国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
犬山祭の車山行事
ふりがな
:
いぬやままつりのやまぎょうじ
犬山祭の車山行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年4月第一土曜日とその翌日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
※この行事は平成28年に「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている
指定証書番号
:
416
指定年月日
:
2006.03.15(平成18.03.15)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
愛知県
所在地
:
保護団体名
:
犬山祭保存会
犬山祭の車山行事
解説文:
詳細解説
この行事は、針綱神社の祭礼に行われる行事で、氏子の13町内から、からくり人形をのせた車山が出され、鵜飼町などの3町内からは練り物が出される。車山は、三層四輪形式で、中京地区のからくり人形をのせた山車の中でも犬山型と呼ばれるもので、囃子を担当する若い衆や子どもが初めて車山に乗る「初上がり」を盛大に披露する習わしもある。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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犬山祭の車山行事
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犬山祭の車山行事
解説文
この行事は、針綱神社の祭礼に行われる行事で、氏子の13町内から、からくり人形をのせた車山が出され、鵜飼町などの3町内からは練り物が出される。車山は、三層四輪形式で、中京地区のからくり人形をのせた山車の中でも犬山型と呼ばれるもので、囃子を担当する若い衆や子どもが初めて車山に乗る「初上がり」を盛大に披露する習わしもある。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
犬山祭の車山行事は、愛知県犬山市の針綱神社の祭礼に行われる行事で、氏子の枝町、魚屋町、下本町、中本町、熊野町、新町、本町、練屋町、鍛冶屋町、名栗町、寺内町、余坂町、外町のあわせて13町内から、からくり人形をのせた車山が出され、鵜飼町、坂下大本町、内田の3町内からは練り物が出される。 犬山市は愛知県の最北端にあり、木曽川を挟んで岐阜県各務原市と境を接する地にある。江戸時代には名古屋藩の附家老成瀬家の城下町として栄えた町で、針綱神社は犬山地区の産土神を祀る神社である。祭りは寛永年間(1624~1644)に神輿の渡御に氏子が練り物を出して参列したのに始まり、以後慶安年中(1648~1652)には時の領主成瀬正虎の命により犬山の惣町中が参加するようになったと伝えられ、その後現在のような車山、練り物が出される祭りになっていったといわれている。 この行事は毎年4月第一土曜日とその翌日に行われる。1日目は試楽と呼ばれ、13町内から車山が出されて針綱神社前の広場に集結し、昼頃から駅前組に属する組から順番に針綱神社の鳥居前に進んでからくりを奉納する。 からくりの奉納がすむと、神社組はそのまま鳥居前広場に残り、駅前組の魚屋町、熊野町、本町、練屋町、寺内町、外町の6町内は名鉄犬山駅の西口広場に移動する。 夕方になると、それぞれの車山の提灯が灯され、曳き出し式が行われる。その後、各町内に曳いて帰り各町内とも夜10時頃までにこの日の行事が終了する。 翌日は本楽で、各町内とも太鼓や鉦、鈴などを叩きながら町内をまわって出発を知らせる。その後、傘鉾を前にして町内を出発した車山が午前10時頃までに針綱神社前の広場に曳き込まれる。傘鉾は車山を先導する朱塗傘で、傘の下には作り物の大福帳や魚などが下げられており、車山が神社に到着すると町内ごとに本殿に通じる石段の両側に立てられる。 各町内の車山が神社前の広場に揃うと、本殿で例祭の神事が行われる。これと前後して鵜飼町の大母衣、坂下大本町の小母衣、内田の子供競子の各練り物も到着する。 神事終了後、各町内の車山がからくりを奉納する。からくりの奉納は枝町、魚屋町、下本町の順に行われ、この3町内がからくりを奉納すれば祭りは成立したことになるとされている。 からくり奉納を終了すると、車山を後退させる際に「どんでん」が行われる。「どんでん」は車山の曳き役を担当するテコの力の見せ所で、前楫を担いで車山を持ち上げたまま180度回転しそのまま曳いていくもので、どこまで一気に曳けるか競い合いのようになる。 これがすむと車山は、余坂町に向かう枝町、魚屋町、新町、練屋町、寺内町、余坂町の北組と出来町に向かう下本町、中本町、熊野町、本町、鍛冶屋町、名栗町、外町の南組に分かれそれぞれの場所に向かう。練り物も神前での奉納がすむと車山の行列に混じって一緒に退出する。 針綱神社から退出した車山は、北組、南組それぞれの決められた場所に到着すると夜車山の準備に取りかかる。各町内から提灯を運び込み車山に取り付けて点灯すると、それぞれ余坂町、外町を先頭に出発する。この夜車山では途中各町内の車山が下本町交差点を通ることになっており、ここで「どんでん」が披露される。車山が町内に戻ると各町内では次年度の当番と交代する行事が行われて行事が終了する。 犬山祭の車山は、三層造りで、上山は唐破風の屋根を四本柱で支え、ここにからくり人形が乗る。中山と下山は、四方を幕で覆い、下山には囃子を担当する人たちが乗る。唐破風の屋根の前後にはボーデン(梵天)と称する御幣が取り付けられている。車輪は四輪で車山の外側に取り付けられている。 この三層四輪形式は、中京地区のからくり人形をのせた山車の中でも犬山型と呼ばれる類型の典型例となっているものである。犬山祭はからくり人形をのせた犬山型の山車の登場する祭りとしてもよく知られている。 下山に囃子を演奏するために乗る人々自体も下山と呼ばれ、笛と太鼓を担当する。笛は若い衆、小太鼓は子どもが担当する。若い衆も子どもも、初めて車山に乗ることを初上がりといい、盛大に披露する習わしがある。子どもが着る金襦袢は嫁の実家が贈るものとされており、大変な負担となっていたが、現在では町内で金襦袢を用意しておき、初上がりの子どもはこれを着ることにしている町内もある。 この行事は、犬山型の山車の典型例であるカラクリ人形をのせた車山の巡行を中心とするもので、中部地方のカラクリ人形をのせた山車の登場する祭りの典型例の1つである。また、車山をだす町内と練り物をだす町内が決まっていること、祭りに初めて参加する際の初上がりと呼ぶ儀礼がみられることなどの地域的特色もみられる。我が国の山車のでる祭礼の変遷を考える上で重要であり、全国的な比較の観点からも重要である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)