している様子を言い表す語として用いられ、こうした関連から仮屋をグロと称するようになったといわれる。 行事の準備や運営は、大浦地区の家々を第一組と第二組とに分け、この2つの組が1年交替の当番制で行っている。第一組は、上一、上二、上三、竪町、本町の5つの自治会から、第二組は、柳町、上柳町、明神、朝日、日の出、団地の6つの自治会からなる。当番に当たった組は、その年に5人の世話人を選出する。世話人は、グロの材料集めや組み立てなどの準備作業をはじめ、供物の用意や儀礼に際しての献饌など、数日間にわたる行事の中心的な役割を担う。 昭和初期頃までは、大浦地区内でも2つ以上の組があり、それぞれに競い合って大きな仮屋を作り、グロを行っていたと伝えられている。少なくとも戦後しばらくの間は3か所でグロが行われていたとされるが、昭和30年代に現在の下の浜のみとなり、それ以後、地区全体で1つのグロを作り、共用するかたちで行事が続けられてきている。 1月11日は、午前中にグロの組み立てが行われる。グロが作られる下の浜は集落の北の浜辺にあり、当番の組の男性たちが総出で作業に取りかかる。グロの材料となる竹や笹の切り出し、グロの中で焚く薪の用意などは年末から始められ、漁に出られない日を選んで行われる。グロの組み立ては、まず始めに長さ20㍍ほどの根付きの青竹を2本束ねて立て、これを中心として青竹や角材で円錐形に仮屋の骨組みを作る。中央に立つ青竹は、先端部分の枝だけを残してそこに色とりどりの短冊を飾り、途中の2か所に御幣を付けた2本の竹を十字に組んだものである。これはセンボクサン(神木あるいは千木)と呼ばれ、神の依代と考えられている。グロの大きさは、直径約10㍍、高さ約3㍍ほどあり、屋根は莚を重ねて覆い、周囲を笹で囲んで壁とする。グロの入り口には、松飾りを一対飾る。内部には、天上から板を縄で吊って神棚を作り、地面には木材を円形に並べ、囲炉裏を3か所に設ける。 このようにしてグロが完成すると、餅つきが行われ、供物にする鏡餅が作られる。次いで、世話人の男性たちが海からモバ(神馬藻)と呼ばれる海藻を採ってきて、トシトコサンと呼ばれる歳徳神を仮屋に迎える神迎えの儀礼を行う。世話人の代表がモバに付けた海水をグロの内部にまき散らした後、センボクサンの根本に掛け、神棚に御神酒や鏡餅などを供えて礼拝し、無病息災や豊漁を祈願する。その後、15日までの4日間、地区の人たちがグロに集まり、持参した餅や干し魚、スルメなどを囲炉裏の火で焼いて食べたり、酒を酌み交わしたりして、夜遅くまで歓談して過ごす。グロの火にあたり、その火で焼いたものを食べるとその年は病気にならないといわれている。このときに日ごろの操業に関する情報交換をしたり、地域のしきたりを子どもたちに教えたりするのも古くから行われてきたことである。かつては、地区の人たちがグロに泊まり込んで夜明かしし、子どもたちも行事の期間中はグロに泊まり込むことを許されていたという。 グロには、大浦地区に住む者ならば自由に出入りができるが、前年に不幸のあった家の者と子どもを出産したばかりの女性はグロに入ってはならず、この禁忌は厳格に守られている。 14日夜には、神送りが行われる。このときは、特に大勢の人たちがグロに集まる。世話人が神棚に御神酒、鏡餅、塩、鯛やホウボウなどの赤い魚を供えると一同が礼拝し、無病息災や豊漁を再び祈願して、神を送る。その後、鏡餅が神棚から下ろされ、囲炉裏で焼いてからグロに来ている人たちに配られる。 翌15日は、早朝から当番の組の男性たちが浜辺に集まり、グロの解体が行われる。外されたセンボクサンは縁起物として希望者に売られ、船の防舷材や雨樋などに使用される。かつては競りで売買され、網元が高値を付けたといわれている。取り外された竹や笹など浜辺に高く積まれ、各家が持ち寄った松飾りや注連縄、古い御札とともに燃やされて、行事は終了する。 年の始めに仮屋を設けて神を迎え、予祝儀礼や火焚きを行う行事は、日本の各地に地域的特色をもって伝承されており、日本人の神観念や年中行事を理解する上で早くから注目されてきた。このような小正月の行事については、これまでに東北地方や関東地方など東日本の事例が指定されているが、五十猛のグロは、従来この種の行事の指定のなかった西日本地域の中で、特色ある小正月の行事として注目されるものであり、センボクサンを心柱とする円錐形の独特の仮屋を作り、その中で地区の人たちが共同飲食をするなど地域的特色も豊かである。 また、グロと呼ばれる小正月の行事は、島根県中部の沿岸部に伝承されてきたが、現在では大浦地区で行われるのみとなっている。神を迎え・送る一連の儀礼や禁忌などの民俗的要素もよく伝えており、我が国の年中行事や民間信仰の変遷を考える上で重要である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)