国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
亀崎潮干祭の山車行事
ふりがな
:
かめざきしおひまつりのだしぎょうじ
亀崎潮干祭の山車行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年5月3・4日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
※この行事は平成28年に「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている
指定証書番号
:
417
指定年月日
:
2006.03.15(平成18.03.15)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
愛知県
所在地
:
保護団体名
:
亀崎潮干祭保存会
亀崎潮干祭の山車行事
解説文:
詳細解説
この行事は、知多半島の北東側にある半田市の北部亀崎地区の鎮守神前神社の祭礼潮干祭に行われる行事で、氏子で組織される5つの組から、からくり人形をのせた山車が出されて曳き回される行事である。山車は、二層造りで、知多型と呼ばれる。また、5つの組が年番で務める代参元が全体の執行・統括を行い、各組には車元と呼ばれる、組の経費を提供するともいわれる名誉ある役があり、山車の管理に責任を負う。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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亀崎潮干祭の山車行事
亀崎潮干祭の山車行事
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亀崎潮干祭の山車行事
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亀崎潮干祭の山車行事
解説文
この行事は、知多半島の北東側にある半田市の北部亀崎地区の鎮守神前神社の祭礼潮干祭に行われる行事で、氏子で組織される5つの組から、からくり人形をのせた山車が出されて曳き回される行事である。山車は、二層造りで、知多型と呼ばれる。また、5つの組が年番で務める代参元が全体の執行・統括を行い、各組には車元と呼ばれる、組の経費を提供するともいわれる名誉ある役があり、山車の管理に責任を負う。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
亀崎潮干祭の山車行事は、知多半島の北東側にある愛知県半田市の北部亀崎地区の鎮守神前神社の祭礼潮干祭に行われる行事で、氏子で組織される東組、石橋組、中切組、田中組、西組の5つの組から、からくり人形をのせた山車が出されて曳き回される行事である。 山車を出す5つの組は亀崎潮干祭を担う基本的な組織である。石橋、田中、中切は、亀崎内の字名であり、東と西はその両側にあることから命名されたと伝えられていることから、これらの組は基本的には地域的なまとまりで構成されたものと考えられ、それぞれの区域内に居住する者のうち組費を納めた者によって組が構成されている。 この行事は毎年5月3・4日に行われる。行事前の3月下旬から4月上旬には道検分が行われる。これは神前神社に5つの組の若者頭等が集合して山車巡行経路の道路状況の点検を行う行事である。 続いて祭りのほぼ1か月ほど前になると浜に埋めてある山車の車輪を掘り出すゴマ掘りといわれる作業が行われる。各組の山車の車輪は行事が終了すると乾燥しないように海岸の砂の中に埋められるのである。 ゴマ掘りが済むころには囃子の稽古等が始まり、山車の組み上げなども行われる。各組ともサヤと呼ばれる山車を納めた蔵から部材を取り出して山車の組み上げ作業を行い、組み上げが終わると町内を試し曳きして山車に異常がないか確認する。 行事前日は役割が行われる。この行事は各組ごとに行われ、その年の祭りに参加する組員は決められた時間に組事務所に行き名前を告げ記帳してもらう。着帳が済むと、その後で行事当日の役が割り振られる役割の式が行われる。役割が発表されると若者一人ひとりにカンバンが渡され、これを受け取った若者から帰っていく。かつて船乗りとして活躍していた亀崎の男たちは、正月に帰ってこなくても、役割を決める祭り前日夜の着帳には間に合うように帰ってきたものだと伝えられている。 行事当日の3日には、朝早く山車をサヤから曳き出して飾り付けを行う。この後、東組から順に各サヤの前で神前神社宮司の山車祈祷を受け山車の安全を祈願する。 これが済むと山車を曳き初めて曳き下ろし坂に整列する。この後、浜に向けて海浜曳き下ろしを始め、5台の山車は海浜に横一列に密着した状態で整列する。整列が済むとすぐそばにある広場にあがり、東組、石橋組、中切組、田中組、西組の順に山車の上でからくり人形の技芸を披露する。 その後、神前神社から神輿が出社してくると、神輿の綱と山車の先頭に立つ西組の山車の綱が結びつけられ、神輿に供奉する形で西組を先頭に順次続き、秋葉社を経て亀崎の西側にある尾張三社まで巡行する。途中の秋葉社でも5台の山車がそれぞれ人形の芸を奉納し、尾張三社でも人形の芸を披露する。尾張三社での人形の芸の披露が終わると山車はそれぞれの組に帰りサヤに納められこの日の行事が終了する。 翌日の4日は、神輿が神前神社に還幸する。朝早くに各組の山車が尾張三社に集合し飾り付けを済ませる。各組の人形の芸が奉納されると、神輿の綱とこの日山車の先頭に立つ東組の山車の綱が結びつけられ、神輿に続いて順次曳き出され神前神社に向かう。途中で神輿の綱と東組の山車の綱が切り離され、神輿だけがそのまま神前神社に還幸する。 残された山車は昼食後に再び曳き出されて浜に向かい海浜曳き下ろしが始まる。ここでも前日と同じように横一列に整列した後、神前神社前に山車を曳き上げここで山車の曳き回しが行われる。その後、神前神社前に各山車が整列すると人形の芸を順次奉納する。 神前神社での人形芸の奉納が終了すると、山車は各町内に向かい町内を巡行した後、サヤに納められ行事が終了する。 この行事でだされる山車は、二層造りで唐破風の屋根を四本柱が支え、正面にも同様な唐破風を拵え前壇と呼ばれる棚があり、車輪は一木造りの四輪で台輪の内側に入る内輪形式のもので知多型と呼ばれる。山車の四本柱内で上山人形と呼ばれるからくり人形が行われ、正面の前壇でも前人形と呼ばれるからくり人形が行われる。この行事の山車は、知多型の中でも最も贅をこらした山車の1つとして知られている。 また、山車を出す5つの組が東組、石橋組、中切組、田中組、西組の順に年番として1年任期で務める代参元が全体の執行・統括を行っている。また、各組にも任期1年で務める車元と呼ばれる役がおかれ、組における1年間の経費を提供するともいわれる名誉ある役で、山車の管理に責任を負う役割を果たしている。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)