国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
月浜のえんずのわり
ふりがな
:
つきはまのえんずのわり
月浜のえんずのわり
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年1月11~16日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
指定証書番号
:
413
指定年月日
:
2006.03.15(平成18.03.15)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
宮城県
所在地
:
保護団体名
:
えんずのわり保存会
月浜のえんずのわり
解説文:
詳細解説
月浜のえんずのわりは、宮城県東松島市宮戸の月浜地区に伝承される小正月の鳥追いの行事で、子どもたちが岩屋でお籠もりをしてから、集団で家々を回り、害鳥を追い払う唱え言をいって、一年の豊作や無病息災を祈願する。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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月浜のえんずのわり
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月浜のえんずのわり
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月浜のえんずのわり
解説文
月浜のえんずのわりは、宮城県東松島市宮戸の月浜地区に伝承される小正月の鳥追いの行事で、子どもたちが岩屋でお籠もりをしてから、集団で家々を回り、害鳥を追い払う唱え言をいって、一年の豊作や無病息災を祈願する。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
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詳細解説
月浜のえんずのわりは、宮城県東松島市宮戸の月浜地区に伝承される小正月の鳥追いの行事で、子どもたちが岩屋でお籠もりをしてから、集団で家々を回り、害鳥を追い払う唱え言をいって、一年の豊作や無病息災を祈願する。 東松島市宮戸は、宮城県の北東部、松島湾の外縁をなす奥松島と呼ばれる島々の1つ、宮戸島に位置する。宮戸島は、松島湾では最大の島であり、えんずのわりが伝承されている月浜地区は、島の南端に位置する40戸ほどの半農半漁の集落である。 えんずのわりは、この地区の子どもたちによって伝承されてきた行事である。かつては旧暦で行われていたが、昭和30年代中頃から新暦で行うようになり、現在は1月14日夜を中心に、6日間にわたって行われている。 行事の呼称である「えんずのわり」とは、当地の方言で「意地の悪い」ことを意味するとされ、農作物を荒らす意地の悪い鳥を追い払うのがこの行事であるという。 行事の準備や執行は、子どもたちを中心に行う。行事に参加できるのは、月浜地区に住む7~15歳までの男子で、小学1年生~中学3年生までに当たる。子どもたちの中でも、最上学年で最も早く生まれた男子が一番大将と呼ばれ、以下、年齢順に二番大将、三番大将となり、その年初めて参加する一番下の男子がスッケン大将と呼ばれて雑事を担当する。一番大将が行事の責任者であり、岩屋でのお籠もりをはじめとする行事全体の指揮をとる。 行事の準備は、前年の10月頃から始まる。休日に子どもたちが集まり、一番大将の指揮のもとに地区内の山に入り、岩屋でのお籠もりに必要な薪を集めたり、集落を回るときに用いる神木と呼ばれる杖の材料を採取する。この作業は12月頃まで行われる。神木は、約1.5メートルほどの松の枝を用いて作られ、先端を削って尖らせ、3か所に切り込みを入れる。年長の者になるほど太くて大きな神木を作る。 1月11日になると、子どもたちは寝泊まりに必要な炊事道具や米、野菜、味噌などの食事の材料を持って、氏神である五十鈴神社の参道脇に造られた岩屋に集まる。岩屋は、大岩を刳り抜いて軒や雨戸、縁を取り付けたもので、内部は10畳ほどの広さをもち、神棚、竈、囲炉裏が設けられている。子どもたちは16日までの6日間、この岩屋にお籠もりをして寝食を共にし、学校へもここから通う。かつては岩屋に風呂が付随しており、朝夕は身を清めたと伝えられるが、現在は各自がいったん家に帰り、入浴してから再び岩屋へ戻る形になっている。 岩屋で作る食事は、精進料理といって、厚揚げや大根、人参、牛蒡などを入れた汁とご飯だけで、肉や魚は一切口にしない。食事の支度は皆で協力して行うが、味付けは一番大将の役目であり、また、よく働いた者には一番大将の指示で、料理に豆腐が付いたり、逆に怠けていた者の汁の中には生の野菜が入れられたりする。できあがった料理は神棚に一度供えてから食べる。岩屋に泊まるのは子どもの中でも上級生のみで、下級生は家に戻り、翌日の早朝に再び岩屋に集まる。一同は、起床後、岩屋の内外を掃き清めてから食事を済ませ、登校する。このようにして子どもたちは、大人の手を借りずに、16日まで岩屋で共同生活を行う。 14日は、地区の人たちが岩屋を訪れる。各自が持参したロウソクを奉納し、一番大将から御神酒をもらって1年の無病息災などを祈願する。子どもたちは、夕方になると食事を作って食べ、ロウソクを岩屋内の神棚や囲炉裏の炉縁などに並べて灯すと、神木を持って岩屋を出発する。子どもたちの一行は、まずはじめに五十鈴神社に参り、社殿の前で害鳥を追い払う唱え言をいい、次いで境内にある小祠、共同井戸の跡と回ってから、家々を一軒一軒歩いて回る。このときには子どもたちよりやや年長の後見と呼ばれる若者が数人付き添い、唱え言の音頭をとったり、必要に応じて指示を出したりする。各家では、神棚に灯明をあげ、縁側や玄関の戸を開けて座し、子どもたちの来訪を待っている。一行は家に着くと家族に向かって2列に並び、神木で地面を突き鳴らして調子を取りながら声を揃えて唱え言をいう。唱え言は、「えーい、えーい、えー。えんずのわり鳥追わば、頭【かずら】割って塩つけで、たーどー紙さ畳み入れで、えんずの島さ流さんし」という文言で、意地の悪い鳥を捕まえて遠い島へ流す、という内容である。子どもたちは、この唱え言を3回繰り返し、次いで、その家の家族構成や職業などに応じて、年寄りの長寿や子どもの無事成長、家業の繁栄などの祝いの言葉を述べ、最後に「陸は万作、海は大漁、銭金孕め」と締めくくる。 年頭にあたり農作物を荒らす害鳥駆除を目的として行われる行事は、東北地方や北陸地方などを主として東日本に伝承され、子どもたちを中心に行われてきた。この行事は、年長の一番大将をはじめとする子どもたちによる伝承組織が年齢階梯的な秩序の基づいてよく守られているとともに、害鳥を追い払う唱え言もきちんと伝えられているなど、鳥追い行事の典型例と考えられるものである。また、子どもたちが行事の間、岩屋にお籠もりする儀礼が伴うなど地域的特色も豊かである。我が国の年中行事や民間信仰の変遷を考える上で重要である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)